20-A
およそ1ヶ月前、私はイルマに命を狙われていた。
そんな彼女から逃れるために、私はとある診療所へ逃げ込み、怪我が治るまでの2週間、そこで潜伏生活を続けたんだ。
その間、イルマに発見されることはなかった。
この街で身を隠せそうな場所なんて、あそこくらいしか知らない。
ルッツ・ビエロフカ。あの診療所の主は、今回も場所を提供してくれるだろうか。
もしあそこが駄目なら、警察と相談して、使えそうな場所を一から探さなければならなくなる。
ハイディマリーに時間を貰った私は、1人である場所へ向かった。
そこは、娼館ユーチャリスの裏手にある、娼婦寮。
二階の一室のドアをノックする。
「誰~?」
中から、聞き慣れた声が返ってきた。
「私です。ティナです」
「ティナ?」
ドタドタと足音がして、ドアが開いた。中から出てきたのは、下着姿の女性。
「ティナ、どうしたの? あんた1人?」
「はい。あの、リリアンさん。今大丈夫ですか?」
長い茶色の髪を、いつもの巻き髪にせず胸に垂らした、小柄な娼婦リリアン。
私は、彼女に関するあることを思い出し、診療所より先に訪ねることを決めたんだ。
「ああ、別にいいけど。今日は仕事入ってないし、暇してたとこ」
良かった。もし仕事があるなら、こんなことは頼めない。
「あのぉ、リリアンさんに頼みたいことがあるんですけど……」
「頼みたいこと? いいよ。あたしにできることならね」
できるできる。
「リリアンさんって、馬車の操縦ができましたよね?」
「うん。あんたも乗ったことあるでしょ」
彼女が操る馬車には、2回乗ったな。
「はい。それで、ちょっとある人をある場所へ送ってもらいたいんですけど、いいですか?」
「ある人って誰? ……あ、もしかして、あの社長さん? この街に来てるんだよね?」
鋭い。
「そうです。ボスを、ルッツさんの診療所まで送ってほしいんです」
「は? 先生のとこへ? なんで?」
不思議そうに小首を傾げる彼女に、私は事情を説明する。
「……なるほど。とりあえず、全部終わるまで隠しておこうってわけね」
「はい」
敵の狙いはハイディマリーなんだから、こうするのが最善の対策なのは間違いない。
もし敵が探しに来ても、ハイディマリーを見つけられずに困っているところを、私たちで一気に叩くことができるかもしれないし。
「わかった。いいよ。とりあえず、中に入って待っててよ。すぐ支度するから」
「あ、はい。お邪魔します」
リリアンの部屋に入ろうとした時、二つ隣のドアが開いた。
「あ」
そう発したのは同時。部屋から出てきた人物と見つめ合う。
「ん? あ、シェリー。どしたの?」
ひょこっと顔を出したリリアンは見ずに、長い黒髪を、いつもの三つ編みにしていない娼婦シェリーは、私の前まで歩み寄ってきた。
そして、後ろで手を組み、顔を近付けてくる。
ひらひらした白のワンピースが揺れ、大きく開いた胸元から、中がはっきりと見えた。
「ティナちゃん。あの子とは仲直りできた?」
「え?」
……あ、イルマのことか。
「はい。あの後すぐに」
「そっか。良かったね」
首を傾げながら、にっこり笑うシェリー。
その動きで、右の肩紐がするりと落ちそうになる。見えちゃう見えちゃう!
咄嗟に肩紐を戻そうと触れると、シェリーは「ぃやん」と変な声を出した。
嬉しそうな顔で。
「もぉ、ティナちゃんったら。いきなり触っちゃダメよ。びっくりしちゃうから」
「え? えっと、ご、ごめんなさい」
「うふふ。ウソウソ。……もっと触ってもいいよ?」
「えええ?」
白く綺麗な細い腕が、私の腕に絡みついてくる。
柔らかな感触が伝わってくる。
「ちょっと。人の部屋の前で気色悪いことしないでよ」
「!」
その声に、ハッとする。リリアンが、眉をひそめて目を細め、私たちを見据えていた。
「なぁに、リリアン。あ、もしかして嫉妬してるの?」
「してねぇよ」
目を細め、苛立ち混じりにそう言ってから、呆れたように溜め息をつくリリアン。
「じゃあ、ティナ。そこでちょっとイチャイチャしてな」
「えっ?」
目の前で、ドアが閉まる。リリアンは、ニヤリと笑っていた。
「イチャイチャだって~。聞いた? ティナちゃん」
「え? えっと……」
そうして私は、リリアンが支度を済ませて出てくるまで、シェリーに壁際に追い詰められて、身体中をベタベタと触られるなど、いろんなことをされてしまうのであった。
リリアンが操る娼館の馬車に乗って、あの診療所へ。
結局、シェリーもついてきてしまった。
今、私の肩にべったりとくっついて、ニコニコしている。
「ふふ。娼館の馬車でティナちゃんと2人きり。なんだか、あなたに買われちゃった気分だよ」
「えっ」
ドキッとした。
そっとシェリーを見ると、頬をうっすらと赤らめた艶のある顔と出会い、思わず視線を固定してしまう。
シェリーは、私の身体に手を、腕を這わせながら、じわりじわりと抱きついてくる。
「あ、あの……!」
まただ。また逃げない。どうして私の身体は、こういう時に動かなくなるんだ?
こんなだから、好き放題やられちゃうんだよ!
「ティナちゃん」
「ひぁっ!」
耳に何か触れたと思ったら、吐息混じりの囁きが聴覚いっぱいに広がって、思わず声が出た。
「こっち向いて。私の身体を抱き締めて。……抱き合うくらい、いいでしょ?」
「え、えっと……」
激しい鼓動のせいで、身体全体が揺れてる錯覚に陥る。
シェリーは、お構い無しに私の身体に腕を回し、向かい合わせようとしている。
「……!」
それをただ見ていただけのはずなのに、気付けば私の両腕は、彼女の身体を迎え入れてしまっていた。
華奢で、柔らかで、そして温かい彼女の身体が、腕の中にある。
なぜだかすごく、落ち着く。
「……嬉しい。とっても嬉しいよ、ティナちゃん」
そんなに喜んでもらえると、こっちも嬉しくなる。思わず頬が緩んだ。
「ねぇ、ティナちゃん?」
「なんですか?」
「私たち、友達だよね?」
「ええ。友達です」
そこでシェリーは少しだけ身体を離し、私を見つめる。
「もう少しだけ、進んじゃダメ?」
「? どういうことですか?」
シェリーは、私から目を離さぬまま、すーっと顔を近付けてきた。
「キス、してほしいな」
「えっ」
ドキッとして固まる私に、シェリーは少しずつ顔を近付けてくる。
ツヤツヤした唇が、すぐそこにある。
ちょっと顔を前に出せば、触れてしまいそうだ。
だけど私は、思わず顔を逸らしていた。
「!」
直後、柔らかな感触が触れた。唇の少し横の位置に。
シェリーは私から離れ、座り直す。
「えへへ。惜しかったな~。もうちょっと横だった」
無邪気に笑う彼女を見て、胸が少しだけ締め付けられた気がした。
どうして私は、拒んだことを後悔しているんだろう。
……女同士なんだよ?
「――!」
その時、目の前でとんでもないことが起きた。
「お」
シェリーの反応は非常に薄い。肩紐が両方下がり、服がずり落ちたというのに。
白い下着に包まれた胸が、露わになっている。
「わわわわっ」
私は慌てて、コーチの窓のカーテンを全て閉めた。
目にも留まらぬ速さ。自分で自分の動きに驚いてしまった。
「あはははっ」
何がおかしいのか、シェリーは笑う。そのままの格好で。
「ちょ、ちょっと、早く直して下さいよぉ」
そう言いながら、私は彼女の服を直す。
まったく、なんでこんな服を着てるんだよ。
ストンと全部落ちちゃったらどうするつもりなんだ。
「ありがと。ティナちゃん」
シェリーは、可愛らしく小首を傾げて見せる。
「ティナちゃんって、紳士だね。私、ますます好きになっちゃった」
「えぇ? はあ……」
どう反応すればいいのかわからず、とりあえず笑みを作っておくことにした。
まぁ、たぶん引きつってたと思うけど。
やがて馬車は、見覚えのある建物の前で停車した。
「着いたよ。いつまでもイチャついてないで、さっさと出てきな」
リリアンはそう言って、御者台から飛び降りた。
私とシェリーも、客車から出る。
「わ、私は別に……」
「ふふ。もしかして、見てたの?」
私の弁解を遮り、シェリーはリリアンの横に並ぶ。
「見てないよ。抱き合ってキスしてたところなんて」
見てるじゃん! って、違う違う!
「し、してませんよ!」
「そうだよ。ちょっと横に逸れちゃってさ、口にはできなかったんだ」
「ちょ、シェリーさん?」
ちゃんと否定してよ!
「んなことどうでもいいから、さっさと行くよ」
リリアンは、私とシェリーをじろっと見てから、目の前にある建物へと入っていく。
「あんたたちがそういう関係だってこと、誰にも言わないから安心して」
そんなとんでもない言葉を残しながら。
「ちょっ、誤解ですよ! リリアンさん!」
「ええ~? そんなこと言わないで、ティナちゃん」
などと騒ぎながら、私たちはリリアンの後を追った。
建物の奥へと進み、ある部屋の前で止まる。
廃墟になった集合住宅の中にある診療所。
私はそのドアをノックする。
「開いてるよ~」
中から、聞き覚えのある声が返ってきた。
リリアンがドアを開け、「せんせ~」とずかずか入っていく。
それから少しして、診療所の主が姿を現した。
「ティナちゃん! 久しぶりだね。と言っても、2週間ぶりくらいかな?」
ヨレヨレ白衣姿の、白髪混じりの頼りないおじさんが、なんだか嬉しそうに私を見ている。
「どうも、ルッツさん。あの時は、本当にお世話になりました」
そう挨拶をし、早速本題に入る。
「今日は、また頼みがあってルッツさんに会いに来たんです」
すると、ルッツは何かを察したか、苦笑いを浮かべた。
「またってことは、もしかして、またここで隠れさせてほしいとか、そういうことかな?」
「はい。あ、でも、隠れるのは私じゃないんです」
「え?」
私はルッツに、事情を説明した。
それを最後まで聞いた彼の答えは、「別に構わないよ」だった。
よし。準備は整った。
行動開始は、夜!




