第五話
深い夜に包まれたイベルトの教会の壇上で、神様は一人イスに座っていました。床をじっと見ながら、こんなことを考えています。ぼくはどうするべきだったのだろうか。具体的にそのことについて考えます。でもどの考えにも欠点があって、結局ふりだしに戻ってきてしまうのでした。それでも諦めず、神様は考えます。集中のあまり、外で鳴く虫の声さえ耳に入っていません。そして、近づいてくる足音にさえも気づきませんでした。
神様が人間の存在に気がついたのは、自分に射す月の光がその人間によって遮られたときでした。その人間は手にもっていたナイフを、神様の腹部に突き刺し、すぐに引き抜きました。神様は自分の腹を抱えこむようにして、ごとんと倒れました。その音は、外にいる警備員には聞こえませんでしたが、教会の中にある小部屋には響きました。ゆうたくんとまりちゃんは目を覚まし、ゆっくりと小部屋の扉を開きました。小部屋は壇のすぐ隣にあります。ですから、二人の目にはすぐに月の光を浴びた一人の男と、倒れている神様が飛び込んできたのでした。二人は言葉を失って、その光景にただ目を見開きました。
「こ、これからはおれが神だ……」
男は興奮した様子で神様に言葉をぶつけました。神様は大量の血と汗を流し、息を荒くしています。真っ白な衣装に広がった赤い染みと、自分を刺した男の顔を見て、神様はこういいました。
「そうだ、これでいいのかもしれない……人々が世界と向き合うんだ……みんな、許されるよう願う……みんな……」
神様はそういうと目を瞑り、手を胸の前で組みました。そして、上下していた神様の体はその動きをゆっくりとしたものにしていき、やがて動かなくなりました。神様が動かなくなると、まるでその場の時間が止まったかのようにゆうたくんとまりちゃんと男は動きませんでした。それは、本当に時間が止まったからではなく、神様が発した言葉に動けなくなっていたからです。
男は思います。こいつはなんなんだ。刺されてもなお、恨み言のひとつも吐かないのか。そして、自分が持っている血まみれのナイフを見て、おれはとんでもないことをしたのではないか、と恐怖します。
そこで、教会に動けなくなっていたまりちゃんの悲鳴が響きます。男は驚き、まりちゃんの方を向きます。ゆうたくんは血まみれのナイフを見て、スベニアで自分に向けられたナイフ以上の恐怖を感じました。ですが、今男が視線を向けているのはまりちゃんです。ゆうたくんはなんとしてもその視線をまりちゃんから外したくて、まりちゃんの前に立ちました。
男は、見られたのか、と焦りました。ですがすぐに思い直します。もはや魔法の制御をしていた神はいない。おれはなんでもできる。男は二人に向けて殺人的な魔法を放とうとします。ですが、魔法は放たれません。魔法は神様がいたからこそ成り立っていたものだからです。ゆうたくんとまりちゃんを除いて、人々はみな、神様は善悪を判断する者でしかないと思っていたのです。今度こそ男は本当に焦り、驚き、恐怖しました。そして、自分が持っている血まみれのナイフを見て、恐怖を形として感じました。声をあげてナイフを投げ捨て、男は逃げ出しました。そこに、まりちゃんの悲鳴を聞いて駆けつけた警備員によって、男は捕まえられました。ゆうたくんとまりちゃんはそのあとぼろぼろと泣いていたので、警備員が近くの部屋で休ませてくれました。
神様が死んだというニュースが流れて混乱の包まれた世界の中、ゆうたくんとまりちゃんはイベルトの人にモンストまで送ってもらいました。モンストの人々もまた混乱していましたが、事件が起こるわけでもなく、混乱しているだけで済んでいました。また、魔法が使えなくなったことによる混乱もありましたが、それはそれほど大きくはならなかったようです。
「移動が面倒になっちゃったねえ」と上村さんがいい、「洗濯も自分でしなきゃねえ」と森さんがいい、「うふふ」と占いおばあさんが水晶玉を撫でるのでした。
それから10年、世界は少し変わりました。まず悪人が増えました。ですが、世界のほとんどの人は神様の信者であったので、悪人は社会から除け者扱いされ、あまり多くはなりませんでした。さらに、今までは魔法を持った善人が悪人を裁いていた分、法律も厳しくなったのでやはり悪人は少ないのでした。そして、神様の教えの中に、魔法を使わなければ事業が成り立たない企業を作ってはいけない、というものがあったので、経済的な打撃はありませんでした。神様は、その頃からすでに魔法が使われることに疑問を抱いていたのかもしれません。むしろ魔法で便利になっていた分を技術で補うようになったので、経済は活性化したくらいです。モンストにも少ないながらも店ができて、家には車が置かれるようになりました。そこに至るまでには色々ないざこざがありましたが、結局今はそのような形で落ち着いています。
そして、10年前と同じようにモンストの中心には木が堂々と立っていて、その下に二つの影はあるのでした。
「18歳の誕生日、おめでとう」
「うん」
今日はゆうたくんの18歳の誕生日です。まりちゃんがぎこちなく祝福します。そしてしばらくの沈黙が流れて、まりちゃんがゆっくり切り出します。
「もうあれから10年だね」
「ぼくたちも魔法を使えるはずの歳になったね」
まりちゃんが少し顔を赤らめて、静かになります。ゆうたくんはまりちゃんが喋りだすのを待ちました。
「……あたしあのとき、ゆうたくんとずっと一緒にいたいなと思ってたんだ」
「……そうなんだ」
「もしも魔法が使えるままだったら、あたしはすごく嫌だったと思う。なんでだかわかる?」
「……わからない」
ゆうたくんは嘘をつきました。まりちゃんが何をいうのか、わかっています。ですが、恥ずかくて黙っていました。
「もし神様に許されなかったら、あたしはゆうたくんと一緒にいようとは思わなかったかもしれない。逆に神様に許されて魔法の力でゆうたくんと一緒にいても、ゆうたくんの意思はどこにもない。それでもあたしは多分幸せになれちゃう。……その幸せに追い詰められて、あたしは自殺してたかもしれない」
ゆうたくんは黙ります。
「でも、魔法がない今、あたしは本当の答えを知ることができる。……ゆうたくん、聞かせて」
ゆうたくんはまた黙ります。お互い見つめ合って、時間が止まったように動きません。モンストの町が動いているのを感じられなくなるくらいになったとき、ゆうたくんがため息をつきました。まりちゃんが少し震えます。ゆうたくんはすっと口を開きました。
「ぼくには悪いところがたくさんある。きっと、まりちゃんもそう思ってると思う。でも、そんなぼくを許してくれるなら、ぼくはまりちゃんに許してほしい」
まりちゃんは目に涙を浮かべ、微笑んで見せました。
「ありがとう。ゆうたくんも、あたしのこと許してくれる?」
「許すよ」
二人は抱き合って、キスを交わしました。こうやって二人は結ばれ、許されあったのでした。
許されあった二人に、神様は何を思うのでしょう。それは、神様にしかわからないかもしれません。神様が神様として生き、神様としての経験を経て得られたものというのは、きっと他人にはわからないでしょう。
それでも、魔法がない世界で、魔法のように許されあった二人は、神様の祈りそのものだったのではないでしょうか。それは神様を幸せにさせたことでしょう。
人は魔法を与えられずとも魔法を使えるんだ。神様のそんな声が聞こえるようです。もしも、神様が本当にそういったのなら。
神様もまた、許されたのでしょう。




