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ランプ  作者: YOU
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 「お前はいらない」と言われたのは、小学四年生のときだった。

 特に深い意味が込められていたわけでも、僕がひどい苛めを受けていたわけでもない。

 ただ単に、それはチーム分けのときに発された言葉だった。

 ドッジボールはボールをぶつけ合って残り人数で競う競技だから、チームを二つに分ける必要がある。参加希望者の中でもとりわけ体格がよく、運動が得意な二人が「取り合いこ」と言いながらジャンケンし、勝ったほうから自チームのメンバーを選んでいくのだけれど、そこにいた人数が奇数だった場合、さらに最後に特別なルールが加わる。「いるいらん」というジャンケンで、最後に残った一人を、どちらが引き取るか決めるのだ。はっきり言って、僕は運動神経が鈍い。だからそのときも、当然のように僕が残った。

 今思えば、あのジャンケンはひどく酷なものだったのではないだろうか。一人の人間の必要性を、その人物が自分にとって必要なのか、それとも不要なのか、それを本人の目の前で明らかにする。子供だから、その物言いに遠慮はない。

 その言葉を聞いたとき、僕は、深く、深く傷ついた。自殺しよう、と思った。嘘だ。僕にとって「不要だ」と伝えられるのは日常の風景であり、それでも多少は動揺したに違いないが、やはりいつものことだった。だから僕はおどけてくねくねと気持ち悪い動きをし、「後悔するぜ」と言ったのだが、はて、彼らはそれに、何と応えたのだったか。「馬っ鹿じゃねえの」と鼻で笑われた気もするし、みんながくねくねと僕の動きを真似し、「後悔するぜえ」と復唱されたような気もする。しかし、「ごめん、僕が間違ってた」と謝られ、チームに迎え入れられたのではなかったのは確かだ。

 その後僕のくねくねダンスは、学校で流行った。




 だから目の前の男が「お前はいらない」と口にしたとき、僕は得意のくねくねダンスを披露し、「後悔するぜ」と言ってみた。二十年近くたった今でも、身体が覚えているものだな、と我ながら感心する。

「しねえよ」

「いや、するって」

「おちょくってんのか? だいたい敬語を使え、敬語を」

 男は不満げに唸った。この男は、そうだ、僕の上司で、部長だ。こんな男が自分より位が上だなんて信じらんないと、僕は冴えない中年を眺めながら考える。肌寒くなってきたこの季節にも汗をたらたら流し、机につくなり眠り、部下に対するときのみ尊大な態度をとるこの男に比べれば、自分のほうが余程有用な働きをしているはずなのに。

「で、何か御用ですか」

「は? 混乱してんのか? そうか混乱してんだな」勝手に自己完結し、にんまりと笑っている部長は気持ちが悪い。僕のダンスよりも、だ。

「本当に覚えてないのか」

「何がですか」

「お前はクビだ、って言ったんだよ」

「え」突然の情報に、僕は戸惑う。「なんで」

 部長は立ち上がり、僕の頬をペチペチと叩いた。「おい、マジで覚えてねえのか。ここがどこか分かるか」

 言われて、僕は周囲を見回した。オフィスが広がっている。オーソドックスなスチールデスクが二十ほど、余裕を持って並べられていて、机についている社員の何人かは、心配そうにこちらを見つめていた。西向きに設えられた全面ガラス張りの窓からは、初秋の心地よい夕日がふんわりと差し込み、部屋全体を茜色に染めていた。

 僕の仕事場だ。

「クビって、どういうことですか」思えば、そんなことを言われた気がしないでもない。僕のくねくねダンスは部長に受けなかったな、とぼんやり考えた。

「クビは、クビだ。リストラクチュアリング」

「そうじゃなくて、理由のほう」

「知らねえよ、そんなこと。クビは、クビだ」

「そんな」無責任だ、と僕は思ったが、部長は全く気にする様子がない。気に入ったのか、クビは、クビ、と何度も繰り返して、はしゃいでいる。

「僕はどうなるんですか」

「お前、そりゃあ、クビなんだから、辞めるんだよ。無職だ」

「無職の僕は、どうなるんですか」

「無職の僕は、職を探すんだよ。それか、マッチを売るとか」

「なんですかそれ」部長は真面目に答える気がないようだ。

「街角でな、マッチを売るんだよ。『マッチはいらんですかあ』ってな。秋葉原あたりだったら、意外と売れるかもしれんな。なあ、いそうじゃないか、マッチ売り少女のファン」

「僕は少女じゃないですよ」と返して、ため息をつく。「職、見つかると思ってるんですか」

「知らねえよ。あるんじゃねえか、探したら」

「どこにですか」

「どっかだよ」そう言って、部長は椅子の背もたれにふんぞり返った。「あのな、お前の再就職のことを俺に聞いてどうするんだよ。俺は確かにお前らより偉いけど、仕事以外のことで俺に指示を仰ぐなよ」

 それでいてまんざらでもないといった表情を浮かべる部長に、僕は呆れる。彼に指示を仰いだとて、与えられるのはアドバイスや労いの言葉ではない。努力が足りないんじゃないのか、とまともに取り合おうとせず、それでもしつこく言葉を重ねていると、知らねえよ、と開き直る始末だ。

 この男に何を聞いても、有益な情報は得られないだろうな、と僕は思った。

「とにかくだ」と部長は喋り出した。「上からの指示が来て、お前は辞めなきゃならない。そこまではいいよな?」

「よくないですよ」

「いいんだよ。で、だ」部長はおもむろに机の上を漁り始めた。いい加減なこの男が、整理整頓の意味を知っているはずもなく、仕事においてもそれは例外ではない。部長が、「あった」と言って何かを引っ張り出した途端、バランスが崩れたのか、積み上げられた書類の山がみるみるうちに床へと滑り落ちた。廃ビルをダイナマイトで破壊するときのような、あっさりとした崩れ方だった。したり顔で何かを手渡してくる部長の顔に、気にする素振りはない。きっと、日常茶飯事なのだろう。

「なんです、これ」どうやら封筒になっているようだったので、中を覗いてみると、薄っぺらい紙が一枚入っていた。指を差し込んで取り出す。

「上からの配慮だ。自主退社ってやつだな」

 僕は固まった。

「辞表ですか」

「履歴書に残るからな、リストラは。嫌だろう、それは」

 辞めるのが嫌なんだよ、勝手に話進めんじゃねえよ、と暴れ出したい衝動に駆られるが、もちろんそんなことはしない。そうしてしまえば、いよいよ終わりだ。

 部長、と声をかけようとしたそのとき、ちょうどチャイムが鳴った。勤務時間終了の合図だ。残業しないことを美徳としている部長は、鞄に荷物を放り込み始めた。

「あの、部長」

「あん? 話は終わりだ、帰れ帰れ」

「帰れないです。それって、もう決まったことなんですか」生活がかかっている僕は必死だ。

「決まりだ、決まり。お前はいらない」

「なんでですか」そう言いながらも、身体はくねくねダンスを始めようとしている。こんな大事なときに、この身体は一体何がしたいんだ、と自分に苛立つ。

「なんでって、なんでだろうな? 俺は別にどっちでもいいんだがな」

「だったら助けて下さいよ」

「知らねえよ。自分でなんとかしろ」

 部長は立ち上がった。床に散らばっている書類を片付ける気はないようだ。躊躇いもなく踏みつけながら、扉に向かおうとする。

「待って下さいよ」

「離せ。時間になってるだろうが」部長が力を込めて、肩にかけられた僕の手を払った。足元がぐらつく感覚がし、よろめいて尻餅をついてしまう。

 いつの間にか、オフィスにいる全員が僕に注目していた。何人かは、立ち上がってさえいる。なんだよ、見せ物じゃねえんだ、見てんじゃねえよ、と怒鳴ろうとしたが、喉の奥からかすれた不協和音が漏れ出ただけだった。

「あ」扉の敷居を跨いだところで、部長がこちらを振り向いた。座り込んだままの僕は、少し期待する。確かこういうシーンでは、重要なセリフが放たれるのだ。刑事コロンボがいい例だ。

「お前」部長が僕を指差す。「明日、辞表忘れんなよ」

 え、そんなこと、と僕は呆然とした。全然、事件解決の糸口にならないじゃないか。どういうこと、コロンボ。

 部長は完全に僕のほうへ向き直った。たるんだ腹が、プリンのような揺れ方をする。

「お前は、クビだ、高島」名探偵にでもなったつもりだろうか、犯人を名指しするときのように、高らかに僕の名を呼んだ部長は、くるりと向きを換えると、今度こそ出て行った。

 僕は一人小さく、「後悔するぜ」と呟くことしかできなかった。


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