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五幕


 サンアット公が死んだ。

 原因不明の病に侵された公爵は、王都より呼び寄せた腕利きの医者達の懸命な処置の甲斐もなくこの世を去った。

 町の人々は手放しでそれを喜んだ。

 公爵は地獄に堕ちたのだと皆口を揃えて歌い踊った。

 公爵の子息であるリデラは、サンアット公の葬儀などもろもろの手続きを終えると、夕闇迫る中、ハンミルの丘へと足を運んだ。

 丘の空気はリデラに纏わりついてくる。まるで、立ち入るなとでも言いたげな重い空気に一瞬足を止めるが、顔を引き締めて歩を進めた。

 丘の頂には大きな樹木が佇んでいる。その横には小さな十字架があった。

 リデラは持ってきた花束をその十字架に供える。彼は地面へと掌を置いた。

「その墓を、幼い少女は一人で掘った」

 唐突に、リデラの隣に少年が現れた。気配など微塵も感じさせず現れた少年に、リデラは警戒を示す。

 それに頓着せず、少年は指を鳴らす。すると、樹木の下に泥にまみれたショベルが現れた。ショベルの柄の部分は変色した血がついている。

「……天涯孤独となった少女は、町の広場にある処刑台から両親の死体を担いでハンミルの丘までやって来た。幼い少女に棺など準備出来るはずもなく、彼女は両親のためにそこにあるショベルで穴を掘り、埋葬した。固い土を掘る度に、少女の手は豆が出来、潰れて血に塗れた」

 少年は続ける。

「十字架も何も立てられない少女に僕は――ハンミルの亡霊は十字架を送った。……君の父は、この丘に眠る人々を踏みにじった。その上にある富はとても罪深いもの。そう思わないか、リデラ・ユリバ・サンアット」

 リデラは少年と向かい合う。

 自らをハンミルの亡霊と称したこの少年を、リデラは一度だけ目にしたことがある。スーザンを追ってこの丘に来た帰り、振り向いた時に彼が樹上にいるのを見た。

 少年の名はドラクロア・ハンミル。

 町の噂で聞いた。サンアット公が滅ぼした、この町の前領主であるハンミル公爵の血筋を受け継ぐ者。

 本来ならば慕われるはずだが、彼はその姿から町民達より()み嫌われている。

 赤目は悪魔に身を売った者の証。その目を長く見ていると呪われると人々は噂していた。

 リデラもドラクロアも、しばらくの間無言だった。

 ドラクロアは踵を返す。シルクハットを目深に被った彼の表情は読み取れない。

「リデラ、もし良かったらお茶でもしないかい。僕の小屋へ招待しよう」

「……ああ。それじゃあ、お言葉に甘えて」

 ドラクロアは丸太小屋の戸を開けて中へ入った。リデラもそれに続く。

 次の瞬間、この世のものと思えない奇声が耳に響いた。リデラは反射的に耳を塞いだが、目に入った壮絶なものに愕然とした。

 亡霊だ。

 彼らはリデラを今にも殺さんばかりに飛びかかってくる。

 しかし、それをドラクロアが制止した。

「客人だ、やめろ」

 ドラクロアの声に亡霊は幾分静かになる。しかし、奇声はなくなったものの、亡霊達のうめき声が小屋中に充満していた。彼らは一様に、リデラをギラギラした目で睨んでいる。

「死んだハンミル家の人々だ。許してほしい」

 ああ、とリデラは頭を抱えた。

 彼らはリデラを憎む正当な権利を有している。リデラの父であるサンアット公は、ハンミル一族を罠にかけて失脚させたのだから。没落貴族がその後どういった道を辿るのかはリデラも知っている。

 何人も、何十人も、そんな人々を王都で見てきた。

 彼らは怨みつらみの中で生涯を終える。飢えや渇きの中、自ら喉を掻き切って死ぬ者もいた。

 ドラクロアは木で出来た簡素なテーブルにティーカップを二つ置き、その中に紅茶を注ぐ。芳醇な香りが匂い立つ。

「安心していい、毒なんて入っていないから」

 笑ってドラクロアは言った。

 リデラはティーカップに口を寄せる。それを飲み干すと、胸が温まった。

 ドラクロアも優雅に紅茶を飲んだ。洗練された動作は貴族の片鱗を垣間見せた。

「僕はね、生まれた時より赤目だったんだ」

 リデラは驚いて紅茶を零しそうになった。

「生まれた時から? そんな話、聞いたことがない」

 赤目になるのは、悪魔に魂を売った者のみ。それ以外の事例はないはずだった。

 ドラクロアは瞑目する。

「ハンミル一族の憎悪は凄まじかったんだ。それがまだ胎児だった僕に凝縮されてしまった。僕が赤目として生まれた時、一族の者は狂喜したらしいよ。これでサンアット家を滅ぼせるって。でも、彼らは知らず知らずに何体もの悪魔と契約していた。……悪魔と契約する代償は彼らの生命。全員、僕が物心つく頃には死んでしまった。一族も馬鹿なことをしたものだ」

「…………」

 リデラには何も言えなかった。ドラクロアは紅蓮の双眸をリデラへ向ける。

「次期サンアット公になる君は、この事実を知っておく義務と権利がある。多くの憎悪の上に成り立つ君の地位が、どれほど脆弱(ぜいじゃく)で危険かということを」

 小屋のすみに集まっていた亡霊達が騒ぎ出す。ドラクロアは再び彼らを制した。亡霊達は恨めしげにドラクロアを見る。

「死者はまだいい。僕が抑えると約束しよう。それがハンミルの生き残りとして出来る唯一のこと。けれど、生者は抑えられない。足許をすくわれないように気をつけることだ。例えば――――――」

 リデラの目が見開く。ドラクロアは紅い目を伏せて頷いた。

「そんな……」

「信じたくないなら、信じなくてもいい。でも、忠告はした。どう行動するかは君次第だ」

 おぼつかない足取りでリデラはハンミルの丘を下った。ちょうど丘の前に馬車が止まっている。中からボルドが出て来て、リデラへ歩み寄って来た。

「リデラ様、いきなりお姿を消されたので心配しました。……どうなされたのですか、随分顔色が……」

「何でもない。気にするな」

 差し出されたボルドの手を払い、リデラは馬車へと乗り込んだ。


 ◆ ◆ ◆


「今日は皆休みだっ」

 晴れ晴れとした笑顔で、チェインは朝食の折にそう言った。

 皆、やんやと騒いでいる。

 本日、リデラの着任式があるのだ。

 この町の領主であった先代サンアット公が死去したため、息子であるリデラが町の領主となる。そのための式典だ。

 小さな町は数日前から大勢の人でごった返している。リデラを一目でも見ようと王都からも多くの人が押し掛けて来たのだ。

 リデラの美貌は人を呼び寄せる。さすが王族の血筋を継ぐ方だと吟遊詩人は唄う。

 スーザンは嬉しそうな仲間達の顔を見回した。

 当初リデラのことを憎んでいた彼らはもうどこにもいない。

 皆、リデラならいい領主になってくれると期待を寄せていた。

 ランスと目が合う。彼は白い歯を見せて笑った。彼もまた、リデラが領主になることを歓迎しているのだろう。

 町のメインストリートでは、盛大なパレートが催されている。ストリート・チルドレン達はワッと陽気な町に飛び出した。

 スーザンはランスと一緒に行動していたのだが、その最中、偶然にもカトレア夫人を見かけた。

 カトレア夫人もスーザンに気付いて親しげに話しかけてくる。

 彼女の手がスーザンの頬に添えられた。びくりと体が硬直する。

「お久しぶり、スーザン。元気にしていた?」

 優しげなアイスブルーの瞳。すっと通った鼻梁(びりょう)に小さな唇。均整のとれた顔立ちをしているカトレア夫人は慈悲深い表情を形成してスーザンを見る。

 しかし、スーザンにとってみれば、彼女は両親が死んだ時に自分の頬を張った人でしかない。

 スーザンが怖がっているのを察したのか、ランスはスーザンの手を引いてカトレア夫人から引き離しにかかった。

「スーザン、リデラに会いに行こう。アイツこの間家に来た時、すごくスーザンに会いたがってた」

「……あなた達、リデラ・ユリバ・サンアットと交流があるの?」

 カトレア夫人の問いに、ランスは胸を張って大きく頷いた。

「そうさ、アイツはボク達の家へよく足を運んでくれるんだ」

 カトレア夫人は、本当かと言いたげな視線をスーザンに送る。スーザンは控え目に頷いた。

「そう」

 艶やかな微笑を湛えてカトレア夫人は呟いた。彼女は足取り軽くその場を去った。

 黒いレースの日傘が明るく華やかなパレードの中浮いていた。

 ランスは、半ば無理やりスーザンをリデラがいるところまで引っ張った。

 リデラは広場の噴水の前で皆に取り囲まれている。一人一人と握手を交わす彼に声をかける度胸は持ち合わせていない。

 結局、スーザンはランスとリデラが話しているのを遠巻きに見守ることにした。

 ランスが人ごみを掻き分けて戻ってきた際、スーザンとリデラの視線が交錯した。

 リデラは人々の合間を縫ってスーザンの方へ近づいてくる。

 スーザンは思わずランスの手を乱暴に掴むと、踵を返して逃げ出した。 

 息が、苦しかった。


 ◆ ◆ ◆


「スーザン、ランス。お客さんだぞ」

 リデラの着任式が無事成功したその日の晩。スーザンやランス達が居間でくつろいでいると、チェインがそう声をかけてきた。

 スーザンとランスは顔を見合わせて首を捻る。

 不審感いっぱいに玄関へ出ると、そこには黒ずくめの紳士達がいた。彼らは形式的な微笑を浮かべた。




 さあ、饗宴(きょうえん)が始まる。

 主役の前に現れた道化は言う。

 逃げて、と。

 しかし主役は道化の言うことに耳を貸さない。

 主役が栄光を手にした瞬間、舞台は暗転。

 舞台の袖に控える者達はただ沈黙を守るのみ。







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