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二幕


 感情の抑揚がない冷えた瞳に驚き、リデラは飛び起きた。寝着が汗で湿っている。

「くそっ」

 奥歯を噛みしめ、毛布を叩いた。やり場のない怒りは虚しく部屋に木霊す。

 花売り少女は、夢にまで出て来た。その顔は憎悪で満ちていた。

 今まで――王都にいる時でさえ、向けられる憎悪に痛みを覚えたことなどなかった。

「一体、何なんだ」

 天蓋付きのベッドは、体が沈む程に柔らかい。広く、彫像品が丁度良いバランスで配置された豪奢な部屋の中、リデラは項垂れた。

 何日経っても少女の顔はリデラの脳裏にこびりついて離れない。

 食事も満足に喉を通らない彼に、ボルドが不安顔で訊いた。

「何か、あったのですか。町に出てから、様子がおかしいですが」

「……何でもない」

「何事もないなら、あの大食らいのリデラ様が食事を食べないことがあるわけないでしょう。外に出ることさえせず、ぼんやり外を眺めている貴方様など空恐ろしい」

 ボルドお得意の、棘を内包した言葉にも反応を示さず、普段着に袖を通す。

 姿鏡に映る自分を眺める。もしも、リデラが平民と同じ服を着ても、平民に見えることはないだろう。抜けるような白肌は野良仕事をしてない者だけが持ち得る物だ。

「スーザン・アルファース」

 ボルドが突然呟いた。

 怪訝な表情で、リデラは彼を見やる。ボルドは、微笑を浮かべた。

「リデラ様に真正面から啖呵を切った、少女の名前でございます」

 その言葉に、リデラの双眸が驚きで丸くなる。彼の表情の変化を楽しみつつ、ボルドは続けた。

「天涯孤独で、今はストリート・チルドレンが集まって暮らしている家に住んでいるようです」

 いつの間に調べたんだ、と悪態を吐けば、返ってきたのは意外な事実だった。

「アルファース夫妻は、サンアット家に仕えておりました。私めも執事頭をしていたので、よく存じ上げております」

 リデラの眉が動く。窓辺に置かれた白いテーブルへ片手をついた。

「夫妻に不幸があったのなら、その雇主であるサンアット家が引き取れば――……」

 リデラを制してボルドは首を振り、さも痛ましいこととでも言いたげに、瞳を閉じた。

「アルファース夫妻は、収賄の罪で二年前に処刑されたそうです」

 処刑。

 その言葉に、リデラの思考は固まった。薄いカーテンが、春風を運び入れてたおやかに舞う。

「何でも、王家よりお借りしていた宝石を盗み、闇市に売ったらしいです」

「本当に、アルファース夫妻が盗んだのか?」

 疑惑を(はら)んだ質問に答えず、ただボルドは微笑を浮かべた。

 リデラは、エメラルドの瞳を窓外へやる。町は今日もたくさんの人で溢れているようだった。

 サンアット家の城がある丘とは対となるハンミルの丘に目が行く。数多の墓が整然と建ち並んでいる様は、彼を震撼させた。墓場の中にある、廃墟のような小屋から誰かがこちらを覗いている気がしてならなかった。


 ◆ ◆ ◆


 夕暮れであるのに、陽射しが強い。季節は春。だが、夏同然の猛暑日である。

 リデラは、引っかけてきた上着を脱いで、小脇に抱えた。オレンジの光が肌を刺す。首筋に汗が伝う。

 半ばボルドに追い出される形で、町民達が黒き城と噂する邸宅を出たリデラは、町を見て回っていた。

「貴族のお兄さん」

 リデラは嘆息し、声を掛けてきた娘に視線を向ける。

 目立ちたくない一心で、わざわざ夕方を選んで町へ足を運んだのだ――だから誰とも話さないぞ、と無視を決め込もうとするリデラの肩を、娘は臆面もなく叩いてきた。

 年の頃合いは十二そこそこだろう。娘は人好きする笑い顔を貼り付けて、リデラの行く手を遮る。

「眉間に皺寄せてないで、市場を楽しんでってよ。びっくりするような掘り出し物があったりするんだから!」

「あ、ああ。そうだな、そのとおりだ」

 娘の勢いに押され、リデラはたじろぐ。彼女はそんなリデラの様子を見て、いい獲物を見つけたとばかりにカゴから数本の花を取り出すと、それをリデラの目鼻先に突き出した。

「ついでに、この花も買っていって」

 何て不躾な娘なんだと思ったが、代金を支払った。

「……ここであったのも何かの縁だ。カゴの中の花、全部買ってやる」

 そう言うと、娘の顔は華やいだ。嬉しい気持ちを体現するかのように飛び跳ねる。

「ありがとう! さすがお兄さん、太っ腹ね。あ、もし……良かったら、私の友達の花も買って頂戴」

 有無を言わせない強い眼差しで、リデラの腕を娘は引っ張る。そのしたたかさで、今まで逞しく生きてきたのだろう。

「わかった。だから……引っ張るな」

 娘がリデラを案内したのは、噴水広場であった。そこは人々や動物達の憩いの場になっているらしく、活気がある。

「私の友達ね、筋金入りの愛想のなさが災いして、花を買ってもらえないの」

「そうか」

 ――愛想のない花売りの少女。

 数日前に見かけた娘も、無愛想だったなと思い出す。木偶の坊の如く突っ立って、笑顔一つ見せずに道行く人に花を突き出していた。

 見ているうちに憐れに思い、リデラは彼女に声をかけたのだ。

 しかし、言い方が悪かった。少女は貴族の施しなど要らぬと言い捨てて走り去った。

 リデラはその光景を思い出し、苦虫を潰したような顔をする。

「あ、いたいたっ」

 娘がいきなり駆け出す。娘は噴水の縁に座っている少女に近寄った。

 鳩を膝に乗せた少女が、こちらを見る。

 視線が絡まった。

 ペリドット色の瞳を持つ少女は、すっくと立ち上がった。鳩が羽音高らかに舞い上がる。

「スーザン!」

 娘が大きく諫めの声を上げたが、スーザンが立ち止まることはなかった。スーザンの残した花カゴには、萎れた花がびっしり詰まっている。

「おい、待て!」

 反射的にリデラは、困惑した表情で立ち竦む娘を押し退け、スーザンの後を追った。



 長閑(のどか)な小路が続く。自分の屋敷とは反対方向に走って行くスーザンを、リデラは必死で追いかけた。

 何故、ただの花売りの少女を追いかけているのか自分でもわからない。本能とでも言おうか。足が勝手に動いていた。

 ハンミルの丘と呼ばれる小高い場所(おか)を、リデラは生まれて初めて踏みしめる。幼年期より王都で養育された彼は、この土地に(うと)い。噴き出る額の汗を拭いながら、墓が建ち並ぶ丘を登った。

「おい」

 丘の頂にある大樹に手を添え、呼吸を整えていたスーザンの肩が緊張する。彼女は、リデラの方を向こうとはしない。

 スーザンは、丘全体を監視する役割を持つかのように鎮座する丸太小屋へ駆け寄り、激しくドアを叩いた。二人の間に流れる空気は緊縛していた。

「ドラクロア、お願い。いるんだったら入れて」

 落ち着いた声音ながら、焦燥感が滲み出ている。

 ドアが開く気配はない。

 スーザンの張り詰めた息遣いだけが、その場に充満する。風さえ息を殺している。鳥や虫の(さえず)ずりさえ聞こえてこない。

 リデラは、ゆっくりと歩を進めて、スーザンの真後ろに立った。

「何故、逃げる」

 その言葉に、スーザンは豊かな髪をはためかせて振り向いた。

 少女の瞳には色んな感情が入り混じっていた。苦しげにも見える。

「あなたは、ここに来てはいけなかった。ずっと、あの黒い城で笑っていれば良かったのに」

 リデラは、頬が朱まるのを感じた。

 平民に自分達貴族がお気楽暮らしをしていると思われているのは自覚していたが、この幼い面差しの少女にだけは、わかって欲しかった。自らの苦しみや葛藤を。

 利己的だと思いながらも、言葉が洪水の如く紡がれていく。

「僕だって、お前達を陥れる父上に、何も思わないわけじゃない。この領地の税は異常だ。ずっと王都で暮らしてきた僕には、痛い程よくわかる。スーザン、お前が僕を毛嫌いするは――サンアット公の血を引くからなのか。それとも、貴族だからなのか」

 (ゆる)しを乞うかの如く、問う。自分になびいてくれない、愛しい人へ言う文句のようだ。胸部を分厚い板で圧迫したかのような苦しさが募る。

 ――――スーザンには、嫌われたくない。

 そう自分が思っていることは間違いなかった。

 スーザンは、視線を宙に游がせて口を開く。何か、言葉を捜しているようだった。

 リデラは彼女が話し出すのを、固唾を呑んで待った。

 永遠の一瞬。彼女は、とつとつと話し出した。

「あなたは、この丘に埋葬されている人々がどうして死んだのか知っている?」

「……いや……」

 リデラが答えると、細く長い溜め息がスーザンの唇より零れた。彼女は俯き、淡々と語る。

「この丘には領主が殺した人々が眠っている。あなたのお父さんは、私の両親も含めてたくさんの無実の人を殺したの」

「……無実の人……」

 真実は、ダイアモンドで出来た剣より鋭く、リデラの心臓を(えぐ)る。

「そう。ある人が言ってた。私の両親はあなたの叔父の罪を肩代わりさせられたんだって。嘘だと思ってもいい。私は本当だと信じているから」

 リデラは、二の句が繋げなかった。思考回路が乱れる。強い風が吹いた。

 スーザンは表情を変えることなく、小屋の扉に凭れ掛かったまま喋り続けた。

 リデラの父であるサンアット公の仕打ち、平民達の悲鳴、死者の嘆き、荒廃していく田畑。

 どの事実も、リデラには重かった。どれだけ自分が無知で、温かい毛布にくるまれて育ったかがよくわかった。

 のうのうと生きていた。

 どうにかしたいと現状にもがいてみても、本気で脱け出すつもりなど更々なく。安穏な生活に満足していた。

 苦しみ(あえ)ぐ人々がいるのをわかっていながら、何も知ろうとしなかった自分が恥ずかしいと思った。

「だから、その息子であるあなたとは、あまり会話したくな――――」

 俯いていたスーザンが、ゆっくりと顔を上げた。声が止む。

 彼女が鈍器で殴りつけられたような顔をしたのは何故なのか、すぐ見当がついた。

 リデラは泣いていた。

 自身、すぐには気付けなかったが、慌ててスーザンから目を逸らして乱暴に手の甲で涙を拭う。

「すまない」

 そう言い残し、来た道を引き返した。涙は、ひっきりなしに流れ続けた。両脇にある数多の墓が、リデラを責めているように感じる。

 丘を下り終わったところで、一度だけ振り返った。

 頂上にただ一本生えている太い樹木の枝に、少年が腰かけているのが目に入った。

 燕尾服姿の彼は、目深に被っていたシルクハットを取り去る。

 それを空中で踊らせながら、彼はリデラをじっと見つめていた。

 煉獄(れんごく)の炎を思わせる眼と闇色の髪は、少年の端整な顔立ちと相まって、浮世離れした印象を与える。

 遠目であるにも関わらず、少年の姿が克明に見える。リデラはそれ程、目が良いわけではない。しかし、見えてしまう。

 少年は笑みを洩らすと、木の枝から飛び降りた。

 スーザンが口にしていた〝ドラクロア〟は彼なのだろうと漠然と感じた。


 ◆ ◆ ◆


 涙を溜めた瞳がこちらを見た時、既に全ては決まっていたのかもしれない。素直過ぎるその心に映し出された自分は、どんなに歪んでいたことだろう。

 殺せ、殺せ、殺せ。

 屍の吐く腐敗臭が宣う。

 ひび割れた舞台の上で独り歌うは、劇の主役。彼が声嗄れうずくまるまで、悲痛なメロディは止まない。


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