雨の日にだけ現れるキミ
彼女に初めて会ったのは、激しい雨が降るバス停だった。
世界は雨のカーテンに覆われ、少し離れた景色さえも曖昧にぼやけている。
僕はため息をつき、傘についた滴を振り払った。
地面に落ちた水滴は、すぐに小さな水溜まりを作る。
揺れる水面には、隣に座る整った横顔が映り込んでいた。
僕は無意識に顔を向ける。
彼女は、そこにいた。
ベンチに座り、どこか憂いを帯びた表情で遠くを見つめている。
真っ白な肌と、深い藍色の制服の対比が鮮やかだった。
その光景があまりに美しくて、僕は一瞬、呼吸を忘れた。
「急にこんなに降るなんて、困っちゃいますね」
話しかけるきっかけを作るため、僕は少しぎこちない挨拶を絞り出した。
彼女は視線を戻し、僕を見た。
一瞬驚いたような顔をした後、ふわりと微笑む。
「ええ、そうね。少し困っちゃうわ」
僕は必死に話題を探した。
誰かと話をするために、これほど努力したのは初めてのことだった。
「雨は好きですか?」
「雨音は好きよ。でも、濡れるのはあんまり好きじゃないかな」
「濡れるのが好きな人なんて、滅多にいないでしょうね」
彼女は小さく笑った。
「雨音って、聞いてるだけで落ち着くと思いませんか?」
「ええ。雨の音とか焚き火の音を、たまに寝る時のBGMにしてます」
「焚き火の音なんて、、普段なかなか聞く機会がありませんよね」
「でも雨の音なら、降るのを待てばいいだけですから」
「毎日降るわけじゃないけれどね」
「それもそうですね」
僕たちはそんな他愛もない話を、バスが来るまで続けた。
一度きりの短い出会いだと思っていた。
けれど、二度目があるなんて思いもしなかった。
同じバス停で。
そして、やはり雨の日だった。
「こんにちは」
探りを入れるように声をかける。
彼女は僕を一度見つめ、少し考えるような仕草を見せた。
「あなたは……この前の?」
それから、笑みを浮かべる。
「今日も雨ですね」
「そうですね」
僕も笑って返した。
「そのおかげで、また会えました」
バスが来るまでの間、僕たちはまたしばらく語り合った。
お互いの趣味や、最近あったちょっとした出来事について。
これは偶然の出会いなのだと言い聞かせ、僕は彼女の名前を聞かなかった。
彼女もまた、どこか暗黙の了解のように、僕の名前を聞かなかった。
ただ今この瞬間、同じバス停に座っている。
それだけで十分だというように。
ただ、彼女に会うときはいつも雨だった。
だから僕は、心の中で彼女にあだ名をつけた。
——雨さん。
高校時代に始まったその出会いから、雨が降る日には、
僕は決まってあのバス停で雨さんを見かけるようになった。
いつからか、空から雨が落ち始めると、
自然と足取りが軽くなるようになった。
天気予報で「明日は雨」と聞くと、つい気にしてしまう。
ただ、一つだけ気になることがあった。
そのあだ名の通り——
僕は晴れた日に彼女を見たことが一度もなかったのだ。
もちろん、雨の日は自転車に乗りにくいとか、
そういう理由なのかもしれない。
僕は深く考えなかった。
ただ純粋に、雨のバス停で彼女と過ごす時間を楽しんでいた。
大学生になるまでは。
大学は場所が離れ、あのバス停を通ることも少なくなった。
忙しく充実した大学生活の中で、それでも時折、あの雨の時間を思い出した。
ある日、ふと思い立って、
休日にかつての時間に合わせてあのバス停へ戻ってみた。
夕暮れ時の陽光が、街全体を優しく包み込んでいる。
僕はベンチに座り、遠くの街並みを眺めていた。
彼女は来なかった。
その後も何度か足を運んでみたけれど、
雨さんの姿を再び目にすることはなかった。
きっと僕たちの縁は、それだけだったのだろう。
会えるときに出会い、
別れるときに別れる。
そう自分に言い聞かせた。
それでも、ほんの少しの期待が残っていた。
たまに時間ができると、僕は今でもあのバス停に座り、少しだけ時間を過ごす。
誰かとの再会を待つように。
「ふぅ、こんなに激しい雨は久しぶりだな」
僕は傘を閉じ、ベンチに腰を下ろして長く息を吐いた。
傘から滴る水が、すぐに足元で小さな水溜まりを作る。
僕の視線は、その水面に落ちた。
そして、止まった。
水面が微かに揺れる。
その映り込みの中に、ずっと恋しかったあの横顔があった。
僕は目を閉じ、
そしてゆっくりと開いた。
倒影はまだそこにある。
幻でも、夢でもなかった。
口角が自然と上がる。
僕は顔を上げ、隣に座る彼女を見た。
「……お久しぶりです」
静かに声をかける。
彼女は顔を上げ、僕を見た。
そして、優しく微笑んだ。
「ええ」
「また、雨ですね」
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