8◇愛鷹山
8◇愛鷹山
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着いたその日は浅田家を上げての歓迎の宴をした。
母のつばきと弟の昌之輔は膳の用意をしていたが、あやめが途中で割って入ってさっさと片付ける。
奉公人も二人居るので後はまかせ、家族全員と五郎左衛門、吉右衛門が久しぶりの話に花が咲く。
ひとしきり懐かしがった後で五郎左衛門が口を開く。
「今回沼津に帰ったのはあの愛鷹山の事だ。江戸から選りすぐった用心棒を4名連れて帰っておる。明日の朝から藩庁に出向き、御林の山守に愛鷹山の深入りの段取り報告を致す。明日行くのは用心棒の4名と山守の藩士が2名だ。」
「浅田の者は行かないのですね。」
「つばき、あやめの事を心配しているのかもしれんが、今回は腕利きの用心棒が4名居る。浅田の者は誰も山には入らん。」
「それを聞いて安心しました。あやめのことだから自分から行くと言わないかと心配で。」
さすがにあやめもあの用心棒4人と同行するのは願い下げだ。
但し、あの山は最初にオオカミだった時に住んでいた山に近い場所となる。
何か異常なことが起こっているとすれば気になって仕方がない。
「私」の意志として、気配を消して山に向かう6人の後を付けるつもりであった。
オオカミとして生きた10何年の経験は今でもはっきりと覚えている。
あの頃は「私」は生まれたばかりで周囲に対する感覚があまり鋭くなかった。
それが甚五郎とあやめの合わせて47年間生きている間にずいぶん研ぎ澄まされてきた。
江戸までの行き帰りの時もかなり離れていても人や獣の位置が分かった。
気配というよりは、魂の存在を感じると言った方がしっくりくる。
自分を中心として、周囲に水面に水滴が落ちて出来る波紋のように広がっていく様子が頭の中に浮かび、その上にぽつぽつと生き物の存在が白く点の様に浮かび上がって感じる。
白い点の大きさは魂の強さに比例して大きくなる。
人間を大豆くらいとすればオオカミは米粒くらい。
兎や狸は砂粒くらいに感じる。
次の日、五郎左衛門と吉右衛門が用心棒の4人を連れて藩庁に出向き、御林の山守に愛鷹山の深入りの段取り報告をする。
予め連絡されていた様で、山守の藩士2名とその上役が報告を聞き、用心棒と面談した。
その日は愛鷹山の全体地図と部分的な詳細地図、今までに山に深入りして帰って来なかった者達の特徴などを事細かく説明し、用心棒達の為すべきことを説明した。
最悪一人になっても帰って来られるだけの地図の写しと携帯食料、水を入れる竹水筒などを配布した。
準備が済むと山守の藩士2名と用心棒の4名は藩庁を出立し、愛鷹山の山麓にある山守別邸まで移動した。
距離は2里程度なのですぐに着く。
今日はここで寝泊まりし、翌朝からの出立にする。
早朝出れば夕刻までに一方向の調査は出来る。
これを色々な方向に何度も試して地図を埋めている予定にしていた。
五郎左衛門と吉右衛門はその後浅田邸まで帰り、あやめにおおよそのことを説明した。
あやめも気になっていたので地図を見せてもらいながら聞く。
地図自体は学習している時期に見ていた物とあまり変わらなかったが、今回の行き先を書き込んである部分を目に焼き付ける。
「私」はそれを確実な記憶として格納する。
次の日の夜明け前、あやめは旅装束と頬被りに身を包み、浅田家の倉にあった予備の刀を腰に差して草履をきつく足に縛る。
前日にこっそり作っておいた携帯食料と竹水筒を持って行李に入れ、背中に担いで家を抜け出す。
小走りで山守別邸まで移動し、少し離れた小屋の陰に隠れて山守達が出て来るのを待った。
半刻くらい過ぎると木戸が開いて6人が出て来た。
あやめは10町(1km)くらい離れて着いていく。
これくらいの距離でも固まって居る6人の気配ははっきりと分かる。
あやめはそのことには疑問を持たず、自分の能力として当然の様に受け入れている。
「私」がそういう風に誘導し、他言は避ける様に意識付けている。
更に「私」の能力で、自身が移動した道筋が薄く白い線で気配の中に引かれるのを感じる。
これにより、道に迷っても正確に引き返すことが出来る。
この線は1里くらいは残っているので、かなり山中で迷っても元の道に戻れる。
6人が愛鷹山に登り始めて2刻経った頃、周囲に山霧が立ちこめ始めた。
これでは日の向きを頼りに方角を決められない。
山守の藩士が引き返すことを判断し、来た道を戻り始めた。
あやめは鉢合わせするのを防ぐ為に獣道に逸れ、5町くらい道から離れた。
しかし6人はこちらに来ない。
不思議に思って近寄って覗いてみると行きには見えなかった枝道があり、6人は暫く迷った後に来た道ではない枝道に進んで行った。
あやめはこれが入山した者が帰って来なくなる原因かと思い、こっそり着いて行った。
暫く行くと山霧は益々濃くなり、日の光も遮られて薄暗くなる程になった。
すると、その先にはオオカミの大きな集団が居るのがあやめには分かった。
これはあやかしの類いである狸の化かしで、土地の上位者であるオオカミに獲物を献上する為の行為となっていた。
何故それがあやめに分かるかというと、その狸を気配で感じて捕まえたからである。
狸の首根っこを掴み、頭と頭を触れさせて「私」を少し侵入させてみたところ、その目的が判明した。
狸は言葉をしゃべれる訳ではないので少しあやふやだが、目的は理解出来たのでその狸をくびり殺す。
狸は暫くあやめの手の中で暴れていたが、すぐに大人しくなって白目を剥く。
それと共に山霧が急速に晴れだした。
日の光が差してきたので山守の藩士は地図を確認し、枝道であると判断して引き返し始めた。
しかし、既に接近していたオオカミの集団に発見され、後ろから襲われる。
4人の用心棒は山守の前後に2人づつ展開し、挟み撃ちにして来たオオカミを迎え撃つ。
あやめは姿を木々に隠しながら横方向から一番体の大きなオオカミに近づき、「私」の一部を薄く伸ばしてそのオオカミの頭に侵入させ、目と鼻と耳からの刺激を全て曖昧なものとする。
これによりあやめは易々と接近して一番大きなオオカミの首を斜め後ろから刀の峰で強打して折った。
近くに居たオオカミもすべからく峰打ちで首を折り、用心棒の相手をするオオカミの数を減らす。
数匹が逃げて行ったが、オオカミの襲撃は終わり、用心棒と山守の6人は生き残った。
用心棒は全員手傷を負っていたが、自力で歩ける程度なので急いで来た道を引き返した。
あやめは道を逸れていたので6人が通った後に少し離れて着いて行く。
先ほどの狸の気配を思い出し、特徴的な気配を探すと探れる範囲に2匹居た。
その狸の元に近寄り、後ろから気配を殺して近寄って捕まえる。
「私」を薄く伸ばして1町(100m)先から狸の頭に侵入し、目と鼻と耳からの刺激を全て薄くする。
これにより、本来気配や物音に敏感な狸を易々と捕まえることが出来た。
2匹とも音もなくくびり殺しておき、もう暫く道沿いを探っていくと更に気配が異様な狸を1匹発見した。
これだけの量のあやかしの類いが発生したのは何か原因があるはずだが、今のあやめにも「私」にもそれは分からなかった。
私は最後の狸を血抜きし、紐で括って布袋に入れて担いで帰途についた。




