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6◇沼津藩邸の日々

6◇沼津藩邸の日々

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そうして沼津藩邸でのあやめの修行の日々は過ぎていった。

相変わらず与次郎と弟子3人衆は纏わり付いてくるが、見ているうちはまだしも、あやめが直接指導する様になってからは少し怯えた表情をする様になった。

特段、4人に厳しくしているつもりはないが、あやめは「私」が補助していた視野外からの攻撃も自前の直感で分かる様になってしまい、彼らがどう攻めようが赤子の様に軽く捻ってしまう。

体の大きさを生かして潰す勢いで押してもあやめはすっと斜めに引き、勢い余った弟子達は袋竹刀を打ち合うことすら敵わなかった。

さすがに師範の田所はこれでは修行にならぬと判断し、あやめに少しは打ち合う様に言う。

あやめも無意識にやっていた回避が修行として見た場合にそぐわぬ行動だったと反省し、今度はじっくりと打ち合って相手の体力が尽きるまで押したり引いたりした。

結局相手はあやめに1本も入れられることは無かったので、4人は打ち疲れて道場の床に転がるのであった。

その後は師範の田所と無駄を排した非常に速い剣の駆け引きを練習し、あやめ自身の技量もめきめきと向上していった。



午前中の帳面仕事も一月過ぎる頃には中堅どころの藩士がする様な内容まで熟すことになり、仕事部屋に詰める15人の藩士全員から一目置かれる様になる。

あやめも今は新しい仕事を熟すのが面白くてたまらない様に思え、周囲の目を気にせずに自分の意見を言うようになった。

藩士の中には田舎から出て来たばかりの17歳のしかも女の言うことなど本気にしていない者もいたが、すぐに手痛い目に遭ってあやめの実力を分かることになる。


「西山様、この勘定の年貢の割合はこれで合っていますでしょうか。久保様、こちらの土地検分の面積はこれで合っていますでしょうか。重野様、塩の専売益は去年と今年の差はこれで合っていますでしょうか。」


「「「ま、待ってくだされあやめ殿。」」」


矢継ぎ早に繰り出されるあやめの計算結果の検算依頼に、仕事部屋の藩士は次第に追い詰められていた。

もはや最初の頃に出ていた少女ということを侮る雰囲気は皆無になり、むしろ自分たちの検算が間に合わなくなることを危惧する様になってきた。


「あやめ殿。面白くなって来ているのは分かるが、もう少し手加減をしてやってはくれまいか。」


上役の田所もさすがにこれはまずいと思い始めた。

最初は即戦力で自分達が楽を出来ると考えていたが、蓋を開けてみると自分たちを追い込む勢子になっていた。

上役として、猟師である藩士達に余裕を持って獲物である仕事をこなして欲しい。

だが、獲物を追い込む勢子の勢いと能力が高すぎて猟師の能力以上に獲物が殺到している。

これではせっかく追い込んでも猟師の能力を超えた獲物を見逃すことになり、本末転倒ということになりかねない。

田所は頭を抱えて暫しうなっていた。


「田所様、私たちが一旦あやめ殿を引き受けましょう。私たちが抱えている少し困難な題材を考えて欲しいと思いまして。」


吉右衛門が提案し、五郎左衛門も頷く。


「なるほど。それでは浅田殿のところで暫し難題解決に参加して貰いましょう。あやめ殿もそれでよろしいか?」


「はい、田所様。少し回りが見えておりませんでした。五郎左衛門様と吉右衛門様の題材に移らさせていただきます。」


それを聞いて周囲の藩士はほっとした表情を浮かべる。

この数日間は切羽詰まった様な勢いであやめに押されていたからだ。

それが暫く休みとなると皆安堵していた。


「皆の衆、あやめ殿の追い上げが無いとは言え、やることは沢山ありますよ。きちんとしないと評価が下がるやもしれませんな。」


田所が脅すが、藩士達の安堵の表情は変わらなかった。



翌日から浅田家に任されていた特務に関わる。

吉右衛門は沼津藩の北方向、呼子岳から愛鷹山を下る地方で度々報告が上がっている怪異について話し始めた。

この山は実りが豊富でそれを取りに行く者が絶えないのだが、常に何割かが帰ってこないという事態となっていた。

人々は山の神の祟りだとか、オオカミの群れに襲われるとか、あるいは妖怪の類いに誑かされて連れて行かれたなどという噂をしきりにしていた。

沼津藩では藩士で山狩りや入山の制限をしていたが、庶民は食べ物に惹かれてどこからともなく入山し、そして帰って来ない者が多発していた。

入山した者の帰って来ない理由がはっきりしておらず、藩士での山狩りの時は何も起きないので力の無い庶民が何らかの事態に巻き込まれていると思われている。

沼津藩はその事について大規模な災厄の前触れにならないか杞憂しており、情報を集めるために江戸藩邸にも江戸の噂や学問的な資料を集めさせていた。

吉右衛門は日常業務の傍ら、その取り纏めをまかされていたのである。

まるで雲を掴む様な話しであり、お伽噺の様でもある。


愛鷹山はそれほど高い山ではない。

およそ300丈(約1000m)である。

しかしその裾野は山深く、傾斜もきついので未開の森が続く。

道もあまり整備されておらず、獣道は度々位置を変えて人を惑わす。

オオカミの群れは頻繁に確認され、人数が少ないと襲われる場合があると言われていた。

そして、それに加えて野盗が出没するとの噂も上がっていた。

こうなると山里でも安心は出来ぬので一刻も早い原因究明と解決が望まれていた。


「吉右衛門様、それでしたら腕に覚えのある武者が少数で確かめに行くのが良いのではないでしょうか。」


「うむ。それも案として上がっていたが、誰も行きたがらないのだ。よっぽど腕のある者は別の仕事で糧を得ておるので、わざわざその様な危険を冒す必要は無いと言ってな。」


「その仕事、私にどうしろと言われますでしょうか。」


「江戸には腕利きの用心棒と言われる者がかなり居る。商家の大店や遊郭の客の送り迎えの護衛として勤しんでいるが、いかんせん給金が安い。そこで少し給金を弾む前提で、それらの用心棒を選別して愛鷹山の調査に派遣したいのだ。」


「その選別を私に任せて頂けるということでしょうか。」


「そうなる。勿論、あやめ殿一人で選別するということはしない。我ら二人と共に道場の師範にも同席願う。」


「それでしたら安心です。ひとつお願いがありまして、私が同席する時は私は頭巾装束でお願いしてもよろしいでしょうか。」


「勿論だ。我らもそれは考えていた。あやめ殿の存在をまだ対外的に見せるには早すぎる。選ばれる方もどう思うかもあるしな。」


やはり荒くれ者や腕自慢が多い用心棒は選ぶ者にも無理難題吹っかけて来る場合もあるという。

ならばそれを制圧出来るだけの武力は持っておきたいということだろう。

あやめは自分も愛鷹山の調査に行きたいと思ったが、同行が雇いの用心棒だと少々危ない。

同格の男衆なら牽制し合うことはあっても仲間割れまでは行くまい。

だが、女の自分が一人入るとその和が簡単に崩れるのは見ずとも分かる話であった。


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