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5◇沼津藩邸二日目

5◇沼津藩邸二日目

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昨日は藩邸の道場で「やらかした」あやめは、五郎左衛門や吉右衛門からも一目置かれる存在になっていた。

与次郎が目を輝かせてあやめの道場での武勇伝を江戸浅田家で披露したのだ。

それからずっとあやめに対して敬語で話し、手下の様な態度をする与次郎に吉右衛門は頭を抱えた。

あやめの方が数ヶ月早く生まれたのもあって、与次郎がたまに「姐さん」と言うとあやめが「あねはやめて」と止めるのを何回も聞いた。

それに加え、昨日の午前中の仕事の出来だ。

まさに文武両道という自分の息子に期待していたものを、あろうことか女子のあやめにかっ攫われたのが吉右衛門の頭痛の種になった。

ただ、これほど与次郎と差が付いてしまうと諦めの境地になるのもやむを得なかった。


「ここまで出来が良いと与三郎の書状の内容が与太話とは言えなくなったのう。」


「父上、ここは正直になりましょう。あやめがあれほど出来るのなら、浅田家の者として上がれるだけ上がって貰えばどうでしょう。」


吉右衛門は父の五郎左衛門に浅田家の将来の飛躍をあやめに託すことを話す。

五郎左衛門も昨日のあやめの実力を見て同意見だと答える。

抜擢人事として上役に気に入られれば年齢や性別もある程度無視される。

出身は浅田家本家の長女なので問題は無い。

これで浅田の名前が高まれば我らの立場も安泰だと皮算用をしていた。

たった一日で、弱冠17歳にしてあやめは浅田家の希望の星となってしまった。


二日目は朝からあやめは下にも置かぬ扱いを受けた。

昨晩の与次郎の藩邸での話が大げさになり過ぎていた。

与次郎の熱弁を聞いた祖母とき、母たつ、妹さよまであやめを姫の如く扱う。

あやめは「止めてくれ、普通に扱ってくれ」と再三頼むが、昨日「やらかした」事実はどうしようもないのでとうとう根負けした。


「では、せめて「娘」として扱っていただけないでしょうか。」


そう言うと、江戸浅田家は少し話し合い、「あやめ殿」で呼ぶことに勝手に統一した。

さよは例外で、「おねえちゃん」呼びを許した。

与次郎が「俺も、」と言いかけるが、あやめがにらむと黙った。


朝餉の後に4人で出仕し、藩邸の仕事部屋に座る。

今日は浅田家の席が4つ準備されていた。

あやめの席は五郎左衛門と吉右衛門の間に沢山の帳面と共に置かれていた。


「田所殿、いきなりこの量はちと厳しいのではないでしょうか。」


五郎左衛門が上役の田所に尋ねる。

上役と言っても五郎左衛門の方が遙かに年上なので田所も丁寧に対応する。


「浅田殿、まずあやめ殿がこなせる量を知りたいと思い、多めに出させていただいておる。この量を今日全てこなせるとは思っておりませぬぞ。」


「それはお心遣いかたじけない。ならば我らがあやめを横から支えてどれだけ出来るかを確かめまする。」


五郎左衛門はそう言って、吉右衛門と目配せして積み上げてある帳面を確認し始めた。

さすがに何でもかんでもやればよいと言う物でもない。

前知識が無いとどうしようもない物は後回しにし、簡単な助言だけで始められそうなものに絞って振り分けていく。

およそ10冊の帳面を抜き出し、あやめの文机の横に置く。


「あやめ殿、まずこれから手を着けてみようかと思うが、まず一通り私が内容とこなす仕事を読み上げる。それについて質疑があればその都度言って貰えまいか。」


「はい、それで構いません。覚え書き帳を持って来ておりますので、都度書き取るのに少し間をいただきますが。」


あやめは持ち込んだ風呂敷を解き、矢立と紙束を出して用意する。

さすがにあの量は控え無しでは無理というものだ。

覚えきれるものではない。

「私」はあやめのその行動には横槍は入れなかった。

「私」には一度見聞きした事柄は全て覚えており、いつまで経っても忘れないという質があった。

最初のオオカミの10年も、次の甚五郎の30年も、あやめの今日までの12年も全て覚えている。

忘れるという概念が無いのだ。

ただ、それが重荷になるということはなく、記憶の部屋の中に年代別の棚を作って細かく月日ごとに分けてしまっている感じだ。

普段は全く気にならないが、思い出そうとするとそれに関する事柄が字引で勝手に引かれる様に目的の記憶にたどり着く。

甚五郎と過ごした30年間の内で、百度と利かない回数助けて藩邸での立場を守り抜いた。

かなりうっかりした性格だったので助けざるを得なかったというのが正解だが。


あやめは「私」が介助しなくとも記憶に関してはかなり優れていた。

「私」があやめに入る5歳よりも前から、教えたことはすべからく覚えている。

甚五郎に入っていた「私」があやめに色々教えていて、これならば将来は色々なことに挑んでいけると思った。

あやめが5歳になった時に頃合いと思い、体の動きが少し不自由になってきた甚五郎から抜けてあやめに移った。

その後、あやめが10歳の時に弟の昌之輔が生まれたが、5歳まで観察してもあやめより遙かに劣ると判断した。

昌之輔は男なので立身出世を志すなら良いかとも思ったが、さすがにこれだけの差があるのならばと、あやめから移るのは諦めた。


「あやめ殿。そろそろ昼なので休みましょうぞ。」


吉右衛門がそう言い、与次郎が頷く。

何か与次郎の顔がお預けを食らっている大型犬の様に見えた。


「だいぶ進んだな。どうだ、疲れなかったかな。」


「いえ、どれも興味深い内容で早く本腰を入れて取りかかりたいと思います。」


五郎左衛門が気遣う様に言い、あやめが答える。

その言葉に上役の田所も笑みがこぼれる。


「いやぁ、あやめ殿のこの進み具合はこの藩邸始まって以来の快挙と言っても良いですな。たった二日でこれだけこなせるとは他の藩士が席を心配するやもしれませんな。」


田所は冗談とも追従とも言えぬ事を言い出したのであやめは慌てて訂正する。


「いえ、たまたま実家で見ていた範囲と重なっただけですので大したことはありません。これから難しくなっていくと思いますので厳しくご指導いただけますでしょうか。」


あやめはそう謙遜するが、「私」の補助がそれなりに入っているので当たらずも遠からずだ。

甚五郎として過ごした30年間の仕事の積み重ねは記憶と共に私の理解となっている。

決して本を書き写しただけで身に着くものではないが、あやめ本人も含めそれに気がつく者はいない。


昼食後、与次郎と共に藩邸内の道場に行く。

午前中でかなりの量をこなしたので、吉右衛門の本業に差し障りが出てしまっている。

それにより、あやめの帳簿仕事は暫くは午前中だけと上役の田所は言った。

さすがに吉右衛門も五郎左衛門もあやめにかかりっきりになって本業が滞っているのは見逃せなくなっていた。

それにより、昼からは見習いの与次郎と共に道場で腕と心を鍛えよということになった。


道場に着くと師範の田所と弟子3人衆がいた。

師範の田所惣左右衛門は上役の田所龍之進の弟ということだ。

どうりで面影が似ていると思っていた。


弟子3人衆はあやめの姿を見ると駆け寄って来た。

まるでオオカミの大きく成長した子供がじゃれてくる様に思え、あやめは思わず微笑んだ。

それを曲解したのか加来次郎が大声で言い始めた。


「姐さんが俺を見て微笑んでくれた!これで俺は勇気百倍で鬼とでも戦えるぞ!」


「ほほう、そう言うなら鬼を呼んでこようか。」


非常勤だが、田所の師匠に当たる大師範と呼ばれる人物がいるそうだ。

一月に一度程度、この藩邸の道場に指導に来るということだった。

非常に厳しく、鬼の彌五郎と呼ばれているらしい。


師範の田所がそう言うと途端に加来次郎は背中を丸めてそっぽを向く。

後の二人も似たようなものであった。


「お前ら、あやめ殿が迷惑しているではないか!いい加減に姐さん呼びはやめろ。」


与次郎がそう言うが、自分も呼びたいのを我慢していることをこの3人衆は知っている。

しかも同じ屋根の下に住んでいるなど、もはや遠慮はなかった。


「与次郎!お前一人がいい目をしやがって!俺たちにも分けろ!」


「無茶を言うな!あやめ殿は実力で俺たちを納得させたんだぞ。おれが有利は訳は無いだろ!」


そう反論されて3人衆はふむと頷く。

確かに与次郎があやめに勝てる所は何一つとして無い。

納得顔をする3人に与次郎はいたく傷ついた顔をした。


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