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2◇次世代

2◇次世代

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私は甚五郎の残りの寿命がそう長くないことを悟った。

オオカミから移った時が30歳。

それから30年が経ち、今は60歳。

息子の与三郎の娘のあやめは今5歳、祖父として抱いてあやしていると私もそろそろ次の人生を見てみたくなった。

私は今や一体となっている甚五郎の意識から「私」である部分だけ分離した。

私が居なくなっても甚五郎の意識は殆ど変わらないだろう。

「私」がそうなる様に仕向けてきたからだ。

ただ、「私」が不快と思うことに関してだけ直接的、間接的にその原因を除去してきただけだ。


その日の深夜丑三つ時、「私」は甚五郎の頭から離れた。

真上に浮かび上がり、皺の刻まれた甚五郎の顔を見下ろす。

オオカミの時より遙かに長い時間共にした人間だが、体が少し不自由になってきたことに不満を持っていたのであまり未練は無かった。


「私」はそのまま浮かび上がり、障子の隙間を抜けて廊下に出、二部屋離れた与三郎とその妻のつばき、そして娘のあやめが寝ている部屋に入る。

今晩は月明かりが出て室内も目をこらせば見える程度には明るい。

私も自身を微発光させずとも視界は良好だ。

薄いもやの様に見えると思うが、この部屋で私に気付く者はいない。

そして、あやめの頭にそっと触れた。


私はあやめ。

よさぶろう父様とつばき母様の娘。

5歳になる。

じんごろうお爺様に読み書きを習っている。

お婆様は私が生まれる前になくなったと聞いている。

私は一人娘なので将来婿を取ることになるだろうと父様と母様が話し合っていた。

まだだいぶ先なんだけどな。


私はあやめの意識から少し浮かび上がり、独自の思考をする。

この体はまだ幼いが、非常に健康で頑健である。

近隣の同年代の子供と遊ぶうちに、かなり図抜けていることを確認した。

年の割には背も高く、体重も体力もある。

走るのも投げるのも少し年上の子供より秀でている。

思考能力も既に算術の加減乗除と漢字かな使いが出来るまでになっている。

まぁこれは私が甚五郎の時に得た経験をあやめの無意識層に働きかけた成果でもあるが。

この先、あやめの父母の言うとおりにすれば安寧な一生が送れるだろうが、これだけの肉体と精神があるのにもったいない。

私は少し冒険をしたくなったので、父母に少し働きかけてみることにした。


「お父様、お母様、少しおはなしがあります。」


「なんだい。改まって。」


「わたくし、15になりましたら家を出たいと思います。」


「家を出てどうする?」


「江戸の将軍様にやとっていただきたいと思います。」


「確かにお前は読み書き計算も体を動かすのも人一倍出来るが、それだけで江戸城に上がれるほど生やさしいものではないぞ。」


「はい、しょうちしております。そこでなるべくお役に立てるよう、私に剣の指南をしていただけないでしょうか。」


「女剣士か。だが、今どき剣を振っても働き口は無いぞ。」


「それもしょうちしております。ただ、武力がないと男社会では舐められると聞いておりますので、ちからがほしゅうございます。」


「うーむ、では実際には何をしたいのだ。」


「はい、幕府のまつりごとをこの手でやってみたいと思います。将軍様のおちからになれるように。」


そう言われて与三郎は思う。

幕府の業務は多岐に渡っており、将軍様が全てを見ているわけではないから補佐役は必ず必要だ。

その中でも将軍様の側近なら老中、若年寄といったところだが、そこまで上り詰めるにはまず番頭、目付、側用人の見習いから入る必要がある。

女の、それも地方藩士の子では無理だろう。

あやめにはそれとなく諭して方向をゆっくり逸らして行こう。


それから幾度となく与三郎とあやめの攻防は続き、あやめが13歳になった時についに与三郎は折れた。

折れた大きな理由の一つとして、あやめの弟の昌之輔が生まれたことがあった。

あやめが10歳の時に生まれたので今は3歳になる。

男の跡継ぎが出来たので、与三郎は浅田家の次代を昌之輔に託すことにし、あやめの行く末は諦めた。


あやめは以前15歳になったら家を出ると言っていたが、今の13歳のあやめの能力では全く足りていない。

15歳までのあと2年では独り立ち出来るとは思えない。

従って更にあと2年は出立を遅らせ、17歳になるまでの4年間で文武両道となる様に言いつけた。


それからの与三郎は吹っ切れた様にあやめを鍛え始めた。

それまでは祖父の甚五郎が良い教師役になっていたが、あやめが13歳の時に死去していた。

与三郎はあやめの学力を鍛える為に藩仕事の伝手から各種の学問書を借り、それを全て書き写させることにより基礎学力は格段に向上した。

初めて見る書でも、「私」の甚五郎の時に得た知識をあやめの記憶に入れることにより、すぐに読解していった。

もはや与三郎が教えることは無く、ただひたすらに学問書を集めることに終始した。


剣の修行もまず最初に町民向けの町道場に入れられた。

武家用の道場では女子ということで断られたのだ。

町道場に毎日の様に通い、2年過ぎる頃には同門ではあやめに敵う者はいなくなった。

さすがに道場の師範は負けてはいなかったが、もはや手に負えないと道場から放逐された。

その後、あやめは一人で武家用の道場に行き、師範代補佐に勝負を仕掛ける。

師範代補佐は18歳の青年で、体格はあやめよりも一回り大きかった。

あやめも同年代の女子に比べると体格は大きかったが、それでも拳一つ分は背が低かった。


勝負の結果、あやめと師範代補佐は引き分けた。

実を言うと「私」が少し介入して引き分けに持ち込んだ。

ここで勝ってしまうと道場の門下生に対して印象が悪くなり、その後の修行に悪影響が出ると想定してわざと手を抜いた。

本当なら勝ってしまう剣筋をあやめの意思に関わらず少し逸らし、相手の師範代補佐に隙を見せて相打ちに持ち込んだ。

これにより道場の師範に認められ、あやめは武家道場に入門を許可された。


その後、2年の修行を経てあやめは武家道場の師範代になった。

身長も17歳の女としては例外的に高くなり、父親の与三郎より少し低い程度まで伸びた。

そのほっそりとした体軀からは考えられないほどの力も出せる様になり、腕相撲で同じ道場内では師範以外の全員に勝つまでになった。


道場での結果を聞いて、与三郎はあやめの旅立ちを許可した。

本当は大人しく家に居て近所の藩仕事の同僚にでも嫁いでくれたらという気が残っていたが、あやめは既に与三郎の能力を超えていた。

道場での師範代の実力と、学問所の書き写した膨大な書籍がそれを裏付けている。

道場に行っていない時は町中の商家に出向いて色々と商機の助言をしているとも聞いている。

それでも与三郎はあやめの旅立ちの心配をせずにはいられなかった。


「お前は17になったが、まだまだ子供だ。どうしてそこまでして突き進むのだ?」


「はい、私の意思は大きな政に関わって世の中を動かしていくこと。それを生きがいに考えていますゆえ。」


その意志は実は「私」の影響が大きい。

オオカミとしての10年の意識、甚五郎としての30年の意識、あやめとしての12年の意識がそれを突き動かす。

沼津藩はそれなりの大きさだが、江戸に比べると遙かに小さい。

藩仕事も貸し出される書類を見ることによりだいたいは把握した。

もっと大きな影響を与えられることをあやめにやってもらい、それを共感したいのだ。

あやめの能力を思うと私は裏方に徹して、必要と思われる時に影響を与えるだけで大成するはずだ。

そして、この国の行く末に足跡を残したい。


「さて、江戸に出るにしても路銀はかなり要るぞ。それはどうする。」


「心配には及びません。今まで学習をしている傍ら、道場で師範代として門下生の指導をするのに給金を貰っておりました。また、町中の商家の売り物の指南的なこともしておりまして、それらによる実入りがかなり溜まっております。」


「そんなことをしていたのか。言えばそれくらいの小遣いは出してやったのだが。」


「いえ、元々私のわがままで家を出たいと申し上げたのにそれではあまりにも不遜過ぎると思いまして、自らの才覚で何とかしてみようと思って致しました。」


「うむ。まぁ独り立ちする良い修練になったと思うのでこれ以上何も言うまい。だが、せめてもの親心としてこれを受け取ってくれ。」


与三郎が包みを置き、それをあやめが開くと丁銀の束と封書があった。

それは与三郎が長年倹約して貯めた2両分の丁銀と、江戸住みの与三郎の叔父に当たる浅田五郎左衛門への添状であった。


「これは餞別ではない。お前の新たなる旅立ちの助けとなるべく一時的に貸すものだ。江戸に出るからにはこれを楽に返せるくらいの働きをしてみせてくれ。それとこの書状は江戸住みの叔父への添状だ。お前も一応おなご。下手な所に泊まらせて悶着あるくらいなら叔父貴の所にやっかいになる方がまだ安心できるしな。」


「ありがとうございます。ご心配おかけしてまことに申しわけございません。決してご迷惑にならない様に立ち回ってみせます。」


「そうそう、そういうところだ。立ち回るのは最後にしてくれ。おだやかに解決できたらそれに超したことはないしな。」


あやめは少し赤面して下を向いた。

確かに武家道場で鍛えた師範代として実力はそれなりにあり、杖一本あれば大概の男は叩きのめせる自信はある。

だが、集団で来られたらり組織だって仕掛けられたら今のあやめでは為す術も無い。

そういう意味でも無用な立ち回りは避けるべきだろう。

反発するあやめの意識に「私」は少し干渉し、与三郎への反論を抑えた。


「江戸住みの大叔父様のところにごやっかいになれとのことですが、お名前しか聞かされておりません。浅田五郎左衛門様ですよね。どういうお方なのでしょうか。」


「うむ。叔父貴は私の父の甚五郎の弟だ。沼津藩の武家屋敷勤めをしておる。まぁ通いなので武家屋敷そのものに住んでいるわけではないがな。勘定方に関わる仕事らしいが、それ以上は聞いていない。その添状にお前の人となりを書いてあるので、封を切らずに伯父貴に渡すのだぞ。」


「どの様に書かれているのでしょうか。お転婆、天邪鬼、傾奇者という文言が思い浮かびますが。」


あやめが少し笑いながら尋ねると父の与三郎は頭を掻いて苦笑いをして答えた。


「そこまでまっすぐな言い回しはしていない。まぁ近いことは匂わせているがな。」


「ありがとうございます。その添状に恥じぬように精進いたします。」


あやめはその包みを持って、準備をする為に自室に戻った。

さて、思わぬ実入りとして2両手に入った。

また、江戸での住居も確保出来た。

今まで江戸での初っ端はどうしようかと色々調べていたが、これでその心配は無くなる。

あやめ自身が稼いできた金子も1両分に近い丁銀があるので合計3両弱だ。

これでかなりまともな旅籠に泊まれる。

女の一人旅は少々不安なので男装して行く気だったが、これなら普段の装いで問題無いだろう。

ただ、自衛の武器として刀は欲しい。

だが、女が帯刀することは許されないので仕込み刀だな。

いつも行っている商家に行って相談してみよう。

次の日に町中の武具商家に行き、仕込み刀を尋ねた。


「おやっさん、こんにちは。今日は客として来ました。」


「おや、あやめちゃん。珍しいな、どんなもんが欲しいんだい?」


「私、もう少ししたら江戸の叔父様のところにごやっかいになりに行くんですが、道中一人なもので自分の身を守る刀が欲しいですよ。ただ、女は帯刀を許されてませんから傍目にはそれと分からない物が欲しくて。」


「ははは、あやめちゃんはお武家様の道場の師範代だもんな。そりゃー欲しくはなるか。それならこれはどうだい?」


店の親父が奥の棚から出して来た物を見てあやめは疑問に思った。


「それは旅に使う杖ではないのですか?」


「そうだよ。だがここをこうして引っ張ると。」


親父が杖の上から1尺くらい下から垂れている短い紐を強く引くと、すぐその上から杖が分離した。

分離したところを握って上に抜くと、それは直刀の刀であった。

細身なのでそれほどの刃幅はない。

だが厚みは普通の刀より少し厚く、重量もそれなりにある。

あやめは親父から手渡され、軽く振ってみると十分に扱える範囲であった。

鞘も受け取り、刀身を収めると鞘に付いている紐が引き込まれて最後にカチリと音がした。

その状態で鞘と上の部分を引っ張っても抜けない。

仕込み杖としてはかなり上等な物だった。


「あやめちゃん。それなぁ、10年前に仕入れたはいいんだが、誰も見向きもしなくて売れ残ってたんだ。安くしとくよ。」


「おいくらですか?」


あやめは恐る恐る尋ねる。

刀は物によって価格は千差万別である。

竹光に近い脆い物もあれば刃紋が綺麗に見える玉鋼から作った上等な物まで。

この仕込み杖の刀身は刃紋が割と綺麗に見える。


「売れ残りなんで1両でいいよ。持って行ってくれるだけありがたいってもんだしな。」


「ありがとうございます。父に許可を貰って来ますので、それ、取り置いてもらえませんでしょうか。」


「いいよいいよ。あやめちゃん以外にまず欲しがる酔狂者はいないしね。」


「それはちょっと言い過ぎなんじゃないですかねぇ。」


あやめはちょっと膨れたふりをして一旦家に帰った。

その日の夕方、父親が藩仕事から帰って来て夕飯を済ませた後、今日の武具商家でのことを話した。


「お父様。私も師範代としての力がありますので旅路での身を守る武器がほしゅうございます。今日、昼間に町中の刀を扱う商家にお伺いして、丁度良い物を見つけました。私一人で買ってもよいのですが、やはり買った後の商家の噂を絶ちたいと思います。それで明日か明後日に一緒に行ってもらえませんでしょうか。」


「うーむ。やはり身を守るには刀が要るか。まぁ独り旅になるだろうからあるに超したことはないか。お前の腕なら野盗や浪人程度なら太刀打ち出来るだろうしな。よし、明日の夕方行こう。」


「ありがとうございます。刀は仕込み杖ですので、見た目には帯刀しているとは分かりません。それでしたら無用の軋轢を生むこともないかと思いまして。」


次の日の夕方、与三郎はあやめと共に町中の武具商家に出向いた。

あやめは持ち金の内の1両分を持って行き、仕込み杖は売れ残りで1両でいいと言われたと父親に言う。

店の親父に与三郎は疑問を持って尋ねる。


「そこまで安いと切れ味や折れにくさに何かあるのではないか?」


「いえいいえ、旦那のご心配ももっともですが、これは江戸の名品の工房の作です。何なら試し切りをしてはいかがでしょう。」


店の親父はそう言って、仕込み杖と共に中庭に案内した。

そこには巻き藁が3本立っており、試し切りが出来る様になっていた。

あやめは店の親父から仕込み杖を渡され、鞘から抜いて構える。

短いかけ声と共に袈裟切りに振ると巻き藁は斜めに切断された。

刀身を見ると刃こぼれも曲がりもしていない。


「確かに。これなら良い品と言えるな。こんなに安くして貰って助かる。」


「ありがとう、おやっさん。ではこれ、1両ありますので数えてください。」


あやめは懐から出した巾着から1両分に小分けして紙に包んだ丁銀を出して渡した。

店主はそれを数えて確かに、と会釈した。

父親は今日のこの事は他言無用と店の親父に念を押す。

少し包みを渡していたので約束は守ってくれるだろう。


与三郎はあやめから仕込み杖を借りて見てみる。

重量はそれなりにあり、普通の杖と同じ様には扱えない。

だが、あやめは武家道場の師範代だ。

少し慣れれば怪しまれることなく使えるだろう。


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