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1◇精霊誕生

1◇精霊誕生

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いつだったか分からない。

「私」は私であることを自覚したのは周囲に霧が立ちこめる深い森の中だった。

人が呼子岳から愛鷹山にかけての帰らずの森と呼ばれる山中に私は生まれた。

実際、生物として生まれたのではない。

浮遊する意識として自己を認識し、周囲も認識出来る様になると動き回るモノに興味を持った。

地面を4本足を交互に動かして移動し、他の4本足を食べて自分の糧としていた。

そのうちの一番大きな個体に私は興味を持ち、近づいた。

私の視覚は光を粒として捉え、その座標を比較することで判断していたので視ている時は淡く発光するらしい。

その大きな個体は灰色の毛むくじゃらな頭をこちらに向け、牙を剥いて唸り声を上げた。

私はその個体が疲れて寝るまで追い続け、3日後にやっと寝たところで頭に触れた。

すると「私」の意識はその個体に吸い込まれ、感覚が一体化して意識も同化した。


私はこの森のオオカミの群れの首領であった。

この個体の記憶がそう言っている。

数日前に他のオオカミの群れと縄張り争いになり、私はそれに負けた。

大きくなった群れから私は追い出され、森の縁の獲物の少ない所まで逃げて来た。

ただ、私はまだ若く、小さい獲物でも効率よく狩って食べることは出来る。

それにより、飢えることはなかった。


暑い夏と寒い冬が10回以上繰り返され、私は老いていった。

獲物を捕まえることも満足に出来なくなり、しかたなく森の外に出かけて行った。

以前、遠くに2本足で動く鈍重な生き物が居たのを見たことがあったので、それを狩るためである。

木の陰に隠れ、2本足がその横を通り過ぎる瞬間に襲いかかった。

だが、その2本足は前足に鋭く長い牙を持っており、私はそれに突き刺されて死んでしまった。

オオカミとしての意識が途切れた瞬間、「私」はオオカミであった自分を見下ろしていた。

そしてその2本足が私の方を見て何か音を発しており、前足から牙を外して私を掴んだ。

その瞬間、私は2本足になっていた。


一人の武士が愛鷹山を越えた所にある村に向かっている最中にオオカミに襲われた。

その武士は咄嗟に刀を抜いて向かって来るオオカミを突き刺した。

運良くそのオオカミの口に刀の切っ先が入り、そのまま押し込むとオオカミは動かなくなった。

そうするとオオカミの頭から淡い光の塊がゆっくり上に上がっていくのが見えた。

思わす刀を落とし、その光の塊を掴むと「私」の意識と混ざり合った。

その瞬間、「私」はオオカミを見下ろしていた。

私の名前は浅田甚五郎。

駿河の沼津藩に仕える藩士だ。

今し方、オオカミから意識が移動した。

オオカミの記憶と浅田甚五郎との記憶が混ざり、少しの間混乱した。

オオカミの時は思考が鈍く本能のままに動いていたが、ヒトという種族になったことで論理的に考えることが出来る様になった。

さて、この先の村には幼なじみがいる。

いい土産が出来たとオオカミの死骸を担ぎ上げる。

オオカミは痩せていて、担いでもさほど負担にはならなかった。


「おーい、次左衛門。元気にしとるかー。」


私は村に入ると藁葺き屋根の家に向かって声をかける。

のそりと現れた男は年の頃30くらいの背の高い男であった。


「おう、甚五郎。3年ぶりくらいだな。」


「それくらいになるかぁ。あ、これは土産だ。ここに来る途中で襲って来たから仕留めた。」


「おお、これはありがたい。毛皮が使えるし、肉も食える。」


そう言いながら次左衛門は家の前でオオカミを解体し、私はそれをただ眺めていた。

直前まで居た体だが、何の感慨も湧かない。

ただ乗り換えた古い体という認識しかなかった。


「村の皆は元気にしとるんか?」


「いや、流行病で半分くらい死んでしもうた。残っておるのは10人くらいだな。」


「そんなところに残ってどうする?俺と一緒に山を下りて武士として生きていかんか?」


「俺はもう武士を捨てた身、今更仕官も出来ぬ。ぬしに着いては行けぬ。」


「そうか、お前の功績は未だに語り継がれているのに、上の者がそれを妬んで無いものにしたのが悔しいのだ。」


「忘れてくれ。俺はここの生活が合っている。村の人も頼ってくれるしな。」


そう、この次左衛門は露木次左衛門と言い、元藩士だったが正義感が強すぎて上役に疎まれ、あらぬ罪を着せられて追放された。

そうして知り合いを訪ねて流れた先が愛鷹山の奥のこの村だった。

村には時折オオカミが出没し、鶏や兎などの家畜を襲っていた。

村人では太刀打ち出来ず、かろうじて追い払うのがせいぜいであった。

又左衛門がこの村に流れて来た時、槍を持っていた。

刀はこの村に来る途中で売って旅装と食料と槍を買った。

村では刀は役には立たず、使うなら槍だと分かっていた為である。

次左衛門は槍の名手であった。

村に来て早々、その槍を使ってオオカミの群れを一掃した。

そのおかげで次左衛門は村に歓迎された。


「それは分かっている。お前が槍の又次と呼ばれていたことは誰よりも俺がよく知っている。それが惜しいのだ。」


「もうあの世界には帰りたくない。いくら槍が出来ても上役が腐っていると何の意味も無い。」


「ううむ、そこまでなのか。あい分かった。これ以上は言わぬ。」


次左衛門はオオカミを捌き終わり、肉を鍋に入れて村を回って分けていた。

寒村では分け合わないと暮らしていけないのだ。

分け終わって帰って来た次左衛門は鍋に残った肉に味噌とネギと稗を入れ、肉粥にして甚五郎にふるまった。


「美味いな。オオカミの肉は筋が多くて臭みがあると言うが、味噌の味で良い加減になっている。」


「そうだろ。ここら辺はオオカミが時々出るんで俺たちのいい食料になってるしな。」


浅田甚五郎と露木次左衛門。

この二人の友情は格別なものであったが、この後再び会うことは無かった。


甚五郎が次左衛門の村を発って沼津藩の城下町に戻り、藩の仕事に復帰した。

暫く休暇を貰っていたことについて上役にねちねちいびられた。

きちんと申請し、許可を貰っていたのにも関わらずこの言われように甚五郎は次左衛門の気持ちがよく分かった。

その夜、「私」は甚五郎の悩みで少し苦しくなっていた。

実体が無いにも関わらず、間借りしている肉体の状態に引かれて感情が揺らぐ。

一体になっている様で別な意識となっている私の部分はそれを良しとしなかった。

丑三つ時に私は甚五郎の頭から離れる様に意識した。

次の瞬間、「私」は甚五郎の体を見下ろしていた。

周囲は真っ暗だが、私の体から発する微光で周囲は確認出来る。

昼間あれこれ言っていた上役の家は甚五郎の記憶にあったので、家の外に出て道を浮遊して行く。

上役の屋敷の門扉の隙間から侵入し、上役の頭の上に浮かぶ。

その頭に向かって下がると触れた瞬間に上役の意識と一体化する。

そこで何故この人間が甚五郎を嫌うかが分かった。

更に上役から同じ様に嫌がらせを受けており、その腹いせに同じ様な逆らえない人間として大人しい甚五郎を選んでいた。

ここでその連鎖を断ち切る為に、上役の意識に働きかける。

自分が嫌がらせを受けたら遠慮せずに逆らって反論しよう。

深層意識にその様に動機付け、反射的に行動する様に意識付けた。

終わると再び上役の体から抜け出して浮遊し、甚五郎の体に戻った。


次の日、いつも嫌みを言ってくる上司の姿が無かった。

どうしたのかと同僚に聞くと、更に上役に逆らって殴ってしまったというのだ。

その結果、上役は藩仕事の任を解かれて放逐されたとのことだった。

私はそれを聞いて、昨晩意識の方向付けを強くやり過ぎたと感じて反省する。

だが、甚五郎の意識は喜んでいた。

笑みが浮かびそうになって慌てて手で口を押さえる。


それからも上役が変わる度にそれに近いことが起きた。

私もだんだん手慣れて来て、上役が左遷される程度で済む様に加減した。

だが、それがあまりにも続くので、甚五郎の居る部署は呪われていると噂された。

しかし、良い上役が来た時は交代時期の3年が経つまで何事も起きなかったので、呪われたのは悪い上役ということで周囲は納得した。


それからの人の一生は様々なことがあった。

オオカミとして生きた経験など生かせることも無かったが、人としての剣の鍛錬は続けており、オオカミだった頃の経験を生かして野生動物に相対した時にどの様に動けば機先を制することが出来るかは後進に教えることが出来た。

一人息子の与三郎も成人し、藩仕事の職に就いて甚五郎の後継として働きだした。

それから何十年か経過して甚五郎も年を取り、藩仕事からお役御免になった。

後は息子の与三郎が引き継いだので、甚五郎は楽隠居生活に入った。


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