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第9話 断熱圧縮

「その大したことない魔法に手も足も出ないのはどこの誰だよっ! ぁあッ!?」


 コンラートは激昂して杖を振り、水流を連発してくる。

 連射速度は五秒に一発程度で、狙いも雑なら出力もまばらだ。

 ただでさえ未熟な上、怒りによって魔法を構築する術式の精度まで低下していた。


「ぐっ……ぅうっ……!」


 俺は反撃どころか防御姿勢もとらず、全身を撃たれるままにまかせた。

 戦意を喪失したからではない。

 むしろ逆で、思考に全神経をそそぎこむためだった。


 さっきの俺の挑発は本心からの感想だった。

 絶対的に見れば、コンラートの魔法はまったくもって大したことはない。

 二年という歳月をかけてそれなりに訓練を重ねれば、まず誰でも到達できるレベルだ。


 その証拠に術式の構成や制御が甘く、水流を放つたびに自身も飛沫を浴びて全身を濡らしていた。

 何発喰らおうが致命傷には程遠く、せいぜい打撲を負う程度だろう。

 俺にとってはそうだが――ラディにとっては、心を折られるのに十分すぎる威力だったはずだ。


(きっとこの魔法戦は『正史』でもあったんだろうな……)


 確かめる術などないが、俺は自ずと確信していた。

 継承した記憶や周囲の人々からの評価。

 様々な要素から推察するに、ラディは「呪われし者」になったからといって、即座に絶望して塞ぎこむような人間ではなかった。

 だから「正史」のラディも俺と同様に、なんとか道を切り開こうとして魔法の訓練を始めたに違いない。


 その矢先に、血を分けた兄弟であるコンラートに打ち砕かれた。

 見下すどころか憐れんでさえいた兄に完敗した事実。


 さらには最大の理解者であったエルまで奪われ、ラディは絶望の底へ突き落とされたはずだ。

 間違いない。この魔法戦での敗北が、火葬の死使徒へと至る第一歩だった。


「教えてやるよラディ! 呪われた火がどうして呪われているのかをなぁ!」


 なおも水流を撃ちつづけながらコンラートは叫ぶ。


「そんなもん、使い物にならないからに決まってるだろうがっ!」

「がはっ……!」


 鳩尾に直撃し、俺は体をくの字に追って息を吐き出した。

 それでも思考を止めない。火で水に打ち勝つ方法を模索しつづけた。


(火は水をかけたら消える――)


 小学校の理科レベルの知識。

 俺は記憶の奥底から昔の授業で習った内容を引っ張り出した。

 それが今、とても重要なことに思えたからだ。


(なんでだっけ――?)


 必要なのは「火」の理解を深めること。

 理解こそが俺の魔法を進化させてくれるはずだ。

 

(火とは化学的には「燃焼」であり、燃焼とは「酸化還元反応」である――だったな)


 火の発生には三つの要素が必要である。

 すなわち「熱」「可燃物」「酸素」だ。

 この三要素のうちいずれかを除去すると燃焼は止まり消火される。

 水をかけると火が消えるのは、端的に言えば「熱」を奪われるからにほかならない。


(熱を取り戻しさえすれば、火はまた点くだろうが――)


 言うは易く行うは難しだ。

 コンラートが魔力で物理的な水を生成するのと同じく、俺も魔力で物理的な火を生成している。

 ゆえに両者の間には科学的・化学的な法則が働き、これを覆すことは不可能だ。


 覆すのではなく、法則を味方につけ利用するのが正答だった。

 ここで俺の脳裏をふとよぎる言葉があった。


(――実戦こそは最良の師である。戦いの渦中で己を識り、また敵を識れば、自ずと魔法はさらなる高みへと達するであろう)


 とある魔導書の一節だ。

 ここでいう「敵を識る」とは、相手の戦法や弱点を見極めることだと思っていたが――それは浅い理解だった。


 文字通り敵から学ぶ。

 たとえどれだけ許しがたく憎たらしい相手であろうと、強さや優れた部分は客観的に認めて生きた教本とすべし。

 そう説いている言葉だった。

 だから俺はコンラートに学ぶ。


(やつの魔法は水に「圧力」をかけて押し出している――)


 その原理を俺の魔法に応用できるだろうか?

 難しい。水は日常の様々な場面、たとえばポンプなどで圧力をかけられているが、火に圧力をかけるなど現代日本でも馴染みの薄い概念だった。


「諦めの悪いお前でも、いいかげん理解できたよな?」


 コンラートが攻撃の手を止めて語りかけてくる。


「お前は呪われているだけじゃなくて能力的にも役立たずのゴミだ。さっさと降参して二度と魔法は使わないと今ここで誓え。そうしたら俺がフォーマルハウト家の当主になった後も屋敷に置いておいてやる。いくら呪われているとはいえ、血を分けた弟が露頭に迷って野垂れ死ぬのは不憫だしな」


 高笑いを上げるコンラートだったが、


「少し静かにしてくれないか」


 俺は呼吸を整えながら言った。


「もう少しであんたに勝つ方法を思いつきそうなんだ」

「お前はッ!」


 水流が顔面を直撃し、俺は大きく顔をのけぞらせた。

 鼻血が流れ出る気配。

 だがそのダメージと引き換えに一つの閃きがもたらされた。

 鼻血を拭い、びしょ濡れになった顔でコンラートを見返して言う。


「ありがとう兄さん、頭を冷やしてくれて。おかげで閃いたぜ」

「なにをっ……!」


 コンラートが新たな水球を生成を開始する。

 同時に俺も、濡れたままの掌で火を燃やし始めた。

 熱を取り戻し燃焼を復活させる方法。鍵はやはり「圧力」だった。


(――断熱圧縮)


 ある物体、とりわけ流体に圧力をかけると温度が上昇する。

 断熱圧縮とはディーゼルエンジンの燃料点火や、大気圏再突入時の宇宙船が高熱にさらされる現象を説明するのに使われる言葉だった。


 その原理を俺の魔法に応用する。

 掌の上、火の素となる俺の魔力。

 それを四方八方から均一に押しつぶすイメージをそそぎこむ。


 ジュワッ! 次の瞬間、手に付着していた水が瞬時に蒸発し、着火した。


「なっ――!?」


 コンラートが激しく動揺する気配。

 だが一顧だにせず、さらなる圧力をかけていく。

 火の体積が縮むにつれて温度が上昇する。


 最終的には直系一〇センチあまりの小さな「火の玉」が生み出されていた。

 思わず笑みがこぼれた。

 こんな形で「目標」を達成できるとは、我ながら出来すぎている。


「ふん! そんな小火でなにができるっ! また一発で消してやるよ!」


 コンラートは盛大な勘違いをしていたが、訂正してやる気はなかった。


「やってみろよ、出来るものならな」


 身を持って味わわせるのみだ。


「――『火球ファイアボール』ッ!」


 俺は魔法の名を叫んで放った。


「『水流』よッ!」


 コンラートもまた水流を放ち『火球ファイアボール』を迎え撃った。

 魔法を撃った直後、俺はすぐさま防御姿勢をとった。

 次の瞬間、中間地点で火の玉と水流は激突し――


 バォンッ! 『火球ファイアボール』は突然に爆発し、大きな火柱と化してコンラートの全身を呑みこんだ。


 俺の狙い通りの展開だった。

 水をかければ火は消える。ただしすべての火災が水で消火できるわけではない。


 たとえば、高温に熱した天ぷら油などで起きる油火災というものがある。

 現代日本で育った者ならば常識だが、発火した油に水をかけるのは厳禁だ。

 そんなことをすれば「水蒸気爆発」が起きて被害がいっそう拡大してしまう。


 コンラートは今まさにそれをやった。

 水は水蒸気になると体積が一七〇〇倍にも膨れ上がる。

 その急激な膨張こそが水蒸気爆発の正体だ。


 断熱圧縮によって高温となった『火球ファイアボール』は、水蒸気爆発を起こすだけの「火力」を持っていた。


「あぐぅっ……あぁっ……ぁぅあぁっ……!」


 火柱は一瞬で消え、地面に倒れて転がり回るコンラートの無様な姿が現れた。

 髪や衣服を燃やす火を消そうともがいている。

 全身が濡れていたことが幸いし、多少の火傷程度で済みそうだった。


 パキンッ……! 俺の「呪われた火」を浴びたことにより、コンラートの杖の魔石が砕け散った。


「どうする、コンラート兄さん。まだやるか?」


 俺が近づいて、再び掌に火の玉を作り出す。


「ま、待ってくれ! 負けを認めるっ! 認めるからやめてくれぇええええっ!」


 靴でも舐めそうな勢いの敗北宣言。

 俺は安堵の息をついて火を消し、コンラートに片手を差し出したが、


「ひぃぃっ……!」


 相手は怯えきって後退りするばかりだった。

 どうあれコンラートは、もう二度と俺を邪魔立てしようとは思わないだろう。


「見届けてくれたな、エル」


 コンラートに構うのはやめ、戦いの趨勢を見守っていたエルに声をかけた。

 エルは水蒸気爆発が起きる寸前、機敏に反応して土壁で身を守っていた。

 その土壁が崩れ、エルが姿を現して駆け寄ってくる。


「それはもう! びっしりばっしりと見届けましたとも! さすがはラディ様です、わたくし――ぁ痛ぁっ!」


 俺はエルの頭を軽く拳骨で叩いた。


「な、なにするんですかぁーっ!?」

「売り言葉に買い言葉で自分を景品にした罰だ」

「だって、ラディ様なら絶対に勝ってくれるって信じてましたから……ごめんなさい」

「もう二度とあんな真似はしないって約束してくれるか?」

「はい、約束します」

「ならいいんだ。叩いて悪かった」


 俺はごく自然な動作でエルの頭を撫でた。


「い、いえいえっ! これで十分すぎるくらいお釣りがきますからっ……!」


 エルは心地良さそうに目をつむって言った。

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