第6話 呪われた火
事実として、火とは危険で恐ろしいものだ。
燃焼によって生じる高熱や有毒ガスは容易に人を死に至らしめ、ひとたび火災が起きれば家屋や財産は丸ごと失われてしまう。
ただし、それを補って余りある有用性が火にはある。
だからこそ地球人類は火を制御し、今日までに高度な文明社会を築き上げてきた。
地球文明は「火の文明」と称しても差し支えないだろう。
ところで、地球とミスカリアは様々な点で酷似している。
惑星の重力も等しく、大気の組成もほぼ同じ。
動植物の種類や形態もおおむね変わらず、人類が食物連鎖の頂点に立っている点も同様だ。
その人類にしても、身体構造から知能指数、服装や建造物の様式、統治機構と政治形態、文化風習に社会規範と、ほぼあらゆる要素で相似していた。
大きな違いといえば、文明の基盤が科学と魔法で異なるという点くらい。
そして「火」に対する意識の違いだった。
ミスカリアにも自然現象としての火はむろん存在するが、日常生活からは徹底的に排除されていた。
火の利用法としてぱっと思いつくのは、照明、調理、暖房といったところだが、ミスカリアにおいてはそのすべてが魔石によって賄われていた。
魔石とは魔法文明の根幹を成す物質。
魔力の増幅と術式の記憶という二つの機能を備え、火よりもはるかに安全で使い勝手のいい熱や光を提供する。
魔石がほぼ無尽蔵に供給されることから、ミスカリアでは火を使うことなく文明を築き上げてきた。
レベルとしては、地球でいうところの産業革命の直前。
いや、魔法の利用を考慮すればもっと上かもしれなかった。
そんなわけで今の俺はこの世界で唯一、自らの意思で積極的に火を使う人間だった。
鍛錬開始から三日が経過。
成果はそれなりで、掌に生み出した炎を数メートル先まで放射できるようになった。
また、脳内にコントローラーを具現化する必要がなくなった。
転生から時間が経って俺とラディの統合が進んだからなのか、はたまた過去のミスカリアは「ゲーム外」であるからなのか、理由は不明だ。
ともかく、より直感的に魔法を使えるようになったのはありがたい。
「なんだかなぁ……」
だが全体として俺の気分は沈んでいた。
心中に疑念が芽生えたからだ。
このまま続けていて本当に「最強」を目指せるのか、と。
強くなった自分、その明確なビジョンが描けない。
なにかを変えなければいけないのに、その「なにか」がどういうものかさえ分からない。
俺の現状はそんな感じだった。
どうしたものかと考えていると、背後に人の気配がした。
珍しいなと思う。俺が鍛錬を始めてからというもの、このエリアには誰も近寄らなくなっていたからだ。
振り返ってみると、木陰からエルが恐る恐る覗きこんでいた。
「やあエル、様子を見に来てくれたのかい?」
「は、はいっ……」
エルは木陰から出て近づいてくるが、足取りは普段より重い。
彼女は本心からラディを気にかけ信頼しているが、それでも火に対する恐れや忌避感は拭いきれないらしい。
「やっぱり火の魔法は怖いか?」
「……申し訳、ありません」
エルは頭を下げてつぶやいた。
繰り返しになるが、ミスカリアでは火そのものが忌み嫌われている。
それがこの世界の常識であることは周知の通りだが、ラディが操るのはいたって普通の赤い炎である。
死使徒化した後も変わらない。
見た目のみならず特殊な状態異常や付帯効果も存在しない、ありきたりな火属性の攻撃だった。
では、具体的になにがどう呪われているのか?
その答えは、ミスカリアを支えるエネルギー源である魔石との関係で説明できた。
魔石が持つ、魔力の増幅と術式の記憶という二つの機能。
これは生活魔法のみならず固有魔法でも利用可能で、魔導師は魔石をはめこんだ「杖」を補助道具として用いる。
魔石は魔法を選ばない。しかし、ただ一つだけ例外が存在した。
それが火の魔法だ。
俺が実際に魔石を介して魔法を使おうとしたところ、即座に砕けてしまった。
より厳密に言うと、俺が魔力を送りこんだ時点で拒絶反応が生じるようだった。
何個か試してみたが結果は変わらず「呪われている」という言葉の意味を否応なく実感させられた。
「エル、無理して見に来なくてもいいんだぞ?」
「いえっ、そういうわけには参りません! 今はまだ少し怖いですけど、逃げて目をそらしていたらいつまで経っても克服できませんからっ」
エルは気丈に言って自らを奮い立たせた。
俺は本気で感心して、
「さすがはエルだ。俺のメイドは優秀なだけじゃなくて、勇敢さまで兼ね備えているんだな」
「そんなっ……わたくしはただ、ラディ様のそばにいたいだけですっ……!」
エルは顔を赤らめてつぶやいた。
つくづく思う。こんな女性が近くにいたら、元の世界の俺も引きこもりのゲーム廃人にならずに済んだに違いない。
「そうだ、せっかくだからなにかアドバイスをもらえないか」
「わたくしがラディ様に、ですか?」
「ああ。エルは才能がある上に勉強熱心だって、父上も褒めていたぞ」
ラディより一つ年上のため、エルは昨年に儀式を通過している。
彼女は土石系の固有魔法を持ち、最近では屋敷の庭の造園などに役立てているという話だった。
エルは真剣な顔になって、
「一つお尋ねします。ラディ様はどんな魔導師になりたいのですか?」
「俺は――」
ここで恥ずかしがっても仕方ない。俺は正直な気持ちを打ち明けた。
「誰よりも強い魔導師になりたい。もちろん冗談じゃなくて――」
「本気でおっしゃっているのですね。わかりました」
エルは一つ咳払いをして、
「では、わたくしも本気でびしばし厳しく助言させていただきますね! 失礼無礼はご容赦くださいませ」
「よろしく頼む」
「まずは基礎知識ですが――魔法の優劣を決定づけるのは、魔力量でも術式制御でもありません。大事なのは常識にとらわれない自由な発想を持ち、既存の概念を打ち破ること。歴史に名を残す偉大な魔導師は例外なくそうだったと言われています」
「自由な発想か」
俺も口元に手を当てて考えこむ。
「ですが、申し訳ありません。わたくしは『火』に関してはとんと疎いものでして……」
ミスカリア人のご多分に漏れず、というわけだ。
「それなら問題ない。俺は火にまつわる色々なことを知ってるからな」
「は、はあ。そうなのですか……?」
エルが不思議がるのを見て、俺は失言したことを悟った。
ラディとてミスカリア人であり、火に関しては人並みに疎かったはずだ。
「いや、ほら、ここ数日で調べられるだけ調べてみたんだ」
俺が言い繕うと、エルは納得してくれたようだった。
「それと、実践訓練も大事ですけど、やはり魔法の基本は座学です。ラディ様、火の魔法は魔導書がないから文献に当たる必要はない、なぁんて思っていませんか?」
「お、思ってたけど……」
「甘いです激甘ですっ! そんなんじゃ最強の魔導師なんて夢のまた夢ですよっ!」
エルは先の宣言通り、スパルタ教師のごとくまくし立てた。
「他系統の魔法でも可能な限り多くの魔導書を読みこむべし。なぜだか解りますか? 解らないなら今すぐ考えてくださいっ」
「ええと……多くの魔法の知識に触れることで、新しい発想を閃くかもしれないから?」
「正解です。もう一つは?」
「も、もう一つあるのか? ええっと……」
「ラディ様、考えてくださいませ。最強の魔導師になるんだったら避けては通れない道ですよっ!」
はたと気づく。発破をかけるエルの言葉は、そのままヒントになっていた。
「知識は武器になる。相手の魔法を知っていれば、どんな敵との戦いでも優位に立てるから、だな?」
「はいっ! さすがはラディ様、大正解です!」
エルは笑顔になって言った。
「というわけで、今日の午後からはみっちりと座学に打ちこみましょう。魔導書はわたくしのほうで手配いたしますのでっ!」
「あ、ああ」
俺はエルの気迫にたじたじになってしまう。
ラディの記憶を振り返ってみても、彼女がこれほど意気軒昂になったことはなかった。
「それと、訓練場には標的があったほうが都合がよろしいでしょう。ということで――『土壁』よっ!」
エルは右手を差し出して短く唱えた。
ミスカリアにおける魔法の「呪文」は、現象を表す簡潔な単語の形をとるのが一般的だった。
ズズズッ! エルの土石魔法により、一〇メートルほど離れた地点の地面が隆起。
たちまち簡素な土壁が造り上げられた。
「至れり尽くせりだな。本当にありがとう、エル」
「お礼を言ってる暇があるなら訓練ですよ!」
「わ、わかった……!」
俺は背筋を正して土壁に向き直った。
「それではがんばってください、ラディ様。めざせ最強ですっ!」
エルは力強く言って立ち去っていった。
その背中を見送りながら、ふと思う。
やけに張り切ったあの態度は、火の恐怖を克服するための方策だったのかもしれない。
(本当にいい娘だな――)
ラディはさておき、俺には過ぎたるメイドだ。
彼女の期待を裏切らないためにも、今は訓練あるのみだった。




