第18話 ミスカリアの日常
もし今、運命の女神だか世界の創造主だかが目の前に現れて、俺にこう尋ねたとしよう。
『元の世界に帰りたいか?』
そしたらこう即答してやるつもりだ。
『全然まったくこれっぽっちも』
それが俺の偽らざる本心だった。
解っている。ラディである限り、俺は遠からず火葬の死使徒と化して不死者に殺される。
その運命はいまだに不変で、一日ごとに約束された死の刻限へと着実に近づいている。
そうでなくともこの世界には危険が多く、予期せぬ事態であっさり命を失ってしまうかもしれない。
先日の母熊戦などは相当に剣呑で、一歩間違えれば首から上が吹き飛んでいたのは俺のほうだった。
今後、計画を遂行していけば、より危険で強大な敵との戦いは必至。
俺の命は一つしかなく、死んでしまえばそれっきり。
ゲームのように、あるいは不死者のように生き返ることはできない。
(だからなんだって話だよな)
どこにいて、なにをしていようと、人はいつか死ぬさだめ。
だったら俺は、仮に選択権が与えられたとしても、現代日本ではなくミスカリアでの人生を選ぶ。
ラディとしてミスカリアで過ごすにつれ、その考えは強く確固たるものになっていた。
今はむしろこう思う。
(元の世界の俺は、本当の意味で「生きて」いなかった――)
年中、部屋に引きこもってはゲームをするだけの日々。
『ダムドファントム』を筆頭にゲームは面白く熱中できたが、プロゲーマーを目指していたわけでもない。
どこまでいっても、人生の意義と目的を見失った末の「暇つぶし」の域を出なかった。
ひるがえって、今はどうか。
ラディに転生した俺は、人生の意義と目的を明確に見定め、そこへ向かって邁進している。
過酷な出来事も多いが毎日が充実していて、本当に「生きて」いると実感できる。
なるほど、たしかにこの世界は真実ゲームの中なのかもしれない。
しかし今や、俺にとっては現実よりもよほど現実らしい環境だった。
◇◇◇
「では、いただこうか」
フォーマルハウト家では、夕食は家族そろって取る決まりだ。
簡単な祈りの言葉を捧げた後、父ダーヴィトの合図で食事が始まる。
食卓に並ぶのはパンにチーズ、ハムやソーセージに塩漬けや酢漬けの野菜類など。
特徴的なのは、火を通した温かい料理が一つもない点だった。
別に質素なわけでも倹約しているわけでもない。
ミスカリアではこの「冷たい食事」が当たり前だった。
地球でもドイツなどで見られる食生活だが、火を禁忌とする文化圏ではこうなるのが当然の帰結かもしれない。
わびしく味気ないかといえば、そんなことはまったくなかった。
(どれもこれも本当に美味いんだよなぁ)
少なくとも、部屋で一人きりで食べるカップ麺やコンビニ弁当やスーパーの惣菜とは比較にならないほど豊かな食事だった。
パンは外側こそ硬いが中はモチモチで、焼く必要性を感じないほど食味が良い。
チーズもハムもソーセージも、俺の知っているそれとは同名の別物と感じるくらい濃厚で複雑な味わいがした。
貴族の食卓に並ぶのだから、間違いなく高級品ではあるのだろう。
それを差し引いても、ミスカリアの保存食技術は現代日本をも凌駕しうるレベルだった。
「ラディ、学院のほうはどうだ?」
「はい、父上。座学がとにかく難解で、付いていくのに必死ですよ」
「剣術のお稽古もほとんど毎日でしょう。無理だけはしないでね、ラディ」
「大丈夫です、母上。ソウゲン先生にも無茶はするなときつく言われていますから」
さらに、この世界での夕食には家族の団欒があった。
楽しい会話は料理にとって最高のスパイス、なんていう話も、あながちオカルトではないような気がする今日この頃だった。
「父上、それよりも経営の話をもっと聞かせてほしいな」
また、最近は夕食に兄コンラートも同席するようになっていた。
俺との魔法戦に敗れた後、さらに塞ぎこむかと思いきや、逆に吹っ切れて屈託がなくなった。
今では経営や事業に興味を持ち、少しずつ父の仕事を手伝っているという話だった。
俺に対しても先日「当主の肩書はお前にくれてやる。だが実権は俺が実力で握ってやるからな」と堂々と宣戦布告してきたくらいだ。
人は変わる。かくいう俺自身も、現代日本にいたときとはもうすっかり別人だろう。
(運命を変えたいなら、まずは自分を変えるしかない――)
試行錯誤に創意工夫。歩みを止めようとしない限り、俺はまだまだ変われるし、もっとずっと強くなれるはずだ。
◇◇◇
朝、いつも通り身支度を整えて通学の準備を済ませる。
馬車を待たせている屋敷の車回しに出ると、待ち構えていたエルが鞄を手渡してくれた。
が、今朝に限って「いってらっしゃいませ」の挨拶がない。
訝しんでエルを見返すと、なにやら緊張の面持ちを作っていた。
「エル?」
俺がさらに訝しんで尋ねると、
「あ、あのですね、ラディ様っ! こんな時になんだとは重々承知しておりますけど、こんな時でもなければ言う機会がないので言わせていただきますねっ!」
「あ、ああ。なんだ?」
つられて俺まで緊張し、背筋をぴんと伸ばしてしまう。
「わたくしは、ラディ様のことを――」
ごくりと生唾を呑みこむ。
「本当にご立派な方だと思いますっ!」
身構えていた俺は、やや拍子抜けしてしまった。ああ、そっちの話だったかと思う。
エルは真剣そのものの態度でつづける。
「呪われた火という逆境をものともせず、信念を持ってご自身の道を進むそのお姿、わたくし心から尊敬いたしますっ!」
「あ、ありがとう。でも、どうして急に?」
「急に、ではありません! ここ数ヶ月のラディ様に対してずっと思っていたことですからっ!」
エルはぐいっと距離を縮め、勢いにまかせて俺の手を取って言った。
「わたくしも見習わさせていただきます! ラディ様にふさわしいメイドになれるよう、誠心誠意努力精進する所存ですので、今後とも何卒よろしくお願いいたしますッ!」
「俺のほうこそよろしく頼む。ところで、エル?」
「はいっ、なんでしょうかラディ様!」
「さっきからずっと手を握ったままだけど……」
「へっ? ぁっひゃぅわぁうぅッ!?」
興奮しすぎてまったく意識していなかったらしい。
エルは飛び上がってしどろもどろになった。
「し、ししっ、失礼つかまつりまひゅたぁっ!」
微笑ましすぎてずっと見ていたくなるが、ここはエルのためにさっさと出発するとしよう。
「じゃあ、そろそろ行ってくる」
「は、はいっ! いってらっひゃいましぇっ……!」
見送りの挨拶まで噛んでいた。そこまでうろたえなくてもいいと思うのだが。
馬車が動き出した後も、しばらく俺の口元からは笑みが離れなかった。
はたと気づく。それは面白さや愉快さからくる笑みではなかった。
(そうか、俺は――!)
エルの言葉に胸を打たれ、心が震えていたのだ。
気づいた直後、背筋がしびれて鳥肌が立った。
危うく涙腺が緩みかけそうになり必死で堪える。
純粋な信頼と尊敬の念。
それを向けられることがこんなにうれしいとは思わなかった。
無理もない。俺にとっては人生で初めての経験なのだから。
家族の団欒と同じく、尊敬の念もまた元の世界ではついぞ手に入れられなかったものだった。
いよいよもって、元の世界には戻りたくない。
そう強く思わせる、ある朝の一幕だった。




