宇佐美枫は未来を知っているようで
翌日。
昼休みのチャイムが鳴っても、教室はどこか慌ただしい空気に満ちていた。
「宇佐美、今日もバイトだろ? お疲れー」
「最近ほとんど昼休みいないよな」
「てか高校生であんなに働いて大丈夫かよ」
そんな声があちこちから聞こえてきた。
視線を向けると、
教室の後ろでスマホを耳に当てている宇佐美枫の姿があった。
落ち着いた声。
高校生とは思えない話し方。
眉ひとつ動かさない大人の表情。
「はい……来週までには必ず払います。
ええ、そちらの条件で大丈夫ですので」
静かだがどこか追い詰められているような、不安を抱え込んだ声だった。
電話を切った瞬間、彼女はすでに“学校の顔”に戻っていた。
その変化の速さに、思わず息を飲む。
(……妻の遥も、疲れてるときはこんな顔をしていた。)
大学時代の妻の表情が重なり、胸がざわついた。
枫は僕に気づくと、軽く会釈をした。
「加賀見くん。今日は……どうしたの?」
「いや、別に。ただ……昼休みなのに忙しそうだなって」
「ふふ、そっちこそ珍しいね。誰かを“心配そうに”見るなんて」
まるで僕の心を読んでいるような口ぶりだった。
(やっぱり……ただの高校生じゃない。)
何かを知っている。
“未来”を知っているような雰囲気がある。
「宇佐美さんって……いつも大人だよな」
「大人……ね。よく言われるよ。
でも、大人になりたいと思ったことなんて、一度もないよ」
「え……?」
枫はわずかに微笑むが、その目は笑っていなかった。
「必要だっただけ。
生きるために……大人のフリをするしかなかったの」
言葉は淡々としていたが、どこか深く沈んだ響きがあった。
その横顔は、
妻が仕事をしながら疲れ切っていた時の姿と、あまりにもよく似ていた。
「加賀見くんは……人の“表情の変化”に敏感だよね」
「え……どうして?」
「だって、私の顔をずっと見てたから」
「っ……」
核心をつかれ、言葉に詰まる。
「……困ってることがあるなら、言ってくれればいいのに」
「困ってるよ。たくさんね」
枫は短く笑った。
乾いた笑いだった。
「例えば……家のこと、借金、バイト……全部。
でも、全部話したら、加賀見くんは多分……“助けよう”とするでしょ?」
僕は返事ができなかった。
図星だった。
「そういう人、嫌いじゃないけど……危なっかしいね」
まるで僕の性格をすべて知っているような言い方だった。
(……本当に知らないはずなのか?)
疑念が頭をもたげる。
昼休みの終わり際、枫が突然言った。
「ねぇ、加賀見くん」
「な、何?」
「あなたって……
“後悔しながら生きてきた人の目”をしてる」
胸に鋭い痛みが走った。
妻を守れなかった後悔。
最後の瞬間、手を離してしまった後悔。
それらすべてを見透かされたような言葉。
「どうして……そう思うんだ?」
「経験の問題だよ」
枫は窓の外を眺めながら続けた。
「人はね、一度大切なものを失った人じゃないと……
あんな顔はできないから」
その言葉に、呼吸が止まる。
(……まるで、全部知っているみたいじゃないか。)
彼女の横顔が、あの事故の直前の妻と重なった。
授業が始まるチャイムが鳴る頃。
枫はカバンを肩にかけて立ち上がり、ふと振り返った。
「もし——」
少しためらいながら、彼女は言葉を続けた。
「もし……“もう一度やり直せるなら”、加賀見くんはどうする?」
心臓が跳ねた。
あまりにもタイミングが良すぎる質問。
「ど、どういう意味?」
「意味なんて……ないよ。
ただの、独り言」
そう言って教室を出ていった。
しかし、僕は知っていた。
あれは独り言じゃない。
(あなた、知ってるんじゃないのか?
僕が“やり直している”って——)
枫の言葉が頭から離れなかった。
その夜。
ノートの“候補”に四人目の名前を書いた。
宇佐美枫
→ 大人びた言動
→ 未来を知っているような発言
→ 妻の疲れた時期の表情と一致
→ “やり直し”を連想させる質問
「……宇佐美さん。君も、なのか?」
胸の奥が、またひとつ重く沈んだ。
ページの端で、ペン先がじんわりと震えていた。




