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9、闇の中を行く灯火

 しばしティレルを休ませ保存食で軽い食事を摂った後、ようやく都へ向けて出発する用意が整った。

 が、用意は整ったものの、ティレルはぐずるイネスを抱きしめて宥めるのに忙しい。


「嫌です、置いていかないでください……!」


 ティレルの胸に顔を埋め、イネスは子供のように嫌々と首を横に振る。


「ごめんなさい、イネス。貴方を連れていくわけにはいかないの……守護剣を持ったユラでも耐えられない瘴気の中だもの。私自身と守護騎士のユラを守るので精一杯で、貴方までは守れないわ」

「いいです! 私は死んでもいい! ティレル様がいなくなる方がずっと嫌です……!」

「そんなこと言っては駄目。私は貴方を失うのが何よりも一番嫌よ。イネス、お願いだから聞いてちょうだい」


 二人のやりとりを、少し離れたところからユラが困った顔で見守っている。

 仲の良い二人を引き離すことになった責任を感じているのだろう。


 聖樹の都には、大陸の各地から祈り手の素養を持つ者が集う。幼い頃から修養を積み、聖職者を目指すのだ。

 そこには平民の子も多くいるが、高位の聖職者を目指すために裕福な家庭の子息や貴族の子女が籍を置くことも多い。

 そんな中にあってイネスは、とある辺境の孤児院で見出された子供であった。

 生後間も無く孤児院に預けられ、両親も知らずに育ち、四歳で祈り手の才を見出されて聖樹の都へと送られてきた。

 愛を知らず、友もなく、頼れる相手さえいなかった彼女は、まだ修行中だったティレルによく懐いた。

 眠れず夜泣きすればティレルに抱かれて夜を過ごし、食事を食べたくないと駄々を捏ねてはひと匙ずつ口に運んでもらい。同世代の子供たちと馴染めず、孤立してはティレルのローブの裾に隠れて泣いていた。そんな子供だった。

 だからこそ、ティレルからこの廃聖堂で待機するようにと言われ、イネスは猛反対した。

 イネスはわかっているのだ。守護樹の聖女が護るべき国に対する思いの深さを。この先、ジールハールの王都に災厄の原因があれば、ティレルとユラは命を賭して立ち向かうつもりだということを。

 最悪、二人は帰ってこない。取り残されたくない。

 イネスは子供に返ったかのように泣き、ティレルについていくと言って聞かないのだった。


「イネス、いい子だから聞いてちょうだい。貴方にはこの聖堂を守っていてほしいの。もし都に辿り着かなかったり、なにか不都合があった時にここでイネスに待機してもらえたら、戻って体制を整えやすいでしょう?」

「そんなの、信じられるわけないじゃないですか!」

「大丈夫、都へ行って用を済ませたら、必ずまたここに帰ってくるから。イネスを置き去りになんてしないから、ね」

「その……イネス、俺もついている。ティレルは何があっても絶対に守り抜く。だからそんなに泣かないでくれ」


 ティレルだけでなくユラまで不器用に慰め始める始末である。結局それからしばらく二人がかりでイネスを宥め、どうにか彼女も不承不承納得しようやく出立の準備が整った。

 廃聖堂にはティレルが祈祷でしっかりと結界を張り、イネスの護りとした。イネスがティレルを敬愛しているのと同様に、ティレルもまたイネスを大切に思っている。


「聖樹よ、どうか我が愛し子を護りたまえ……」


 念入りに結界へ祈りをかけ、ティレルはユラを伴いようやく聖堂を後にした。


「絶対、絶対帰ってきてくださいね! ずっと待ってますから!!」


 結界に守られながら、イネスはいつまでもいつまでも二人を見送っていた。



 ◇ ◇ ◇



 ティレルとユラは、黙々と闇の森の中を進んでいく。

 ユラが角灯を持って先頭に立ち、その後ろにティレルが続く。遭遇する魔獣は撃退したりやり過ごしたり、追いすがる死霊を祈祷で鎮めたりはしたが、王都への道程は順調であった。

 ユラによれば、瘴気さえどうにかなれば都へは半日足らずで辿り着くだろうということだった。


「ここは王都に一番近い宿場町だった。いつも多くの人がいて、たくさんの物資が行き交っていた……こんな都に近いところで、俺は十年も彷徨い続けていたのか……」


 大木の陰に腰を下ろし、角灯を地面に置いて、ユラがどこか遠くを見つめながら呟く。

 ここは倒れた木が隣の大木の根元に寄りかかっており、周囲を囲まれているので魔獣から見つかりにくいだろうと休憩場所に選んだ。

 何も知らずに見ればただの暗い森にしか見えないが、ちらほらと家屋の残骸や石畳の痕跡などを見かけるにつけ、ここが人の営みのある場所であったのだと思い知る。

 かつてのこの地の様子を知るユラの目には、どのような街並みが見えていたのだろうか――。すぐ隣に腰を下ろし、騎士の表情をじっと見つめながら、ティレルはぼんやりとそんなことを考えていた。


「ユラは以前、都は瘴気が強くて近づけないと言っていましたが、具体的にはどこまで近づけたのですか?」

「ああ、このすぐ先に都へ通じる城門があるんだが、その傍までは行けた。しかしその門から漏れ出る瘴気が凄まじくて、そこで動けなくなった」


 と、ユラは何でもないように言っているが、守護剣を携えた不死身の男が血を吐いて動けなくなったほどの瘴気である。並の人間であれば五、六回は死んでいることだろう。

 聖女が穢れに強いとはいえ、相当苦戦するだろうことは容易に知れた。

 王都はまさしく地獄の様相を呈しているに違いない。


「……この街道はたくさんの店や宿が並んでいた。石畳の道を多くの馬車や旅人が行き交い、いつも賑やかで。そのまま進んでいくと巨大な門があり、門を潜れば都の街並みが広がっているんだ……石造りの古い街並みがずっと続いていて、見上げるといくつもの尖塔が並んでいて、遠くから大聖堂の鐘の音が聞こえてくる……そんな、都だった」


 ティレルが口を閉ざして都の惨状を思い浮かべていると、それを察したのかそうではないのか、ユラはひどく懐かしそうな口振りで昔語りを始めた。

 きっと、かつての王都は素晴らしい街だったのだろう。


「民は皆実直で勤勉で、聖樹への信仰も盛んだった。先代の王が亡くなり、新しく若き王が即位したばかりで、都に住む者たちも前を向いていこうと気持ちを新たにしていた矢先のことだった……いったい、あの時都で何が……」


 昔を思い出すと、やはり後悔の念が押し寄せるのだろう。ユラの声は徐々に暗くなっていく。

 それを聞きながら、ティレルは申し訳ないなと思いつつも苦笑を浮かべた。


「……なんだか、私たちって似てますね」


 ティレルの言葉に、ユラが不思議そうに振り返る。


「私もこの地へ来てから、私が十年前にジールハールへ来ることができていればこの災いは起きなかったのでは、私がもっと積極的に守護樹を探していればこうはならなかったのではと、ずっと考えていました。

 もちろん私の苦悩は、ユラの十年分の苦しみの足元にも及ばないでしょう。でも、こうして貴方の悩みを聞いていると、悩む方向は一緒なのだと思えるのです。それが、不謹慎かもしれませんがほんの少しだけ、嬉しかったです」


 ティレルがそう言うと、ユラは虚をつかれたとばかりにぽかんとして彼女を見つめた。

 そして一瞬間をおいて反論する。


「いや、十年前のことはティレルには何の責もない。あの時は先代の聖女殿も急な病で早世されて間もなかった。次代の聖女が喚ばれるには、まだ時間がかかるだろうと誰もが思っていた時だった」

「それでも後悔せずにはいられないのです。それに言うのであれば、ユラにしても同じでしょう。都を離れていたのは、王から魔獣の討伐を任されていたから。守護剣を託されれば、誰だって嫌とは言えないでしょう。私も、貴方もどうしようもなかった。だけどこの災いは自分のせいなのではと、後悔せずにはいられない」


 僅かな釦の掛け違いであり得たかもしれない平和な世界。その幻影に二人とも囚われている。

 お互い、相手に責はないと思っているのに、自分ばかり責めてしまう。

 側から見れば滑稽でしかないその様子に、ティレルは疲れたような苦笑を浮かべていた。

 どんなに後悔しても、現実はこの暗い森でしかない。

 地面に座るユラとティレルの間で、角灯の明かりが頼りなげに揺れている。


「……ああ、そうだな。まったくだ」


 聖女の言葉と表情から、己の後悔が堂々巡りしていることを思い知ったか。

 ユラは深い溜息を吐きながら、ティレルの言葉に同意した。

 どれほど後悔しても、どれほど苦しんでも、聖女と騎士は闇の中を這い進んでいかなければならない。

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