6、灯火の剣士
「……お前たち、何者だ」
蜥蜴の魔獣が完全に絶命しているかを入念に確認した後、剣士は低く掠れた声で問うてきた。
明らかにこの辺りの人間ではないティレルとイネスに警戒している様子である。
「お初にお目にかかります。私たちはこの先にあるジールハールの都を目指して巡礼の旅をしている者です」
「都だと? あそこは人が足を踏み入れられる場所ではない。疾く帰れ」
「それでも行かねばならないのです。その為に、灯火の剣士様……貴方を探しておりました」
警戒している相手に回りくどいことを言っても逆効果だろうと、ティレルは包み隠さずこちらの目的を告げた。
「何故だ」
「それは私が、守護樹の聖女だからです」
胸に手を当て、真っ直ぐに剣士の目を見ながら、ティレルは堂々と名乗る。
「私は聖女ティレルと申します。こちらは祈り手のイネスです。共に、聖樹の都より参りました。
……私が仕えるはずであった守護樹を探すために」
ティレルの言葉に、剣士の目が僅かに見開かれた。
「聖女、だと……?」
「はい。故に、私はこの先にあるジールハールの守護樹が今どうなっているのかを確かめに行かねばなりません。そのためにはこの森と都について知っている貴方に助力を頼みたいのです。如何でしょうか」
そう言われて、剣士は考え込むように目を伏せた。
そしてひと呼吸置いて、右手に握り締めていた大剣を肩に担ぎ上げる。
「……ついて来るがいい。ここで長話をするべきではない。じきに、血の匂いを嗅ぎつけて別の魔獣がやってくる」
と言って、剣士はティレルらに背を向けて歩き出した。
どうやら話は聞いてもらえるらしい。
それを見てティレルとイネスがぱっと顔を見合わせた。ティレルはほっとしたような微笑を、対照的にイネスはまだ信じられないというような表情を浮かべて。
角灯の明かりを頼りに、しばらく森の中を進んでいく。
先頭に立つのは大剣を担いだ灯火の剣士。その背中は広いが、少し曲がった背には深い疲労が滲んでいるようだった。
剣士の後にはティレルとイネスが続く。森の中で何かが動く気配や音を感じる度にイネスがびくりと首を竦め、ティレルがその手を握り締めて、おっかなびっくり歩みを進めた。
やがて、三人は森の中に取り残された一軒の廃墟の前に辿り着く。
「ここは……」
イネスが角灯を掲げ、その廃墟を見上げる。
建物に程近い地面から生えてきた大木によって土台ごと傾いてこそいるが、それでもまだ半壊程度に留まっている石造の建築物。様式などから見ても、それは聖樹に祈りを捧げる聖堂に違いなかった。
「……この地下に、聖なる性質を帯びた水が湧く泉がある。故にこの近くには魔獣も近寄らん」
ぼそぼそとした声で剣士が説明する。
どうやら聖水の湧く泉の上に建てられた聖堂であるらしい。
「確かに、この辺りはなんだか息もしやすい気がします」
話を聞いたイネスが少し安堵したように頷いた。
同様にティレルも周囲の瘴気が薄くなっているのを感じている。剣士の言葉は確かに嘘ではないようだ。
聖堂の中は人の気配も明かりもなく、ひっそりと静まり返っている。
崩れかけた椅子の上に剣士が角灯を置くと、そこに降り積もっていた埃がふわりと立ち昇った。
「……守護樹の聖女、といったか」
剣士は肩に担いでいた大剣を下ろし、杖がわりにするように板張りの床に突き立てた。
森の中ではよく見えなかったが、精緻な細工の施された優美な剣である。しかしよほど激しい戦闘を重ねてきたのだろう、その刀身は歪み、刃は毀れ、赤黒い汚れでべったりと汚れてしまっている。
「それは、本当なのか」
剣士の鋭い目に射抜かれながら、ティレルは怯みもせず首肯する。
「はい。教皇庁で発行された手形もありますが、お見せしましょうか」
「いや、いい。こんなところまで来て守護樹を目指そうなんて人間が、わざわざ嘘を吐くこともなかったな……それで、お前たちは王都について知りたいのだったか」
「そうですね。私たちはまず土地勘がありませんので。そして先ほど魔獣と戦ってみて、やはり相応の戦力は必要と感じました。できれば守護樹までの道中、貴方に護衛をお願いしたいと考えております。この濃厚な瘴気の中でも活動できる方は、そういないでしょうから」
ティレルが率直に告げると、剣士はこちらをじっと見つめたまま、剣の柄を握る手にぐっと力を込めた。
「……いいだろう。こちらとしても望むところだ」
剣士は二つ返事で護衛役を了承した。
願ってもないことではあるが、あまりにもあっさりと了承されたことに、ティレルとイネスは逆にきょとんと目を見張る。
「俺も元々、王都に行きたかった。しかしあそこは本当に瘴気が濃い。俺でも近づけば血を吐いて動けなくなる」
「それほど酷いのですね」
「だが聖女がいるというのであれば話は別だ。聖女は瘴気への耐性や浄化の力が強いのだろう。であれば、俺もようやく王都に辿り着けるかもしれん」
そう言いながら、剣士は忌々しげに遠くを睨みつける。きっとそちらが王都の方角なのだろう。
「わかりました。そういうことであれば、私の守護騎士として契約しませんか?」
「ちょ、ティレル様!?」
ティレルの提案に、すぐ側で話を聞いていたイネスが素っ頓狂な声を上げた。
ティレルにはもちろんそんなつもりはなかったが、聖女の騎士なんて現在では聖女の結婚相手に対して贈られる名誉称号のようなものである。魔獣との戦いが盛んであった大昔ならいざ知らず、彼女の発言は現代の感覚では目の前の正体不明の剣士にいきなり求婚したようなものだった。
それを知ってか知らずか、提案された剣士は怪訝そうに片眉を吊り上げた。
「聖女の守護騎士として契約を結べば、貴方にも私の持つ瘴気への耐性や浄化の力を共有させることができます。それが本来の契約の意味なのですよ」
「お前はそれでいいのか?」
「構いません。守護樹の現状がどうなっているのか確認するのが私の目的ですが、恐らく聖女としての私の役目はそこで終わるでしょうから」
覚悟はしているのである。
己が赴くはずだった国が、すでに消滅しているということを。
聖女は守護樹を管理し、国の行く末を見守る存在。国が滅び、守護樹も死んだとなれば最早ティレルにできることはない。であれば、この剣士と騎士の契約を結んだとてすぐなかったことになるだろう。
平然と言ってのけるティレルの態度に、何故か剣士がどこか傷ついたような表情をしたのが少し不思議であった。
「……わかった。俺と契約してほしい」
少し間をおいて、剣士は覚悟を決めたように重々しく頷いた。
イネスはイネスで信じられないとでも言いたげな顔をしている。
「承知しました……しかしその前に」
契約のために手を差し出した剣士に、ティレルは待ったをかけた。
「貴方とその剣は穢れを溜め込みすぎています。一度浄化をしましょう」
「こ、この人をここでですか!?」
ティレルの言葉にイネスが悲鳴のような声を上げ、剣士も思い切り顔を顰めた。
魔獣は大地の穢れから生じると言われ、その身にも穢れを溜め込んでいる。そして魔獣と戦ったり、殺したりすればその相手も穢れを受けることになる。
魔獣を討伐する戦士はその都度祈り手に浄化を受けて穢れを取り除く必要があり、それを怠ればたちまち体調を崩し、精神に変調をきたすと言われている。
しかしこの剣士に関しては、いったいどれほどの期間浄化を受けていないのかわからないというほど、その身に穢れを溜め込んでしまっていた。何故これで生きていられるのかわからないというほどの穢れようである。
そんな剣士をこの穢れと瘴気に満ちたこの地で、聖女ひとりと祈り手ひとりという僅かな人手で浄化するなど、まさに狂気の行為と言えた。
「確かに、この方を完全に浄化するにはきちんとした設備と多くの祈り手と、そして長い年月が必要でしょうね。でもこのまま私と契約したら、この方の穢れが私にも共有されてしまうわ。それでは王都に辿り着く前に私も消耗してしまうから、ここで極力穢れを落としておかなければならないの」
「でも……こんなところでどうやって?」
「そこでなんですけど、剣士様。この聖堂の地下には聖水の湧く泉があると仰いましたね?」
「ああ、そうだが……」
「ではそこで浄化を行いましょう。人手も時間もありません。荒療治ですが、聖水を汲んで貴方にひたすらぶっ掛けます」
「「は???」」
イネスと、剣士の声と表情がぴったり重なった。
「テ、ティレル様……?」
「他に方法がありません。それで全ての穢れを取り除けるわけではないですが、二人でひたすら祈るよりはいくらかましでしょう。剣士様、地下へはどこから入れますか? あとバケツのようなものがあれば使いたいのですが」
「待て、ちょっと待て」
もうやる気満々のティレルに、剣士が戸惑うように後ずさる。
「そ、そんなことで穢れを祓えるのか……?」
「万全ではありませんが、やらないよりはましです。そして他に方法はありません。もちろん無理強いはしませんが、その場合私は貴方との契約は諦め、一人で王都に向かいます。その上でお聞きします。浄化、やりますか? やりませんか?」
「ぐっ……!」
決断を迫られ、剣士は苦し気に呻いた。
「……やる、浄化を受けよう。王都に行けるならばどんな苦難でも耐えてみせると決めたのだ」
絞り出すような声に、ティレルは満足げに頷いた。
「わかりました。ではすぐに始めましょう。イネス、手伝ってちょうだい」
「うう、大丈夫ですかねぇ……」
こうして、灯火の剣士の即席穢れ祓いの儀式が始まったのである。