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5、瘴気の森

 聖女ティレルと祈り手イネスが旧ジールハール王国領の最初の村に辿り着いてから、十数日程が経過した。

 最初の村を拠点にいくつかの村を回り、都への手掛かりとなるかもしれない灯火の剣士なる人物の目撃証言を集めていたのである。

 人々から話を聞いて判明したのは、件の剣士は人が魔獣や死霊に襲われるところに現れることが多いということであった。

 闇の森に迷い込んだ人々が魔獣などから逃げ回っていると、どこからともなく現れ、魔獣を斬り伏せ迷い人を助けてくれるのだという。


「というわけで、しばらくの間私たちで魔獣退治をしてみようと思うの」

「本気ですかティレル様」


 イネスは呆れていたが、ティレルは本気である。

 祈り手にも退魔の力はあるが、聖女の祈りの力はそれよりも各段に上だ。少なくともティレルさえいれば、よほど強力な魔獣が出現しない限り瘴気蔓延る魔境でも探索できるだろう。

 しかし過信はできないので、自力で突入する前にまずは灯火の剣士の存在を信じ、彼の出現を待って闇の森の辺縁で魔獣を追跡する。数日のうちに灯火の剣士が現れれば彼と接触して協力を要請し、現れなければ当初の予定通りティレルとイネスの二人で突入を試みる。

 闇に呑まれた都について何も情報がない以上、これはティレルなりに万全を期しての考えであった。


「……仕方ないですね、あんまり危険そうだったらすぐに引き返しますよ」

「ええ、それでいいと思うわ。ありがとうイネス」


 こうして、王都探索の方針が固まった。



 ◇ ◇ ◇



 明くる朝、仲良くなった村人たちに心配されつつも、ティレルとイネスは闇に呑まれた王都へと出発した。

 隣国の都市へと続く街道は整備されており、乗合馬車や旅人の往来も盛んであったが、滅びたジールハールの王都への道は使われなくなって久しい。当然、ここからは徒歩以外に移動の術はない。宿もないので、夜は野営して過ごす。

 途中まではごくありきたりな荒れ野の風景が続いていたが、それが二、三日ばかり歩いていくと徐々に見たことのない木々が伸び始め、辺りは次第に薄暗くなりつつあった。


「ここ、すごく嫌な感じです……」


 そろそろと歩きながら、イネスが薄ら寒そうに自分の二の腕をさする。

 ティレルも辺りの異様な雰囲気に、緊張した面持ちで頷いた。

 まだ森に近づいただけだというのに、既に瘴気が濃い。瘴気の濃さ故に、日光が遮られて夕暮れのような空模様になっているのだ。

 このような状況は、見たことも聞いたこともない。

 そして辺りに生えている植物もおかしい。ひょろひょろとした細い木が生えているとばかり思っていたが、よくよく見ればその幹には血管のような脈が走っており、しかもそれがどくんどくんと拍動するかのように蠢いているのである。

 木に触れてみようと手を伸ばしかけたティレルは、それを見て咄嗟に手を引っ込めた。


 先へと進んでいくにつれ、周囲は徐々に暗くなっていき、森の木々も明らかに巨大になっていく。

 まだ日没には時間があるはずだが、暗くて足元も危うくなってきたのでイネスが持ってきた角灯に火を入れた。灯りのおかげで少なからず気持ちは落ち着いたが、嫌な気配が常に漂っていることに変わりはない。

 この森はここ十年の間に成長したものだというが、信じられないほどの巨木ばかりである。ここは既に千年もの時が経過した極相林だと言われたら、そうとしか思わないだろう。しかし闇に目を凝らせば、巨木に圧し潰されたように崩れた家屋の跡や、枝に引っ掛かって遥か頭上まで持ち上げられた荷馬車の残骸などが見てとれた。

 やはりここは、十年前までは人の生活していた場所だったらしい。


 と、その時。


「……!」


 闇の向こうから発せられる殺気に、ティレルが足を止めた。

 ずん、という重い足音と共に、その方向から濃密な穢れの気配が漂ってきている。

 魔獣の気配にイネスも身構えた。しかしティレルはそれを制し、一歩前に出る。


「追い返すわ。魔獣の強さも確認しておきたいの」

「無理はしないでくださいね……!」


 そんなやりとりをしているうちに、魔獣もこちらが退かない構えであることを察知したのだろう。突き刺さるような殺気を放ちながら、魔獣がずんずんとこちらへ迫ってきた。

 角灯の灯りによって、巨大な魔獣の姿が露わとなる。

 

 それは巨大な、とてつもなく巨大な蜥蜴(とかげ)であった。

 体高はちょっとした家ほどもあり、長大な尾の先までは光が届かず見えないほど。

 歪んだ骨格。汚らわしい鱗。鋭く尖った剣のような爪。

 そして何より悍ましいのは、大小様々な目玉が数えきれないほど不規則に張り付いた頭である。ぎょろぎょろと蠢く無数の目玉がこちらの姿を捕らえ、ティレスの背後ではイネスが思わず息を呑んだ。

 蜥蜴は、こちらがちっぽけな人間であると気付いて、それを嘲笑うかのようにがぱりとその凶悪な口を開いた。

 大きささえ不揃いな、しかしその鋭利さだけは一目でわかる牙がびっしりと生えた巨大な顎は、ティレルなど簡単に一飲みにできることだろう。

 しかしティレルは恐れることなくぴんと背を伸ばし、蜥蜴の魔獣に向かって右手を伸ばす。手のひらを魔獣に向け、まるで魔獣を押し留めるかのように。


「清浄の光頂く我らが聖樹よ、力をお貸しください。地の穢れより生じた魔獣を近づけず、必ずこの地より追い払いますように」


 祈りを紡ぎ、自身の体を通じて聖樹の力を引き出すイメージを織り上げる。それと同時にティレルの体を淡い輝きが覆い始めた。

 聖女が持つ浄化の力が活性化している証拠である。

 その力の波動が周囲の木々の梢を揺らし、魔獣もぴたりと動きを止めた。


「魔獣よ、去りなさい。去れ、去れ、去れ――!」


 祈りの言葉にも力が入る。

 並の魔獣ならば既に恐れおののいて逃げ出しているほどの浄化の波動が発せられているにもかかわらず、この蜥蜴の魔獣は固まった姿勢のまま、ティレルと睨み合いを続けていた。

 魔獣がよほど強力なのか、それともこの地の瘴気の濃さが魔獣に力を与えているのか。もしかしたらその両方なのかもしれない。

 それならばと、ティレルが左手も差し出し、全力で魔獣を追い返そうと力を込めた、まさにその時。

 ――ざっ、と木々の間から一つの黒い影が飛び出した。


「えっ?」


 イネスが思わず声を上げ、ティレルが、そして蜥蜴の魔獣が振り返る。

 次の瞬間、ぎらりと獰猛な輝きが閃き、魔獣の首筋が大きく裂けた。


 ギャアアアアアアア!!!


 魔獣の絶叫が辺りに響き渡り、汚らわしい黒紫色の血が周囲に降り注ぐ。


「イネス!」


 ティレルは咄嗟にイネスを抱え、地に伏せた。

 二人の頭上を、大木と変わらぬ太さの巨大な蜥蜴の尾が音を立てて通り過ぎていく。苦し紛れに身を捩った蜥蜴の尾が、近くの木をいとも容易く薙ぎ倒してしまった。

 できるだけ姿勢を低くし、イネスを庇いつつもティレルは顔を上げてそれを見た。

 魔獣に襲い掛かったのは、恐らく人間である。

 右手に大きな剣、左手には古びた角灯。襤褸(ぼろ)のような服を纏い、顔は隠されているが体格からして大柄な男と見える。

 間違いない、あれが灯火の剣士だ。ティレルは確信した。

 剣士が二の太刀を魔獣に浴びせたのを見て、ティレルはすぐに立ち上がってイネスを助け起こした。


「大丈夫?」

「は、はい。あの、あの人は」

「ともかく今はこの状況を切り抜けましょう。まずは加護の祈りを」


 二人は頷きあい、戦いの邪魔にならぬよう巨木の影に隠れながら祈祷を始める。

 今度は退魔の祈祷ではなく、他者に力を与える加護の祈祷である。

 聖女と祈り手の力を感じ取ったのか、魔獣と斬り結んでいた剣士が一瞬こちらを見た気がしたが、彼はすぐに戦いへと意識を引き戻した。


 灯火の剣士は噂に違わぬ人並外れた身体能力で森の中を縦横無尽に駆け抜け、強力な魔獣と互角の戦いを演じた。いかに聖女と祈り手から加護の力を受けているとはいえ、信じられない強さである。

 彼はいったい何者で、何のために戦っているのか。祈りながらティレルはずっと剣士の姿を目で追っていた。


「……危ない!」


 ――それはまさに一瞬の出来事。

 剣士が大剣で魔獣の爪の攻撃を捌く。その直後、狡猾な魔獣の顎が信じられないほどの俊敏さで剣士に襲い掛かり。


 ばくん! と恐ろしい音がして、剣士の首から上がなくなっていた。


 ティレルの目が、大きく見開かれる。

 首から上を失った剣士の体が、ぐらりと揺れた。だが、不思議なことにその体は地面に倒れることはなかった。


「えっ」


 大剣を杖代わりに踏み留まった剣士の体が、ぶるりと震える。

 そして瞬く間に首から肉が盛り上がり、頭が再生していったのである。

 何が起こったのか、聖女であるティレルにすらわからなかった。驚くティレルらに構わず、剣士は再び猛攻を開始する。

 肉体は再生したが、顔を隠していた布は消失したままらしい。角灯の頼りない灯りに、痩せた男の顔が照らし出されていた。

 ほとんど手入れもされていないだろうぼさぼさに伸びた黒髪の下で、憤怒と憎悪を湛えた金色の瞳が燃えている。頬はこけ、目の下には濃い隈が滲み、髭も伸び放題だが、剣を振るう横顔にだらしなさはなく、むしろ極限まで研ぎ澄まされた武人の凄味が感じられるかのようだった。

 

 剣士が地を蹴り、大剣を振り上げる。

 今だ、と感じたティレルは魔を封じる祈りを魔獣に向けた。これで魔獣の動きが止まれば、剣士が確実に仕留めてくれる。


「止まれ!」


 果たしてその確信の通り、蜥蜴の魔獣は硬直したように動きを止め、その脳天に大剣が深々と突き立てられた。

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