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3、穏やかな旅路

 深い藍色の祈り手のローブに歩きやすい革のブーツ、白布のベール。荷物の詰まった背嚢を背負っての徒歩の旅は、女の身には過酷なものとなる。

 ジールハールは遠く、急ぐ理由もないので二人は街道に沿ってゆっくりと進むことにした。路銀は支給されているとはいえ持って歩ける額は決まっているので、道中の村や町で適宜休みを取りつつ、祈祷や祓いの仕事を受けて自力で稼いで路銀の足しにしながら進むのである。


 それぞれの国の都には守護樹が植えられ、国の安寧と繁栄を担っているが、だからと言ってどこへ行っても安全というわけではない。

 都から離れた僻地ともなれば、村落を魔獣が襲ったり、湧き出た瘴気によって土地を穢されることも多々ある。そんな時は退魔や浄化の力を持つ祈り手が重宝された。

 土地土地でそのような仕事を請け負いつつ、ティレルはイネスと共に村から村へと渡り歩いた。

 行商隊や乗合馬車も、祈り手が同行すると言えば歓迎してくれる。道中、魔獣を寄せ付けず、道が瘴気に塞がれてもすぐに祓ってもらえるのだから彼らも願ったり叶ったりなのだ。

 時には市場へ向かう農夫の荷馬車に乗せてもらったりもして、穏やかな旅が続いた。


 そうやって、聖樹の都から三月が過ぎた頃。ティレル達はかつてのジールハール王国領の端まで辿り着いていた。


「ほんに、助かりましたわ。こんな辺鄙な村まで、祈り手様に来ていただけるなんて」


 農地の穢れを祓って回るティレルとイネスに、村長だという老爺が何度も何度も頭を下げている。


「祈り手が必要とされているというのであれば、断る理由はありませんわ」


 集中が解けると、どっと汗が出る。汗の浮いた額を拭いながら、この三か月で少し日焼けしたティレルがにこりと笑う。

 この土地の農耕地は少しずつ穢れが溜まり、作物の収穫量や家畜の成長が悪くなっていたのだが、聖女であるティレルの祓いの祈りによって穢れが一掃されていた。

 向こうの牧草地ではイネスが祈りを捧げ、同じように浄化を進めている。浄化された土地はしばらく魔獣も寄り付きにくくなるので、村人たちも安心して過ごせることだろう。


「ありがたやありがたや……こんなに働いてくださったのに、大したものも差し上げられず、申し訳ねぇこって」

「私たちは旅の途中ですもの。保存食を少し分けていただけるだけでも十分助かります。だからそんなに頭を下げないでくださいな」


 聖樹の都では肩身の狭い日々を送っていたティレルだが、旅の中で少しずつその表情は明るくなり、積極性が出てきていた。

 ここでは聖女ではなくただ一人の祈り手として、自分の力を存分に発揮することができる。人々から感謝され、尊重される。

 辺境の人々との温かな触れ合いが、引っ込み思案だった彼女を変えつつあった。


 ひと仕事を終えたイネスと合流し、村長と共に村へ戻ってみると、村人たちが総出で歓迎の準備をしてくれていた。村の女たちが身を清めるための湯を沸かしてくれ、男たちは貴重な家畜を屠って宴の用意をしてくれたのである。

 温かな湯で身を清め、村人の衣服を借りて着替えて、さらには旅装を洗うこともできて、ティレルとイネスはいつになくすっきりとした心地で宴の席につくことができた。

 たっぷりと肉の入った煮込み料理は、祭りの時にしか口にできぬ御馳走だという。素朴な香草入りのエールにも舌鼓を打ちながら、ティレルは村人たちの心遣いに感謝した。


「そういえば……この辺りの土地は、昔はジールハール王国の領土だったのですよね」


 宴も(たけなわ)となり、村人たちと程よく打ち解けてきたところで、ティレスは村長に向けて気になっていたことを尋ねてみた。


「ええ、そうです。十年前の騒動までは、ここらもジールハールの領土でした。祈り手様はよくご存じで」

「実は私たちは、闇に包まれたというジールハールの都へ行くのが目的なのです。なのでできればその時のことや、現在の様子についてお聞きしたいのですが」

「え、都へですか? やめなされやめなされ、あそこはもう人の行く場所じゃあありません。あの森へ足を踏み入れれば最後、まず生きては出られんのですよ」


 それまで上機嫌で酒を呷っていた村長の顔が、途端に厳しくなる。


「十年前、都のほうから急に暗雲が立ち込めたと思ったら、あっという間に都一帯が闇に覆われちまったんです。闇というか、黒い霧か霞みたいなもんで……その闇に包まれた村は人がバタバタと倒れ、どうすることもできずにみんなおっ死んじまったんでさ。

 そうして我々が手をこまねいていると、闇の中から気味の悪い植物がにょきにょきと伸びてきて、二、三年も経つ頃にはあの辺り一帯不気味な森に呑まれちまったというわけです」

「都のあった土地が闇に呑まれ、森になっているという話は聞いていたのですが、そんな恐ろしいことになっていたのですね……その騒動以降、森に足を踏み入れた方はいたのですか?」

「ええ、最初の頃は領主様の依頼を受けた冒険者やら、隣の国の軍隊やらが調査に入ったりもしたんですがね、大半は全滅です。そんなだからすぐに立ち入りが禁じられました。闇に呑まれなかった土地はそれぞれ近くの国に自然と合併されて、今はもう誰もジールハールなんて国の名前は使いません」

「そうですか……大半は、ということは、何人か命を落とさなかった方もいたのですか?」


 一縷の望みをかけてそう尋ねると、村長はまた険しい顔で首を横に振る。


「助かったのは運がよかった奴だけです。一緒にいた仲間が死霊に襲われている間に逃げ出したとか、上手いこと物陰で魔獣をやり過ごしてすぐに森から出られた奴は、どうにか命が助かったというだけでさぁ。そうでなくても、あんまり長いこと森の中にいると次第にみんな頭がおかしくなって死んじまうって話なんで、やっぱり近づかねぇに越したことはありませんよ」

「そうだったのですね。どうにか、ジールハールの守護樹と今の都の様子について詳しい方がいればと思ったのですが……」


 そう呟いて、ティレルはエールのジョッキを傾けた。

 素朴な村のエールは、雑味をごまかしたり保存性を高めるために香草や香辛料を加えて醸されている。しゅわしゅわという泡の感触が面白く、香りも悪くない。

 しかしこれから向かおうとしている都の話は、ティレルの心を重くしてばかりである。

 向こうのテーブルに目を向けると、イネスが子供たちと遊んでいた。年相応の無邪気な笑顔を浮かべて、簡単な手遊びをしたり、土地の歌を教わって一緒に歌ったりしている様子を見ていると、この若い祈り手をそんな危険な場所に連れて行っていいものなのかと迷いも生まれる。

 なんなれば、イネスだけこの村に置いて自分だけ都に向かうべきだろうか、と思い始めた時。


「都の様子に詳しい……ちょっと待てよ?」


 何かを思い出した様子の村長が、ふと近くにいた男の肩をぽんと叩いた。


「おい、誰だったっけ。あの森に迷い込んで無傷で帰ってきたっていう奴は」

「え? ああ、確か隣村の(きこり)の倅じゃなかったでしたっけ」

「おおそうだ、そいつだそいつ。そいつが、なんだったっけ……森の中で誰かと会ってなかったか」

「あーそんな話もありましたね。確か、灯火の剣士って言いましたっけ」


 赤ら顔の男の話に、村長は険しい顔のままうんうんと頷く。


「そうだそうだ……『灯火の剣士』様だ」


 村長の言葉に、今度はティレルが首を傾げた。


「灯火の剣士様?」

「はい、といってもほとんど噂や伝説の類みたいなもんですが。森に迷い込んで運よく助かった連中の中に、森の中で剣士様に助けられたって言う奴らが何人かおりまして。もしその剣士様が本当にいるんだとしたら、きっと都について一番詳しい奴に違いありませんよ。といっても、そいつがまともな人間かどうかもわかりませんがね……」

「もう少し、詳しく教えていただけますか?」


 ティレルはジョッキをテーブルに置き、身を乗り出して話の詳細をせがんだ。

 村長の話はこうである。


 闇に呑まれた王都跡に湧いた瘴気の森。

 図らずもその禁域へと迷い込んで運よく生還を果たした者の中には、不思議な人物と邂逅したと証言する者が何人かいた。

 彼らは決まって深い闇に包まれた森の中、眩い光を湛える角灯(ランタン)を携えた一人の剣士と出会い、助けられたのだという。灯りを携えているから、灯火の剣士というわけである。

 角灯と共に一振りの大剣を担いだその剣士は、一刀のもとに魔獣を倒すだけの人間離れした力を持ちながら、人間に対してはここは禁域だから近づくなと警告して、森の外へと案内してくれる親切な存在であるという。

 この話を聞いた近隣の村の人々は、その剣士がかつて派遣された調査隊の生き残りであるとか、戦いに飢えた魔獣狩人であるとか、あるいは滅びた王国の騎士の亡霊であるなどと噂していたのだそうだ。


「なるほど……ありがとうございます。もうしばらくの間、その剣士様について情報を集めてみようと思います」


 ティレルは灯火の剣士について教えてくれた村長らに頭を下げ、今後の方針を固めた。

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