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28、寄り道

 翌日から、ティレルとイネス、そしてユラは村でのんびりとした日々を過ごした。

 村人たちと話をしたり、農作業を手伝ったり、子供たちと遊んだり。

 親しくなった村人たちと過ごすなんでもない平和な日常は、戦いに疲れたティレルらの心身をゆっくりと癒してくれた。


 数日後にはこの辺りを治める領主と、近隣の町から聖堂の司祭らが村を訪れた。聖女と英雄の活躍を村長の息子に伝えられ、すわ一大事と取るものもとりあえず駆けつけたようである。

 男爵と名乗った初老の領主は、出迎えたユラの姿を見るなり膝から崩れ落ち、恥も外聞もなく滂沱の涙を流していた。


「ユラ卿……! よくぞ、よくぞご無事で……!」


 どこかで見たような構図に、ユラとティレルは苦笑しながら顔を見合わせ、二人で男爵の前に膝をついて顔を上げさせた。

 彼も元はジールハールの貴族だったのだろう。王都を失いほとんど空中分解状態にあったジールハールの元貴族たちは、そのまま近隣の国に合併されたり、貴族の地位を失って野に下ったりと、様々な運命を辿っていた。

 地位と領地を保ったまま隣国の貴族籍に移ることができたこの男爵は、かなりの幸運の持ち主だった。しかしそれでも、彼は故国ジールハールへの敬慕を忘れてはいなかったのである。

 故国の英雄を前にして男泣きの男爵をユラが宥めている横で、聖堂の司祭たちは恐縮しながらティレルに挨拶をしてきた。

 この国の聖堂には、国境を越えてきた時点で挨拶はしてあるし、教皇庁発行の聖女としての身元を保証する手形も提示してある。それでも決まった国を持たない聖女ということで、彼らもどこかティレルを侮っていたところがあるのだろう。

 その落ちこぼれ聖女がジールハールの旧都を浄化し、誰も寄せ付けぬ瘴気の森から魔獣を一掃したというのだから、聖堂は上を下への大騒ぎとなったようである。見るからに高位聖職者らしい上等な法衣の司祭たちが、顔を青くして声を震わせながらティレルに対してぺこぺこと頭を下げる様子がなんだかおかしくて、ティレルは慎ましく対応しながら笑いを堪えるのに必死だった。


 ひと通り挨拶が済んだところで、ティレル達が村の納屋に宿泊しているということを知った男爵がどうぞ我が屋敷へ招待いたしましょうと言い、司祭たちもいやいや町の大聖堂へお越しくださいと言い出した。

 彼らなりに英雄や聖女を思いやっての行動であろうが、ティレルもユラも疲れが癒えたらすぐに聖樹の都へ向かうつもりだったので、招待は丁重に断った。

 我々は既に役目を果たしたので、ジールハールの都をどうするかはどうか近隣諸国と協議の上、皆さんの良きように計らってほしい。できることならば、犠牲になった人々を丁重に弔い、人々が花を手向けられるようにしてもらえれば言うことはない。

 そう言って、領主と司祭たちを帰路に就かせた。


 それからしばらくして、疲れが癒えたティレルたちが村から旅立つ日がやってきた。

 仲良くなった村人たちとの別れは名残惜しいが、いつまでも世話になっているわけにもいかない。一応、宿代を出そうとしたがやはり断られた。


「いつか、必ずこの村に恩返しに参ります。だからまたお会いしましょう」


 ティレルは村人たちと約束して、イネスとユラを連れて旅立った。



 ◇ ◇ ◇



 聖樹の都への帰りの旅路は、特に障害もなく平穏そのものだった。祈り手と聖女と、さらには守護剣を携えた騎士までいるのだから、その辺の野山にいる並の魔獣程度では脅威にもならない。

 路銀に余裕はあるし、別に期日が定められているわけでもない。

 聖樹の都へ向かいながら、三人で時々寄り道をして景色の良い場所を訪ねたり、様々な土地の名物料理を食べたりしながら旅を楽しんだ。


 ティレルは自分が楽しいのはもちろん、イネスが珍しいものを見て驚いたり、美しい景色を見てユラが癒されたような表情を浮かべる様子を見ている時に、旅をして本当によかったと感じていた。

 聖樹の都の中にいるだけでは見えなかった景色。わからなかった人々の暮らし。感じることのなかった風や雨、土や緑の匂い。

 若いイネスが五感を通じて世界の広さを知って、これからどのような祈り手に成長していくのかが楽しみで仕方がない。

 そして、それ以上に目が離せないのはユラだ。守護剣を手にしたことで魔獣を狩るだけの死なずの刃と化した彼が、その役目から解放されてどんどん人間らしくなっていく様子はこの上なく微笑ましい。

 風に揺れる花に目を細める様子や、町の喧騒に戸惑う様子。知らない食べ物や飲み物を口にして驚いたり美味しそうにしている様子を見ていると、彼を森の外に連れ出せて良かったと心から思えた。


「……あら?」


 そんなふうにティレルがにこにことしながらイネスとユラの表情を眺めていたら、二人がじっとこちらを見ていることに気が付いた。

 ここは旅の途中で立ち寄った宿場町。賑わう昼時の食堂で、名物だというパイ包み焼き料理を食べている時のことだった。


「ティレル様、ちゃんと話聞いてました?」

「あ、ごめんなさい。何の話だったかしら……」


 ぼんやりしていて、すっかり会話の内容を聞きそびれていた。

 もう、仕方ないですねぇと唇を尖らせたイネスに呆れられ、ティレルは苦笑いを浮かべる。


「夕方から、町で祭りが始まるんだそうだ。ティレルも見に行くだろう?」


 と、ユラが説明してくれた。

 そういえばそんな話を聞いたような気がする。


「……それとも、疲れているなら宿で休んでいるか? 無理はしなくていい」

「あ、いいえ! そんなことはないですよ。お祭り、私も見に行きたいです」


 心配げなユラに、ティレルは反射的に頭を振った。

 イネスもユラもしっかり者なので、町の中では聖女のティレルもこうしてぼんやりしていられる。

 ぼんやりしていてイネスに嗜められたり、ユラに心配されたりするのは、少々申し訳なさもあるがなんとも言えず心地良かった。

 自分のことを憎からず思ってくれる人がいるというのは、素晴らしいことだ。だからついつい、二人に甘えてしまう。


 相談の末、食事が済んだら街を散策しようということになった。

 宿場町とはいえ随分人口の多い町だと思っていたが、祭りが始まる日だということであれば納得である。こんな日に宿が取れたのはまさに幸運だった。

 行き交う人々は皆いきいきとしていて、忙しくも楽しげである。

 町のあちこちに花が飾られ、色とりどりの旗が風にはためいていた。時々楽器を奏でる音が聞こえるのは、祭りの本番に向けて練習でもしているのだろうか。

 通りには様々な地域からやってきたのだろう商人たちが露店を出し、軒を連ねている。

 その商品を眺めながら歩くだけで、うきうきと心が弾んだ。


 やがて陽が傾き、夕闇が訪れる頃、町の中心の広場の大きな焚き火台に火が灯された。

 火は次第に大きくなり、赤い火が夜空に向かってごうごうと燃え立つ様は壮観であった。

 若い娘たちが焚き火の周りで音楽に合わせて踊りを披露し、歌姫が天と地の恵みに感謝する歌を歌う。

 観客たちも足を踏み鳴らし、手を打って踊り、花を撒き散らす。

 それを見ているティレルも楽しくなって体を揺らしていたが、気がつくと周りにユラとイネスがいない。

 あら、と思ってきょろきょろと周囲を見回していたら、急に片手を掴まれた。


「ティレル、勝手にいなくならないでくれ」


 手を掴んだのは、どこか焦った顔をしたユラだった。

 ティレルとしてはその場から動いたつもりはなかったのだが、踊る人混みに押されたりしているうちにユラたちから離れてしまっていたらしい。


「あ……ご、ごめんなさい」


 思いの外しっかりと握られた手の感触に、ティレルも反射的に謝った。

 ユラはいなくなったティレルを必死に捜していたようだ。彼の表情は怒っているというよりも、迷子の子供がようやく見つけた親に縋りつく時のような、心細さが見てとれた。


「…………」


 祭りの喧騒の中で、ユラはしばらくの間ティレルの手を握って離さなかった。

 少し痛いくらいに握り締められた手。手袋越しに伝わる、少しひやりとした体温。

 不安げな金色の瞳に射すくめられ、ティレルはどうしていいかわからず固まってしまった。


 十年の間孤独に過ごし、人であることを捨ててひたすら魔獣を狩ってきたユラの精神は、徐々に癒されてはいるが時々不安定になる。

 今もきっと、人混みの中でティレルの姿を見失いそうになって気が動転してしまったのだろう。

 ぼんやりしすぎたせいで、彼を不安な気持ちにさせてしまった。

 ティレルはユラの手にもう片方の手を添えて、もう一度謝ろうと口を開きかけ――。


 ばさり、と唐突に何かを上から被せられ、ティレルははっとした。

 二、三回ほど瞬きをしてみれば、ティレルの手を掴んだままのユラの首には大ぶりの花の首飾りがかけられていて、ユラ自身も驚いたような顔をしていた。

 そしてよくよく見れば、同じ色の花飾りが自分の首にもかけられているではないか。


「ティ〜レ〜ル〜様〜?」


 その声に思わず横を見れば、腰に手を当てたイネスがジト目でティレルを睨んでいた。

 イネスもまた、首に花輪をかけている。祭りの参加者が身につけている花の首飾りである。


「私、花飾りをもらってくるからその場で待っててくださいって言いましたよね?」

「あ、そ、そうだったわね。ごめんなさい……」


 こればっかりはぼんやりしすぎたティレルの落ち度だ。

 素直に謝るティレルに、イネスが唇を尖らせる。


「もう、仕方ない人ですねぇ。お祭りだからって、気を抜きすぎですよ。気を付けてくださいね」

「はい……」

「ユラさんも気を付けてくださいね。ティレル様を見失っても動転しないように。だいたい近くにいますから」

「う、気を付ける……」


 二人纏めて叱られて、項垂れる。

 しかしこの時、ユラはティレルの手を離し忘れていた。


「おっ、手なんか繋いじゃって熱いね〜」

「兄ちゃん姉ちゃん新婚かい?」

「お幸せに〜!」


 そんなだから、同じ色の花の首飾りをかけて手を繋いでいる二人を見て、周りの酔客が囃し立てた。

 はっとして、ティレルもユラも手を離す。


「あ、いや! 別に俺たちは」

「え、べべべ、別に夫婦なんかじゃ……!」


 誰に言うでもなく顔を真っ赤にして首を振る。そしてそれを見て、周りの参加者たちが笑い声を上げた。

 祭りの熱気で盛り上がった酔客たちが、ティレルとユラの頭上に花を振り撒く。花びらの雨の中で、二人は耳まで真っ赤に染めておろおろとしている。

 祭りの夜に同じ色の花飾りを着けるのは、恋人か新婚の夫婦の目印なのだそうだ。

 こうしてさりげなくイネスが背を押しているのに、この真面目すぎる聖女と騎士はそのことにも気付かない。

 ティレルがユラを見つめる時の柔らかな表情も、ユラがティレルの姿を目で追う時の焦がれるような横顔も、イネスだってしっかり気付いている。

 気付いていないのは本人たちばかりであった。


「ほんとに、仕方ない大人たちですねぇ」


 年長の二人のまるで十代の少年少女のようなうぶな反応に、イネスは困ったような笑みを浮かべて溜息を吐いた。

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