27、村での歓待
「いやぁ、本当にいらっしゃったとは……」
他の村人たちと共に畑仕事に精を出していた村長は、ティレルとイネスの帰還を心から喜んでくれた。それと同時に、灯火の剣士の実在にはかなり驚いている様子だった。
「彼は私たちの護衛をしてくれている騎士のユラです。信頼できる方ですからご安心ください」
「よろしく頼む」
「は、はぁ……」
急に村へ武器を持った人間を連れてきては警戒されるかと思ってティレルがユラを村長に紹介したのだが、村長はそれどころではなかったことだろう。
村長はまるで幽霊でも見たかのような顔をしていたが、それでも村を浄化してくれた恩のあるティレルが大丈夫だというので信用してくれたようだった。
ユラ本人もあまり素性をひけらかしたくないらしく口数は少ないが、村の様子を興味深げに眺める姿はどこか嬉しそうである。
数日前に村で世話になった時にティレル達が寝泊まりしていた納屋は、そのまま残されていた。森からティレル達が帰ってきたらきっとまたこの村に寄るだろうからと、彼女たちの身を案じていた村人たちの配慮であった。
本当に、ジールハールの民は誠実で心優しい。今回も村人たちの厚意に甘えて、ここで数日体を休めさせてもらうことにする。
一応、前回は農地を浄化した労働の対価として泊めさせてもらっていたので、今回はいくらか金銭を置いていくことを提案したが、それは断られた。
「祈り手様たちは、きっととんでもない仕事を成し遂げられたんでしょう。ちょっと前に王都の方角の空が明るくピカッと光ったのが見えたんです。それ以来近隣の村でも何も起きてねぇですし、魔獣の話も聞かねぇ。祈り手様が来たことで何かが良い方向に変わったんだろうと、村の者たちで言い合っておったんです。だから、そんな方たちから銭を取るなんてしたら、儂らきっと罰が当たります」
そう言って、村長たちはティレル達が宿泊代を置いていくことを固辞したのだった。
――ともかく、飯を食っていってください。
そう促され、その日の夕食は村長の家に招かれた。
村の長の家といっても、貧しい農村であればそれほど大きい家でもない。古い石積みの家に村長とその妻と、息子家族が肩を寄せ合うように暮らしている。
ティレルたちをにこやかに迎え入れた一家は、客人を暖炉の側の大きなテーブルへ案内した。
暖炉には大きなシチュー鍋がかけてあり、美味しそうな匂いが部屋中に漂っている。さらに、腰の曲がった村長の妻と息子の嫁が、奥の厨房から焼きたてのパンを運んできてくれた。
たいしたもんはありませんが、と村長は謙遜していたが、ティレルとイネスにとっては久しぶりの温かい食事である。素朴な木の器に盛られた温かいシチューと焼きたてのパンに、ティレルも思わず笑みが溢れ、イネスは生唾を飲み込みごくりと喉を鳴らしていた。
「聖樹の加護と地の恵みに感謝を……」
家長である村長の祈りに続いて、一家と客人たちも祈りを捧げ、それからささやかな夕餐が始まった。
シチューは根菜やきのこなどの旨味が溶けあい、とても優しい味がする。
ぎっしりと詰まった感触のパンは少し硬いが、穀物の風味がしっかりとしていて食べ応え十分であった。
ティレルもその美味しさに舌鼓を打ち、若者らしい食べっぷりを見せるイネスには村長一家も嬉しそうに笑っていた。
一方で、ユラは自分の前に出された食事になかなか手をつけず、しばらくの間シチューとパンをじっと見つめていた。
もちろん、田舎の質素な食事が嫌というわけではない。彼はただ、感慨に耽っているだけだった。
これは彼にとっては十年ぶりの食事である。死なずの体となっているユラは、森の中で彷徨っていた時はもとより、ティレルらと出会った後でも何も口にすることはなかった。
ティレルも何度か自分の持っている保存食を勧めてみたことがあるのだが、ユラは貴重な食糧をわざわざ自分のために使う必要はないと、ずっと固辞してきたのである。
だが、もう戦いは終わった。彼にもとうとう人に戻る時が来たのである。
やがてユラはゆっくりとスプーンを手に取り、シチューを掬って静かに食べ始めた。目を閉じて、しっかりと具材を咀嚼して、そして嚥下する。
「おいしい……」
しみじみとしたその一言に、ティレルもイネスも、そして村長一家も同時にほっとしたように微笑みを浮かべた。
「……懐かしい、味がする……ジールハールの味だ……」
ゆっくりと、しかしひと口ひと口をじっと味わうように食べるユラの目は、いつの間にか涙で潤んでいた。
「ジールハールの田舎仕込みのエールもありますよ。いかがですかな、ユラ卿」
その様子を好好爺の風情で見守っていた村長が、ユラに呼びかける。
その口振りに、ティレルが瞼を瞬かせた。
彼はユラを知っているらしい。
「……気付いていたのか」
「お名前をお聞きして、思い出しました。この辺りも昔、貴方様に魔獣を退治してもらったことがあるのです。この辺りで貴方様の名を知らぬものはいませんよ。ただ、まさか貴方様が灯火の剣士様だとは思いませんでしたが……」
そう言って、村長は隣に座っていた息子にエールの樽を持ってくるように言いつけた。
「儂ら、てっきり貴方様は十年前にお亡くなりになったとばかり思っておりましたが、生き抜いておられたなんて……それに、灯火の剣士様の正体がユラ卿というなら確かに納得できます。十年間、ずっと民草を守っておいでだったんですねぇ。ありがてぇ。ほんにありがてぇ……」
欠けた歯を見せながらにかっと笑う村長の目許にも、涙が滲んでいた。
郷土の英雄の帰還である。村人たちにとっても、ユラは確かに英雄だった。
「どうぞ、俺たちの村のエールです」
その時、村長の息子がエールの樽を抱えて戻ってきた。彼の妻が木のジョッキを用意してくれている。
「……いただこう」
目を潤ませたまま、ユラがふっと笑みを浮かべる。
温かな雰囲気に包まれた食卓にエールのジョッキが配られ、さぁどんどんやってくださいと村長が促した。
このエールはティレルも以前飲んだことがある。香辛料や香草の独特な風味がして、とても特徴的な酒だ。イネスは一口飲んでその風味に目をぱちくりさせ、ユラはまた懐かしそうに味わっている。
村長一家もエールを楽しみ、幼い子供たちには温めたミルクが与えられた。
そんな食卓を眺めて、ティレルが徐に口を開いた。
「私からも、皆さんにお伝えしたいことがあります」
ジョッキを置き、改まって口を開いたティレルに視線が集まる。
「私はこれまで不要な混乱を避けるために、一介の祈り手として皆さんと接してまいりましたが、本当は私は聖女なのです。今回の巡礼の旅も、ジールハールの守護樹を確かめにいくのが目的でした」
少し申し訳なさげにティレルが言うと、たちまち村長たちの目が丸くなった。
「せ、聖女様……!?」
「はい。十年前の厄災のせいで守護樹の声が聞こえず遅くなってしまいましたが、私がジールハールの今代の聖女です」
その話を聞いて、村長の妻と息子の嫁も途端におろおろしだした。
「あらやだ、私ったらとんでもない方々にシチューをお出ししちまったよ」
「お義母さん、それを言ったらアタシもですよ。こんな硬いパンなんて出してよかったんですかね」
なんて二人で言い始めるものだから、ティレルとイネスがとっても美味しいですよと笑って彼女たちを宥める。
一度場が和んだところで、ティレルはこれまでのいきさつをかいつまんで説明した。
「……というわけで、王都とその周囲の森の瘴気は祓われました。危険な魔獣も見かけなくなりましたので、今までよりも格段に平和になったかと思います」
「ほ、本当ですか!」
村長は再び目を見開いて、皺だらけの手を震わせながら息子を振り返る。
「なんてことだ……朝になったら領主様にお伝えせにゃならん」
「ああ、こりゃ一大事だ。朝一で馬を飛ばして行ってくる」
「はい、その方がいいかもしれません。あの森は一時的に魔獣がいなくなりましたが、またそのうちはぐれの魔獣が居着く可能性はありますから。探索するなら、できれば兵士や魔獣対策のできる方がいたほうがいいでしょう。となれば、最初は村の方々だけで行くよりも、領主様の力を頼ったほうがいいかと」
ティレルの言葉に、村長と息子は深く頷いた。
「森の瘴気がなくなったってんなら、都の近くにあった村の様子を見ておきたいな。あそこに昔知り合いが住んでたんだ。せめて墓くらいは作ってやりてぇ」
「私も、古い友人が都に嫁いでいてねぇ……どうにか花でも手向けに行きたいもんだけど、どうだろうねぇ」
と、一家は口々に古い知己について思い出を語り始めた。
ここもかつてはジールハール領だった土地である。この地に生きる人と、かつて王都があった場所に生きていた人は確かに地続きで存在していたのだと感じられる会話であった。
いつか、彼らが古い友人たちの魂を安心して弔える時がくればいいな、と思いながらティレルは再びジョッキを傾けた。
「ねぇねぇおねえちゃん、遊ぼー?」
「あたしもつまんなーい。遊んで遊んで~」
食事や大人たちの会話にも飽きたらしい幼い子供たちが、ちょこちょことやってきてイネスの膝に縋りついてきた。以前、村人たちと宴会をしたときにイネスが村の子供たちと遊んでいたのを覚えているのか、子供たちの中では彼女はいい遊び相手と認識されているようだった。
「しょうがないなぁ、ちょっとだけだからね」
まんざらでもない様子のイネスがにこにことしながら子供たちの手を取った。彼女もなかなか子供好きである。
声を揃えて歌を歌いながら、手を打ち合わせたり繋いだりする簡単な手遊びをする。前の宴会の時もやっていた遊びだ。
しかしその子供たちの歌や手を打つリズムに、ティレルは聞き覚えを感じて振り返った。
その歌とリズムは、間違いなく王都で死霊たちと共に踊ったあの時の曲と同じであったのだ。
それに気付いて、反射的にユラを見る。彼もまた、目を細めながら子供たちを優しく見つめていた。
厄災で多くの命が失われたが、ジールハールのすべてが消え去ったわけではない
ジールハールの歌。ジールハールの食べ物。ジールハールの民とその暮らし。
確かにジールハールという国の名前はもうないが、そこに生きてきた人々の暮らしは今もなお続いている。
子供たちが生まれ、歌は歌い継がれ、暮らしもまた連綿と続いていくのだ。
そのことを実感できたことが、ティレルは何よりも嬉しかった。きっとユラも同じ気持ちだったことだろう。
ジールハールは、彼らの故国はまだここにあった。




