26、久しき人の世へ
イネスに目の前の人物がユラであると伝えると、彼女は目を真ん丸にして驚きの声を上げた。驚きで涙も引っ込んだようである。
誤解が解けたところで三人で廃聖堂の中に入り、ティレルはイネスに王都であったことをかいつまんで説明した。
十年前に起きた過ちのこと。邪神に取り憑かれた守護樹のこと。闇に包まれた都で踏み留まっていた死霊たちのこと。死霊たちに助けられながら、守護樹を伐り倒したこと。
だがあえて、ユラが王族の血を引いていることなどは言わないでおいた。彼自身そのことをわざわざ言われたくもないだろうと思ったし、実際言わずとも話しは通じるので問題ない。
ユラは騎士だ。それ以上でもないし、それ以下でもない。それで良かった。
「大変な戦いだったんですね……森が明るくなって、木が真っ白になったからきっとティレル様たちがやり遂げたんだってわかりましたけど、無事に帰ってきてくれて本当に良かったです」
赤くなった目許をまた潤ませつつ、イネスは嬉しそうに笑う。
「ええ。この旅で私はようやく故郷を見つけられました。やるべきこともやり遂げたし、あとは聖樹の都へ帰ってこのことを報告するだけ。ユラも守護剣を返還したら、全て終わりです」
「ああ、ティレルのおかげで俺も役目を果たせた。イネス、俺とティレルで王都に向かうことを許してくれて感謝する」
「本当に、すっごくすっごく心細くて、途轍もなく心配したんですからね! 今夜はティレル様は私が独占します!」
そう言ってイネスはティレルの腕にぎゅっと抱き着き、ティレルとユラは少女のいじらしさに思わず微笑んだ。
今夜はここで夜を明かし、それから以前世話になった村を目指すことになった。
そろそろ食料も底をつく。できればそれまでに村へ辿り着きたい。
しかし王都から半日歩き通した今、ティレルにはしっかりとした休息が必要だった。
今夜はティレルを独占するという宣言の下、イネスと共に奥の部屋へ入り、寄り添って眠る。
ユラはまた暖炉の前の椅子に座りながら、おやすみ、と言って二人を見送った。
以前は絶望の淵にいたユラだったが、今は違う。暖炉の火を見つめながら寛ぐ様子はとても穏やかで、安らいでいるように見える。
しかし彼はきっと、眠ることはないのだろう。彼はまだ、死なずの刃である。
ユラがいつの日かただの人に戻れることを、ティレルは眠りに落ちる直前に祈った。
◇ ◇ ◇
十年の闇夜に閉ざされていた森にも、ちゃんと朝が来た。
朝靄の中に昇る太陽の日差しが、埃で汚れた窓から室内に差し込んでくる。その明るさで目覚めるのはとても心地よい。
おはようの挨拶を交わし合い、顔を洗って簡単な朝食を済ませる。それが済んだらまた旅に出る支度を整える。
「夜のうちに付近の森を見回ってきた。森の中を彷徨っていた死霊はもう見当たらなかった」
ティレルとイネスの朝食を見守りながら、ユラが報告する。やはり彼は寝ていなかったのだろう。
とはいえ、森に囚われていた人々の魂が解放されたのは喜ばしいことだ。
聖堂を出る時に三人で祈りを捧げてから森の外へ向かおう、と決めた。
森の中のこの廃聖堂も、いつの日か跡形もなく崩れ去るのだろう。
この地で亡くなった人々の魂に祈りを捧げてから再び出発しようという時に、ティレルはふとそんなことを思った。
名残惜しさを覚えつつも、ユラとイネスと共に村を目指して歩き出す。
それから数日歩いて、森から村へは特に何事もなく辿り着いた。
変わったことといえば、森から出た時にユラが立ち止まって、何もない荒野の光景を遠い目で見つめていたことくらいである。
彼は過去の、まだここに街道があって人の往来が盛んであった時代の景色を知っているのだ。それから見れば、この街道の荒廃ぶりは悲しいことだろう。
例え王都の地獄の様相を見た後であっても、故郷の荒廃を眺めるのは辛いものだ。
その使われなくなって久しい荒れた街道を進んでいくと、やがて街道の両側に畑や牧草地が現れ始め、丘を一つ越えたところで遠くに集落が見え始める。
そしてユラは麦の揺れる畑や羊たちが憩う草地を見るたびに立ち止まり、惚けたように見入っていた。
十年ぶりに見る人里は、その目にはきっと眩く映るのだろう。
「ほら、行きますよ」
「突っ立ってないで、歩いて歩いて」
ティレルに手を引かれ、イネスに背を押され、ユラはまた歩き出す。
とはいえその表情は、とても幸せそうであった。
◇ ◇ ◇
「おぉ、祈り手様でねぇですか! よくぞご無事で……!」
畑で野良仕事をしていた農夫が、三人に気付いて顔を上げた。
以前ティレルたちが浄化した畑は、作物の生育も順調らしい。
「こんにちは、お久しぶりです。役目を終えて帰ってまいりました」
ティレルが手を振って声を掛けると、農夫が人懐っこい笑顔を浮かべて近寄ってきた。
「祈り手様たちがあの森に行くというから、村の者たちみんなが心配しておりました。ご無事で何よりです」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。村長さんはいらっしゃいますか? 一度ご挨拶に伺おうと思って来たんですが」
「村長なら近くの畑です。案内しましょう。ところで、そちらの方は……」
と、農夫は怪訝そうにユラを見上げる。
瘴気の森を目指していた祈り手たち。彼女たちが聞いてまわっていた噂話。森に迷い込んだ人々が時折遭遇したという、謎の人物。
ということはこの男は。
「……まさか、灯火の剣士様で……?」
そのことに気付いて、農夫は目を剝いた。
ティレルとイネスは目配せをしてくすくすと笑い合い、ユラは何も言わず微笑を浮かべていた。




