25、共に、明日へ
大聖堂の聖水は、今でも変わらずに湧き続けてくれていた。その恵みに感謝しつつ、身を清めて服を着替える。
聖女のローブも騎士団長の鎧もすっかりぼろぼろで、さすがにこの格好で外には出ていけないし、そもそも両方とも旅向きの装備ではない。
特にティレルは邪神樹の枝で引っ掛けてできた傷が体のあちこちにあったので、清潔な水が使えるのはとてもありがたかった。綺麗な布を見つけてきて、裂いて包帯にして手当ても済ませた。
ティレルは着慣れた祈り手のローブを纏い、毛織りのケープを羽織る。大事な守護樹の最後の一枝は、ありあわせの端切れを使って首から提げられる小袋を作り、布で包んでそこへ入れた。
ユラは騎士の旅装のコートを身につけ、守護剣を背負う。元々彼が持っていた古い角灯も忘れず持っていく。
結んでいた部分を短剣でざっくりと切っただけの髪は少し不格好だったので、ティレルが手を貸して整えた。といっても、ちょうどいい鋏が見当たらなかったので、短剣を借りて形が整うように削ぎ切っただけだ。
どうしてもざんばら髪にはなってしまうが、出会った時のぼさぼさ頭よりはだいぶさっぱりしている。無精髭も剃ってあるし、きっとイネスが今のユラを見たら誰だかわからないでしょうね、とティレルはユラの肩に落ちた髪の毛を払いながら小さく微笑んだ。
対してユラは、切ってもらった髪に触れながら、そうだろうか? と首を傾げていた。
また旅立つ準備が整って、二人は大聖堂の大広間に並んで立つ。
「お世話になりました。皆さんのおかげで、役目を果たすことができました。この御恩は一生忘れません」
誰もいない、火の灯っていない広間に向けてティレルが感謝の言葉を述べ、頭を下げた。
それに応える声は当然ないのだが、思いはきっと伝わっているだろうという気がした。彼らにとっては、ティレルたちが元気に旅立っていくことが何よりの手向けだろう。
「行ってくる」
ユラは広間を見渡して、短く告げた。その顔はとても晴れやかである。きっと十年前に王から守護剣を与えられ、魔獣討伐に赴く時もそう言っていたのだろう。
しかしこれからは魔獣と戦いに行くのではなく、聖樹の都へ守護剣を返しにいくのである。
国がなくなり、守護樹が伐り倒された今、聖女であるティレルは役目が終わったことを報告するため、そしてユラはジールハールの守護剣を聖樹へ返すために聖樹の都を目指すことになった。
聖女がその役目から解放され、守護剣が聖樹へ返還されれば、ジールハールの歴史は完全に終わりとなる。
そのために、二人はまた歩き出した。
大聖堂を出て、魔獣のいなくなった大通りから真っ直ぐに城壁へ。
割れたり、捲れ上がったりした石畳を慎重に歩きながら、あの森はどうなっているだろうか、などとティレルが考えていると、目の前に差し出されたユラの手。
何かあったのかと顔を上げると、彼が穏やかな表情でまっすぐにこちらへ手を差し伸べていた。
「貴方のおかげで、ここまで成し遂げることができた。ありがとう」
唐突にそう言われて、ティレルはきょとんとしてしまう。
「いや、まだ貴方に礼を言えていなかったなと思い出してな。聖女ティレル、貴方の慈悲と我が国への尽力に心より感謝する。俺はこれからも貴方に忠義を捧げると誓おう」
「あ、ええと……こちらこそ、ありがとうございます。貴方にはたくさん守ってもらいましたし、たくさん引っ張ってもらいました。でなければ私は、ここまで来れなかったと思います。本当に、感謝しています」
「それはこちらも同じだ。ティレルがいたから、ここまで走ってこれた。貴方がいたから頑張れた。貴方の存在に何度も支えられた」
お互いに照れ笑いを浮かべつつ、感謝を言い合う。
気恥ずかしさを覚えつつも、ティレルはユラの手に自らの手を重ねた。
「この先の森は、また俺が先導しよう」
「では、お願いしますね。聖樹の都への道案内は私に任せてください」
そう言って、二人はまた手を繋いで歩き出し始めた。
寂しさも悲しみもまだ深く残っているが、二人には先がある。
そして二人はもう、孤独ではない。
◇ ◇ ◇
ジールハールの城壁を出る前に、ティレルとユラはもう一度都を振り返り、再び黙祷を捧げた。
今、太陽はちょうど都の空の頂点にあり、時刻は昼頃だろうか。今から森を進めば、日暮れ頃までにはイネスの待つ聖堂に辿り着けそうである。
もう城門は瘴気に覆われてはおらず、門の向こうには森の景色が見える。
「森が……」
森は、もう闇に包まれてはいなかった。
今から思えば、この森に生えていた青黒い樹皮の大木はあの邪神樹によく似ていた。邪神によって暴走した守護樹の力によるものと思えば、確かにそうだったのかもしれない。
その大木群が今は真っ白に枯れていた。風が吹くたびに灰色に変色した葉がざあざあと散っていき、雪のように降り注いでいる。
少し戸惑いはしたものの、夜から解放された森は見通しもよく生き物の気配もしないので、ただ真っすぐ進むだけでいいとなればだいぶ気が楽だった。
ティレルとユラは手を繋いだまま、黙々と森の中を進んでいった。
もう森の中に魔獣の姿や気配はない。
風が枯れ葉を吹き散らす音。二人が枯れ葉を踏む音。森の中で響く音はそれくらいである。
たまに違う物音がすると思って振り返ると、白く枯れた木が一本、ゆっくりと倒れていくのが見えた。
死んだ森の木は、やがて全て朽ちて大地に還るのだろう。木が朽ちて土に還り、再びこの地が人の住める土地になるまで、どれほどの時がかかるかはわからない。
でもいつか、またこの地にも人の営みが戻ってくる。ティレルにはそんな確信があった。
所どころ休息を取りながら森の中を進んでいく。
しかし暗くもなく魔獣の脅威があるわけでもない森はとても歩きやすい。ティレルとユラがイネスの待つ廃聖堂に辿り着いたのは、日が西に傾き、梢の向こうに見事な夕焼け空が見え始めた頃であった。
「ティレル様!!」
聖堂に近づくと、ティレルの帰りを今か今かと待ち構えていたイネスが飛び出してきた。
「イネス!」
ティレルもユラから離れ、両手を広げてイネスを迎える。二人は聖堂の前でひしと抱き合い、お互いの無事を確かめあった。
ユラもその様子を見て、穏やかに目を細めていた。
イネスと離れていたのは日数にしてみれば二日ほどだ。しかし命を賭けた戦いに赴いたティレル達を、ただ一人廃聖堂で待つ二日間は途轍もなく長かったことだろう。
子供のようにわんわんと泣くイネスを抱き締めて頭を撫でながら、ティレルは何度もごめんねごめんねと謝り続けた。
「て、ティレル様……」
ティエルに慰められながら、イネスがしゃくり上げつつ顔を上げる。
「どうしたの?」
「あ、あの人……誰ですか?」
イネスの指差す先にいたのは、ユラである。
俺のことか? とユラは驚いた顔で自分を指差した。
それを見て、ティレルはぷっと吹き出し、そして声を上げて笑った。




