21、散華
上出来だ。十分すぎる働きだろう。
カルタスは一人、地竜と対峙しながら心の中で独りごちた。
大回廊は地竜が暴れるせいですっかり崩壊寸前である。
カルタスに従い戦ってくれた三人の騎士は、既に灰となって散っていった。
一人はその巨腕で壁に叩きつけられ、もう一人は踏み潰された。そして最後の一人は今、カルタスを突き飛ばして炎のブレスに捲かれ、鎧ごと焼き尽くされた。
皆、ありがとう、と無言のままその忠義を労う。
カルタスを含め、騎士や兵士たちは死霊である。今や死は終焉ではなく、解放であった。
上出来だ。
死霊と化した市民や兵士たちを纏め、大聖堂を拠点に十年戦った。
魔獣や亡者たちの襲撃を掻い潜り、都中を探索して厄災の根源を突き止めた。
帰還した兄ユラと聖女ティレルを導き、守護樹の下まで送り届けた。
やってみれば出来るものだ。世間知らずの王子様が。鎧に着られていたお飾りの騎士団長様が。
遠い昔に自分を散々馬鹿にしていた連中の顔が浮かび、ざまあ見ろと心の中で笑う。
あとは、この化け物が守護樹へ向かわぬようなるべく引き付け続けるだけだ。
地竜がカルタスに向かって無造作に尾を振り回した。
咄嗟に飛び退き直撃を回避したが、大きく破壊される壁に吹き飛ばされ体勢を崩す。
『くっ』
瓦礫と共にごろごろと転がり、ひび割れだらけの床に這い蹲る。
引き付け続けるとは決めたものの、地竜相手に手も足も出ないというのが実情だ。
硬い鱗に阻まれ、剣はほとんど通らない。唯一、騎士の一人が渾身の力で突いた槍が奇跡的に鱗と鱗の隙間に突き刺さっているが、あれだって地竜にとっては大した傷ではないだろう。
尾の直撃を辛くも避けたカルタスを、地竜がゆっくりと振り返る。
血のように赤い眼が、一体の貧弱な死霊を見下ろしている。
逃がさない、とでも言うかのようにカルタスを睨み付け、地竜はがぱりと大口を開く。
喰われる。そう直感した瞬間、カルタスは目の前に落ちていた鋼鉄の槍を手に取り立ち上がった。
『うおおおおおッ!!』
地竜の顎が目前に迫る。
だがカルタスは敢えて前に踏み込み、逃げることなくその顎に向かって槍を突き刺した。
ギャオオオオオォォンッ!!?
地竜が絶叫をあげ、大きく仰け反った。
その上顎には槍が深々と突き刺さり、そこから鮮血が迸っている。
鱗は硬いが、どうやら口の中はそこまで強固ではないらしい。
『は、はは……っ』
カルタスはその場にへたり込みながら、乾いた笑いを溢した。
やっぱり、やってみるものだ。
震える膝を叱咤し、どうにか立ち上がる。
考えろ。次の手を考えろ。何か使えるものはないか。自分に出来ることはないか。
地響きを立ててのたうち回っている地竜を尻目に、周囲を見渡す。
瓦礫の中にもう一本の槍が落ちているのが見えた。
――やってみるか? 一瞬自問し、それでもその槍に向かって飛び出した。
他にやりようはない。
瓦礫に半ば埋もれていた槍を掴み、力任せに引き抜く。そしてその槍を両手で構え、地竜を見やる。
蘇るのは遠い日の記憶。
少年時代、王領の狩場で狩猟会に初めて参加した時だ。森で猟番をしていた老齢の猟師が言っていた。
――殿下、よろしいですかな? 大型の獣にとどめを刺す場合、狙うのは頭でも首でもありません。
大きな鹿や熊、猪などは頭の骨も硬く、首は厚い毛皮で守られているので刃が通りにくい。
狙うべきは、心の臓にございます。
鋼の槍を携え、カルタスはのたうち回る地竜の左側面に回り込んだ。
上顎に刺さった槍の痛みで出鱈目に振り回される手足の合間を掻い潜り、再び思い切り槍を突き出す。
『ハァッ!』
左前肢の付け根、人でいうなら脇の部分。他よりも鱗が薄く柔らかいその部位に、力いっぱい槍を突き刺し、限界まで押し込んだ。
確実に胸腔を破り、肺を貫通して心臓に突き刺さる位置である。
グゴォォッ!? と地竜が明らかに苦しげな悲鳴を上げた。
カルタスは手応えを感じ、駄目押しとばかりに槍をぐり、と捻じ込んでから手を離した。
まだだ。まだ終わらせない。
苦痛を与えるものを払いのけようと振り回される巨腕を危うく回避しながら、鞘から剣を引き抜く。
兄の持つ守護剣並みとまではいかないまでも、この直剣も王家に伝わる業物だ。この十年の戦いの間、ずっとカルタスと共にあった剣である。
ごぽごぽと口から血を吐き身悶える地竜。その頭部の側に立ち、剣を腰だめに構える。そして、地竜の眼球に向かって全身でぶつかるように剣を突き刺した。
地竜が悲鳴を上げる。その咆哮で、黒鉄の甲冑がびりびりと震える。
『どうだ、化け物め! 我らの国を苦しめた罰だ! 我らが味わった苦痛をその身に受けて地獄へ落ちろ!! はは、あはははは! ははははははっ!!』
なんとも恐ろしく、そして胸のすく思いだった。
手も震えているし、膝も笑っている。だが空っぽのはずの胸だけがいやに熱いのだ。
かつてのカルタスはお飾りの騎士団長として、魔獣討伐に赴くユラの背を見送るばかりであった。
魔獣狩りの英雄ユラ。その弟でありながら何の武勲も立てられず、無能と呼ばれた己。
それがどうだ。今カルタスは一人で竜に立ち向かい、追いつめている。
自分にだってできたのだ。国がなくなり、生身の肉体も失って、それでもカルタスは英雄の背に近づいたことに歓喜を覚えていた。
地竜が呻きながらその腕を擡げる。その爪が自分に向いているのはわかっていたが、それよりもこの剣から手を放すのが惜しかった。
英雄であることから逃げたくなかったのだ。
『がっ……!!』
凄まじい力がカルタスの体にぶつかり、そのまま地面に叩きつけられる。
地竜が前肢でカルタスを掴み取り、地面に押し付けるようにして再び立ち上がろうとしていた。
めり、ばき、と甲冑が嫌な音を立てて歪んでいる。もう長くは持たないのがすぐに分かった。
口を半端に開き、そこから血を溢す地竜が片方だけの眼球でこちらを睨んでいる。
潰れたほうの眼球には、まだ剣が突き刺さっていた。黒鉄の手甲と頼りない腕の骨が剣の柄を掴んだまま、ぷらんと揺れている。
『は、はは……!』
右腕を失い、体を潰されかけながら、カルタスは笑った。
『どうした、化け物。こんなちっぽけな死霊一匹にしてやられて。これだけ時間を稼げれば、我々の勝ちはもう決まったようなものだ……!』
彼にははっきりと見えている。
聖女と英雄が邪神を制し、この地に再び平穏をもたらす様を。穢れが祓われ、再びこの地に生命が芽吹く様を。そしてジールハールという国の名が、史書の中で永遠に語られる様を。
初めから死霊たちは生き残ることが想定されていない。それはカルタスも同様だ。
この王宮への侵攻は、最初からユラとティレルだけが生き残ることを目標にした作戦だった。だから、これでいい。
その上で、自分はここまでやりきった。怪物も追い詰めた。
満足だ。
『聖樹よ、我らが英雄を愛したまえ! 我らの国を祝福したまえ! 人の世に栄えあれ!
大兄上、ティレル殿! お二人と戦えて私は幸せでした! いつか聖樹の頂でお会いしましょう……!』
息も絶え絶えの地竜が前肢を振り上げ、そして無造作に振り下ろされる――。




