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20、邪神樹

 息を切らせて大回廊を飛び出す。

 宮殿の中ほどに造られたそこは、国の護りである守護樹の育つ庭――だったはずである。

 肩で息をしながら、ティレルとユラは周りを見渡して呆然と立ち尽くしていた。

 かつては光が降り注ぎ、清冽な泉が湧き、色とりどりの花が咲き誇っていただろう庭は、これまでにないほどの強烈な穢れによって全てが泥濘と化していた。

 植物が、そして土自体が腐敗している。

 悪臭が鼻を突き、強烈な瘴気で頭が痛い。


「…………」


 遠くで魔獣の暴れる音がする。その音を背後に聞きながら、聖女と騎士は泥濘の庭の奥を見つめていた。


 ――闇が深く(わだかま)る庭の一番奥。本来ならば守護樹が鎮座しているはずの場所に、何か巨大なものがある。


「あれは」


 背筋がぞっと震えた。闇に浮かび上がる輪郭。それは巨大な人型のなにかに見えた。

 あたかも巨人が――、地中から這い出してきた巨人が、腰から下を土に埋めたまま項垂れているかのようなそれ。

 微動だにしないのに、禍々しすぎて近づくことすら躊躇われるそれ。

 ティレルの聖女としての直観が、頭の中で警鐘を鳴らしていた。

 ユラが一歩前に出て守護剣を構える。二人で目配せをし、そろりそろりと近づいた。


 泥濘の中には何か硬い石のようなものが転がっており、歩くと時々それが足に触る。人骨だ、と気付くまでそれほど時間はかからなかった。

 ラドロス王は贄を捧げ、邪神を喚び出したとカルタスが言っていた。だとすれば、この足元に散らばる骨こそ邪神に捧げられた贄たちの末路なのだろうか。

 雑然と転がる骨たちを踏まぬよう、摺り足気味で進んでいく。

 庭の中ほどまで進んだ時、あの巨人の影がようやくはっきり見えてきた。


 それは一本の大樹であった。

 酷く歪んで捻じくれた幹や枝が、まるで巨大な人の上半身のように見えていた。

 葉はほとんどなく、半ば枯れているかのようである。

 どす黒く、うねうねと波打つ表皮にはところどころ白っぽく見えるところがあり、そしてその根元には何やら鈍く輝く物体が落ちている。

 目を凝らすと、樹の幹に埋もれた白っぽいものはやはり人骨であった。生きたまま樹に取り込まれそのまま白骨と化したかのような人骨が、いくつも幹や枝に埋まっていた。

 そして樹の根元に無造作に転がっていたのは、泥にまみれて汚れた冠であった。


「ラドロス……!」


 ユラが呻く。怒りと悲壮が綯交(ないま)ぜになったような、絞り出すような声にティレルは思わず彼を振り返り、そして再び樹に視線を向ける。

 あの冠はジールハールの王冠であるらしい。とすると、その王冠に手を伸ばすような姿勢で樹に取り込まれ、白骨化している死体が国王にしてユラの異母弟であるラドロス王か。

 守護樹を穢し、そこへ邪神を降ろしてその力を我がものにせんと企んだ王は、その座への執着と力への渇望によって呆気なく身を滅ぼしていたのである。


「ということは、これが穢された守護樹なのですね……」

「ああ、邪神と守護樹が融合した姿というだろう」


 ティレルは胸を押さえながらユラと顔を見合わせた。

 どくどくと心臓が嫌な早鐘を打っている。ここまでずっと走り続けてきたから動悸が激しいというわけではない。

 穢れた樹から放たれる禍々しい気配に、まるで心臓を掴まれたような息苦しさをずっと感じているのだ。

 ユラもずっと苦しげな顔をしているのは、守護樹の穢された姿や肉親の無残な死に様を見せられたからというだけではないのだろう。


「終わらせよう……ティレル、教えてくれ。守護樹を伐り倒すとはどのようにするんだ」


 そろそろと守護剣の切っ先を樹に向けながら、ユラが尋ねる。


「はい、守護樹を伐り倒すのは聖女の最後の役目ですが、別に斧で伐り倒すわけではありません。そのためにはまず……」


 と、ティレルが守護樹を伐り倒す手順を説明しようとした時だった。


 ごぉぉぉ、と地鳴りが轟き、二人が同時に身構えた。


「なっ!?」

「これは!」


 周囲の泥が急にぼこぼこと沸き立ち始め、空気がびりびりと震えている。

 思わず膝をつきそうになるのをどうにか堪え、樹を見る。


「樹が……!」


 ティレルが目を見開いた。

 まるで巨人のようだと思っていた守護樹の成れの果てが、本当に動き出しているのだ。


 オォオオォォォ……!


 全身に響くような恐ろしい声。その声を樹が発していた。


「邪神め、休眠しているわけではなかったか!」


 ユラが樹を、いや邪神に取り憑かれた樹――いわば邪神樹を見上げて叫んだ。

 邪神樹は地面から生えた上半身を、まるで子供がむずがるかのように捩らせている。枯れた小枝がばらばらと落ち、泥に沈んでいった。

 人の体のような樹の、その頭があるべき位置。そこで枝がざわざわと集まり、何かを形作っていく。

 頭であった。

 枯れて捻くれた枝が寄り集まり、歪な球形となり虚ろな目と口とを構成し、そしてその喉からあの地の底から響くような声を発しているのだった。


「危ない!」


 ティレルとユラがその場から咄嗟に飛び退く。

 一瞬遅れて、その場所に腕のような大枝が直撃した。

 泥が盛大に飛び散り、その場に大穴が開く。

 ティレルがぞっとしながら見上げると、人型の樹の腕に当たる部分の枝がばきばきと音を立てて分裂しつつあった。

 腕が増えている。二本だけだった腕が三本、四本と、うねりながらどんどん増えている。

 その腕をティレルたちに向け、いつでも振り下ろせるというかのようにこちらを睨んでいる。

 ヴォオオオオ……、と唸り声を轟かせながら、邪神樹は目の前に現れた新鮮な餌をどうにかして捕食しようとしているかのようだった。


「ティレルッ!」


 名を叫ばれ、はっと我に返る。咄嗟にティレルが自分の周りに展開した結界に何かがばしん、と体当たりしてきた。

 ユラが守護剣を振るうと、結界に体当たりしてきたものが弾け飛ぶ。

 それは、泥を肉のように纏った骨であった。

 邪神に取り込まれ、その尖兵となった骸たちが泥の中から幾人も立ち上がり、ティレルとユラに群がってきていた。

 このままではどうにもならないと、泥人形たちを振り切って邪神樹の下まで突っ切ろうとしたが足元がぬかるみ、素早く動けない。

 そうしていると大枝の腕を振り回され、やはり行く手を阻まれる。


「ティレル、ここからどうすればいい!」


 邪神樹から一度距離を取り、泥人形たちを切り払いながらユラが叫んだ。

 斬られても斬られても、泥人形たちはすぐに再生し起き上がってくる。


「守護樹を伐り倒すには、聖女が直接触れる必要があります! どうにか近づけませんか!?」


 寄ってくる泥人形を結界で弾き飛ばしながらティレルが答える。


「近づく……危険だが、やってみよう!」


 二人は一瞬目配せをし、そのまま邪神樹へ向かって走り出した。


「このぬかるみでは素早く動けん。ティレル、防御結界を張ってくれ! 貴方をあの樹まで投げ飛ばす!」

「は、はい!」


 ユラの出した答えに戸惑いはしたが、彼がやれるというからにはやれるのだろう。

 とにかくティレルは自分の騎士を信じることにした。先ほどのように外からの衝撃を和らげる結界を張りながら、ユラと共に並走する。


「退けぃ!!」


 守護剣を大きく振り回す。ごぉ、と凄まじい風が巻き起こり、一撃で五、六体の泥人形がまとめて吹き飛んだ。

 出会った当初は魔獣の穢れで力を失っていた守護剣は、聖水で磨かれ鈍い輝きを取り戻していた。刃毀れや歪みは未だそのままではあるが、騎士の手の中で護国の大剣は往時の威力を遺憾なく発揮してくれている。

 泥人形が吹き飛ばされ、邪神までの間合いに障害物がなくなった。それに気付いたか、邪神がゆっくりとこちらを見る。


「今だ、乗れ!」


 そう言って、ユラがティレルの前に剣を差し出した。

 刃は横に向き、鎬が上に向けられている。この上にティレルを乗せて、投石器よろしく投げ飛ばす気らしい。

 ティレルは覚悟を決めて、泥を蹴った。

 ふわりと地面からティレルの体が浮く。その足元に守護剣が差し入れられ、そして。


「行けぇぇぇッ!!」


 ユラが横ざまに構えた剣を思い切り振り上げた。

 それに合わせてティレルも刀身を強く蹴る。


 ティレルが飛んだ――。

 人はこれほど簡単に飛べるものであったか? と何よりティレル自身が驚いている。

 それでも聖女は真珠色のローブを翻し、守りのベールを翼のようにはためかせ、混沌の闇に飛翔した。

 それはまるで、清冽な銀の流星が闇を裂いて流れるかのように。


「くっ!!」


 しかし人は重力には逆らえないものだ。投げ飛ばされたティレルは邪神樹の目の前で頂点に達し、そこから邪神樹に向かって落下した。

 目を閉じてはいけない、とそれだけを一心に念じて見開く目に、自身を捉えようと腕を伸ばす邪神樹の姿が映る。

 捕まってなるものか。ティレルは結界に最大限の力を籠め、そして精いっぱいに腕を伸ばした。


 あともう少し。あともう少しだけ飛べ。届いてくれ。


 邪神樹が伸ばした腕の間をすり抜け、文字通り放物線を描いて飛び――ティレルの腕が邪神樹の幹を捉えた。

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