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2、旅立ちの日

 教皇庁は前例のない聖女の巡礼に最大限の援助を約束してくれた。

 教皇庁が聖女の身分を保証する手形を発行してくれる他、路銀も十分に支給される。

 主に徒歩での旅となるため、あまりたくさんの物資は持ち歩けないが、旅装には真新しい祈り手のローブが用意されたし、必要な道具類も取り揃えられた。

 旅の準備期間は十日ほどであったが、その間面倒を見ていた子供たちがティレルのためにローブに刺繍を入れてくれたり、世話になった年嵩(としかさ)の祈り手が励ましに来てくれたりと、忙しないながら嬉しいこともあった十日間であった。


 そして、何よりも心強かったのは。


「ティレル様! 私も同行させていただきます!」

「イネス、貴方が来てくれるなら安心だわ」


 祈り手の少女イネスがティレルの巡礼に同行することを申し出てくれたのである。


「でも大丈夫? かなり危険な旅になるのよ?」

「それはこっちのセリフですよ。ティレル様はお優しいから、道中で変な輩に絡まれそうで心配なんです!」


 はっきりとした物言いをするイネスは十七歳。若草色の髪を首の後ろで一つに緩く纏め、空色の瞳はくりくりと丸く、そして表情はくるくるとよく変わる、元気な小鳥のような可愛らしい少女である。

 彼女は聖女ではなく、祈り手という聖職者の一人である。修行を積んで、穢れを払い大地の清浄を守る術を修めた者たちは各地で引く手あまたの人気の職業だが、これも才能に左右されるので容易になれるというものでもない。

 イネスは若手の祈り手の中でも優秀な部類に入る人材であり、そしてなにより子供の頃から変わらずティレルを慕い続けてくれている数少ない少女であった。


 二人で旅の支度や挨拶回りをこなしていると、相変わらず生温い目で見られたり、陰口を叩かれたりすることも多々あった。


「喚ばれずの聖女様、最近出歩いてることが多いわね」

「知ってる? あの方は近々都から追い出されるのよ」

「どこの国からも喚ばれずにずうっと都で遊んでるんだもの、当然よね」


 くすくすという意地の悪い笑い声が聞こえてくると、すぐにイネスが怒って突っかかっていこうとする。

 その度にティレルがイネスを押し留め、わざわざ私のために怒ることはないと宥めることもしばしばだった。


「だから、ティレル様は優しすぎます! あの子たちだって子供の頃はティレル様にお世話になったのに、みんなして馬鹿にして! ティレル様が優しく教えてくれなけりゃ、浄化の祈祷だって碌に使えなかったくせに……!」

「そういえば、そんな時期もあったわね。でも、いいのよ。イネスが私のことを慕ってくれて、そうやって怒ってくれるだけで、私は嬉しいわ」


 そうやって宥めて頭を撫でてやると、イネスは納得いかないながらも渋々と怒りを収めるのであった。


「あら、喚ばれずの聖女様じゃない。まだ居たのねぇ」


 イネスを宥めた矢先、またしても神経を逆撫でするような女の声が往来に響く。

 イネスがぎくりと、そしてティレルが怪訝げな顔をして振り返ると、道の先に停まった一台の馬車が目に入った。

 美しい装飾が施された瀟洒な馬車は明らかに貴人向けのもので、車を牽く馬も、御者の身なりも立派である。そんな馬車の窓から、派手な化粧をした女が顔を覗かせている。


「イゾルデ様……」


 どんな陰口も嘲笑も気にしないティレルも、女の顔を見てさすがに困った顔をした。

 こそこそ陰口を言われる分には無視できるが、こんな人通りの多い往来で、響き渡るほどのよく通る声で何か言われるとなると、流石に無視できるものではない。既に周囲を通りがかる人々が何事かとざわつき始めているので、ティレルはげんなりとしたイネスを連れて馬車へと近づいていった。


「……お久しぶりです、イゾルデ様」


 ティレルは女に何か言われる前に、何でもないかのように挨拶した。胸に両手を当て、ゆっくりと頭を垂れる聖職者の礼をとる。


「そうね、数年ぶりかしら。ティレル様も相変わらず、お元気そうで良かったわ」


 口紅を塗った真っ赤な唇をレースの扇子で隠し、嫣然と笑う女はおよそ聖樹の都には似つかわしくない。まるで裕福な貴族のご夫人のような有り様だが、彼女もまたれっきとした守護樹の聖女である。

 イゾルデはティレルより二、三歳ほど年下の聖女で、十六歳の時分から南の大国の守護樹に仕えていた。

 彼女も少女の頃こそ年上のティレルをお姉様と呼び慕い、共に修行に励んだ時期もあったのだが、しかしイゾルデはティレルよりも先に守護樹に喚ばれ、大陸でも指折りの大国で聖女としてちやほやされるうちにすっかり高飛車な性格になってしまったのである。

 どこの国からも喚ばれず、聖樹の都で日々無聊(ぶりょう)(かこ)っているティレルを『喚ばれずの聖女』と侮り、嘲るような風潮を呼んだ張本人といっても過言ではない。


「イゾルデ、そちらのご婦人はどなただい?」


 気付かなかったが、馬車にはもう一人、男が同乗していたようである。

 少し身を乗り出すようにして、窓の奥から顔を覗かせたのは端正な貴族風の男であった。

 金髪に碧眼のまさに絵に描いたような麗しい貴公子だが、どうにもこちらを値踏みするように見つめる目つきが気持ち悪いな、とティレルは感じた。


「ただの古い知り合いよ。久しぶりに見かけたものだから、ちょっと声をかけてみただけ」

「彼女も聖女様なのかい?」

「そうよ。でもどこか不出来なのかしら。私よりも年上なのに、未だにどこの国からも喚ばれない聖女様ってこの辺りでは有名な方なのよ! うふふ、面白いでしょう?」


 イゾルデはティレルが目の前にいるのも気にせず、男に甘えるように身を寄せくすくすと笑っている。


「あ、そうそう。せっかくだから紹介してあげるわね。こちらは私の守護騎士で夫のディーンレイ様よ。私が仕えるオージェラルド帝国の第三皇子でもあられるの」

「どうも、喚ばれずの聖女様。妻の友人なら、私にとっても友人だ。よろしく頼むよ」


 イゾルデを腕に抱きながら、馴れ馴れしくウインクしてみせるディーンレイなる貴公子の態度にティレルも思わず顔が引きつった。イネスなどは口を噤んだまま、げんなりと俯いてしまっている。


 守護樹に仕える聖女は、守護樹を守り育てる役目さえ果たしさえすれば婚姻も可能である。

 また聖女は自分の身と守護樹を守るため、生涯に一度だけ特別な加護を他者に与えることができる。それが所謂(いわゆる)聖女の騎士、守護騎士などと呼ばれる存在である。

 聖女と契約し加護を得た騎士は魔獣や穢れ、瘴気などに強い力を発揮することができるが、しかしこれはあくまで魔獣との争いが多かった大昔の慣習の名残りであって、現在では守護騎士は単純に聖女と深い仲となった男に贈られる特別な称号という名誉的な部分が大きい。

 基本的に守護樹の傍にいる聖女の身に魔獣が危害を加えることなどそう多くはないし、聖女と絆を結ぶ男はだいたいが高貴な身分なので、わざわざ魔獣討伐の場に赴くということも少ないからだ。

 

「うふふ、私今ね、聖女のお勤めはお休み中なの。彼との子供を授かったから、お産に備えてこの都で静養するところなのよ」


 と言って、イゾルデはややふっくらとし始めた腹を愛おしげに撫でる。といっても、窓枠のサイズ的にティレルには見えていないのだが。

 とにかく聖女が守護樹から離れて子を為すことが許されるほどには、南の大国オージェラルドは情勢が安定しているのだろう。

 それ自体は、まったく重畳であると言えた。


「そうなのですね、それはおめでとうございます」

「ありがとう! まぁ、貴方にもまだチャンスはあるんじゃない? 聞いたわよ、近々巡礼の旅に出るんですって? そしたら貴方にも素敵な出会いがあるんじゃないかしら」

「まぁ、そうでしょうか……」

「今からでもせいぜい女を磨いたらいいんじゃない? 今の地味さじゃ、誰からも相手にされないでしょうけどね!」


 あっはははは! と響くけたたましい女の笑い声に、小鳥が驚いて飛び立っていく。


「あらいけない、屋敷に仕立て屋を呼んでるんだったわ。早く帰らなきゃいけないから、ここで失礼するわね。旅の無事を祈ってるわよ、喚ばれずの聖女様!」


 自分が言いたいことを言いたいだけ言って、イゾルデは馬車を発進させて行ってしまった。

 あとに残されたティレルとイネスは、呆然と立ち尽くしてしまう。


「……相変わらず、嵐のような方ね……」

「なんででしょう、いらっとはするんですけど、疲れて怒る気も失せるし、何より自慢されても全然羨ましくないんですよね……」


 ティレルとイネスは顔を見合わせて、同時に溜め息を吐いた。


 ――そんなこんなで過ごすうちに、いよいよ旅立ちの朝が訪れた。

 早朝、聖樹の都の門が開かれる合図の鐘が鳴るのと同時に、ティレルは長年過ごした聖堂に別れを告げ、遥か北西の地ジールハールへと旅立っていく。

 見送りには大司祭と、僅かな聖職者たちが来てくれた。


「危険な旅になります。重々気を付けてお行きなさい。聖女ティレルに、聖樹の加護があらんことを」

「ありがとうございます。聖樹の輝きが、皆様の頭上に幾久しくあらんことを」


 静かな見送りの挨拶を交わし、ティレルはイネスを伴って歩き出した。

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