19、全ての犠牲は希望のために
暗い都を進み、堀の上に架かる巨大な跳ね橋が見えてきた。
橋を越えてまっすぐ進めば王宮が見えてくる。そんなところで、辺りに恐ろしい魔獣の方向が響き渡った。
『魔獣だ!』
『聖女様をお守りしろ! 防御陣形!』
兵士たちが盾を構えてざっと密集した。統率のとれた動きにティレルが目を見張る。
『殿下! 先陣の誉れはどうか、このラエルの隊にお与えください!』
と、密集陣形から飛び出したのは、剣と盾とを構えた兵士の死霊。ティレルにも見覚えのあるその背は、この王都にやってきて初めて出会ったあの死霊、哨戒部隊を率いていた小隊長ラエルであった。
『わかった。ラエル、これまでの献身に感謝する。皆に先駆け、ジールハールの意地を見せてくれ』
『は、先陣をお許しくださり感謝いたします! 最期までお供できず、申し訳ございません!』
カルタスが応え、剣を抜いた。
ラエルは羽根飾りのついた兜を一度脱ぎ、深々と一礼して被り直す。
まるで今生の別れかのようなやり取りに、ティレルは戸惑うように瞳を揺らした。
「ラエルさん!」
『聖女様、一目でもお目にかかれて光栄でございました。どうか、振り向きなさいますな。俯きなさいますな。ただ前だけを見て、お進みください。ユラ卿、聖女様と皆をよろしくお頼み申し上げる』
ラエルは再びこちらに背を向け、剣を構えた。
あの時ラエルと共に哨戒に当たっていた小隊の兵士たちも、彼に続く。
ここまで言われればティレルでもわかってしまう。彼らは、ここで盾となって散るのだ。
ユラが短くああ、と応え、ティレルの手を強く握りしめた。
グァアアアアア! と咆哮と共に付近の瓦礫を突き破り、巨大な魔獣が姿を現す。見上げるほどに巨大な熊の体から悍ましい蟲の節足を幾本も生やしたかのような、醜く悪夢的な魔獣が、その爪牙を剝き出しにして襲い掛かってくる。
『私に続けェ!!』
ラエルと兵士が吶喊する。
『走れ! ラエルの意思を無駄にするな!』
カルタスが剣を掲げ、号令と共に兵士たちが走り出した。
王宮はもうすぐそこだ。せめてラエルに加護をとティレルが片手を差し伸べたが、その手を一人の祈り手が押し留めた。
『ティレル様。私たちを憐れみくださりありがとうございます。しかし、そのお力はどうか守護樹の下に辿り着くまで温存なさいませ』
「でも、ラエルさんが!」
『あれはラエルの意思でございます。ここにいる者は皆、お二人の盾となって果てる覚悟でお供しております。どうか、涙を堪えてください。笑って、私たちの意思を天晴れと讃えてください。邪神を封じ、都から穢れが祓われれば我らは皆報われます』
ティレルは既に涙で瞳を潤ませている。助けを求めるようにユラを見上げたが、彼もまた首を小さく振り、ティレルの手を引いて足を止めることはなかった。
魔獣の咆哮と、兵士の雄叫びはどんどん遠ざかっていった。
◇ ◇ ◇
魔獣の襲撃は、王宮の奥へと進むほどに激しさを増していく。
爪が、牙が、大きな腕や尾が、強酸や火炎のブレスが容赦なく襲いくる。
その度に、死霊たちは一人、また一人と数を減らしていった。
『足を止めるな! 走り続けろ!』
『分散して魔獣を足止めしろ! 固まると巻き込まれるぞ!』
兵士たちの怒号が響き、魔獣の咆哮が轟く。
無人の王宮は今や魔獣の巣窟と化し、縄張りへと踏み込んできた愚か者たちを駆逐せんと四方八方から悍ましいものたちが飛び出してきた。
巨大な獅子の首から大蛸の触腕を無数に生やしたもの。人ほどの大きさのある、蛇の胴と尾を持つ蜂の群れ。炎の息を吐く蛞蝓や、酸の粘液を纏う蚯蚓といった、巨大な蟲たち。
思わず目を背けたくなるような魔獣たちによって仲間たちが引き離され、数を減らされていくのは己が身を引き裂かれるほど心が痛んだ。
『このまま真っ直ぐお進みください! この国を頼みます!』
そう叫んだ兵士は大猿の魔獣に掴まれ、握り潰された。
『聖樹よ! 我らの聖女と英雄をお守りください!』
そう祈って大蜥蜴の魔獣の前に飛び出した兵士は、振り回された尾の一撃で吹き飛ばされ、粉々に砕け散った。
『ティレル様、短い間でしたがお世話することができて光栄でございました。どうか、心を強くお持ちになってお進みください……!』
そう言って、ティレルを庇った祈り手は蟲たちの吐いた火球に包まれ、細い蝋燭のように呆気なく燃え尽きた。
ごめんなさい、ごめんなさい。
ティレルは泣きながら走り続けた。
転びそうになる度にユラに引き起こされながら、息を切らせて走る、走る。
ホールを抜け、階段を昇り、幾つもの扉を過ぎて、さらに奥へ。
『頑張ってください! もうすぐです!』
『先に逝きます! 聖樹の頂でお会いしましょう!』
『邪神なんて吹っ飛ばしてください! きっとお二人なら勝てます!』
『栄光あれ! ジールハールに栄光あれ! 聖女と英雄に誉れあれ!』
死霊は肉体を持たない。しかし魂の核となっている部位を破壊されれば簡単に灰燼に帰す。
死霊たちの散った灰を浴びながら、涙も拭わぬままティレルはユラと共に駆けた。
『この先、大回廊の向こうが聖樹の庭です! もう少し……!』
先頭を駆けていたカルタスが急に足を止めた。
もう仲間の数はティレルとユラ、カルタス以外は三人の騎士の死霊しか残っていない。
急制動をかけて六人が立ち止まる。その刹那、床を突き破って何か巨大なものが飛び出してきた。
ごつごつとした岩のような鱗と甲殻、捻じくれた角、鋭い牙と爪。逞しい四肢と、太く長大な尾。
醜悪で、強大で、これまでのどの魔獣よりも凶暴な殺気を撒き散らすそれは――。
『地竜、だと!?』
カルタスが驚きの声をあげた。
現れたのは古代の覇者たる竜種の末裔、翼を持たぬ地竜であった。
かつては王室伝来の宝物や美術品が陳列され、その美しさを誇った大回廊をその巨躯で塞ぐように立ちはだかる地竜は、竜種の中では下等であるといえども只人の手には余りある存在だ。
「やむを得ん」
地竜を前に、ユラがティレルの手を離し、両手で守護剣を構える。
しかしそれをカルタスが制した。
『大兄上、ここはお任せを。貴方はティレル殿と守護樹の下へ』
「カルタス」
「カルタス様……!」
カルタスと騎士たちはそれぞれ得物を構え、ティレルとユラを庇うように地竜へ臨んでいる。
無謀である。しかしカルタスも騎士たちも皆冷静であった。
『ここでお別れです。最期にお二人にお会いできて、本当に良かった』
その背にティレルが思わず手を伸ばしかけ、そしてその手で顔を覆った。
「……すまない。背後は任せる」
ユラがぎり、と歯を食い縛り、絞り出すような声を漏らす。
やっと再会できた肉親である。置いていくのはユラにとっても辛いことであった。
それでも、前に進まなければ。
ゴァアアアアアア!! と地竜がこちらを見て咆哮を上げる。
『はは、この私もようやく大兄上と同じ戦場に立てた。これ以上名誉なことはありません……さぁ今です! 行ってください!』
カルタスが叫ぶと同時に、ユラが再びティレルの手を取って走り出した。
『我はジールハールのカルタス! 今こそ同胞らの犠牲に報い、故国の恥を雪がん! 聖樹よ、我らに力を与えたまえ!!』
道を塞ぐように立ちはだかる地竜に向かって、カルタスと騎士たちが敢然と突撃していく。
その横をすり抜けるようにして、ユラはティレルを連れてさらに奥へと走った。
『ジールハールに栄光あれェェェッ!!!』
その雄叫びを背後に聞きながら、ユラとティレルは大回廊を走り抜けた。




