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18、反撃の狼煙

「…………」


 気がつくと、ティレルはベッドの中だった。

 あの後ユラはティレルを控えの間のベッドまで運び、よく休んでくれと言って出ていった。

 特に色っぽいことも起きず、入れ替わりで祈り手たちが来てくれて、化粧を落とし服を着替えさせてくれたので、ティレルもぼうっとした頭のまま眠りについた。

 今、目覚めて体を起こし、辺りを見渡す。

 相変わらず部屋は真っ暗だが、祈り手たちが焚いてくれた浄化の香の香りが今も漂っていた。

 もしかしたら昨夜のあの恥ずかしい出来事は夢だったのだと思いたい気持ちもあるが、恐らく夢ではないのだろう。

 ベッドから降り、手探りで卓の上を探って小さな呼び鈴を鳴らす。


『ティレル様、お目覚めですか?』


 気遣いのできる祈り手たちがやってきて、燭台に火を灯してくれた。

 明かりに照らされた室内は、やはり眠る前に見た部屋と同じであった。やはり昨日のことは夢ではないらしい。


 ティレルが目覚めたということは、ついに守護樹を伐り倒すために王宮へ乗り込む時が来たということだ。

 祈り手たちに手伝ってもらって再びローブを身につけ、化粧をする。

 皆、聖女様をお待ちです。という祈り手の言葉に頷き、彼女たちに伴われて部屋を出た。

 死霊たちは既に大広間に集合し、ティレルの準備が整うのを待っているようだった。

 祈り手の一人が香炉を手に先導してくれる。大広間の前では、兵士が聖女に向かって最敬礼をとった。

 昨夜とは打って変わり、大聖堂は音もなく静まり返っていた。


『聖女ティレル様、御成です』


 兵士の声と共に、大広間の扉が開く。

 水を打ったような静寂。張り詰めた緊張感。

 広間の中央に置かれた炉の焚き火は、今日もぱちぱちと燃えている。

 昨夜楽しく騒いでいた兵士の死霊たちは、その焚き火の前に完全武装の出立ちで整列していた。

 焚き火を背に、兵士たちに向かって仁王立ちする者が二人。

 一人は騎士ユラ。白銀の重厚な騎士団長の鎧を身に纏った男は国の護りたる守護の大剣を胸の前に構え、その切先を床に落とし、両の掌で柄を握り微動だにしない。

 もう一人はカルタス。すらりとした黒鉄の全身鎧を纏う死霊の王弟は腰に直剣を佩き、その鍔に左手を置いて落ち着いた様子で兵士たちと向き合っている。


 これから、決戦に向けて出陣式が始まるのである。

 祈り手に促されてユラとカルタスの間にティレルが立つ。


『皆、これまでよく戦ってくれた』


 人員が揃ったのを見てカルタスがおもむろに口を開いた。


『あの厄災の日、我らの故郷は喪われ、長い時の中で多くの同胞が犠牲になった。悲しみは海よりも深く、延々と続く戦いの日々に皆疲れ切っていることだろう。しかし、聖樹は我らを見捨ててなどいなかった。

 聖樹はこの穢れの巷に聖女ティレルを遣わし、守護剣の英雄ユラを帰還せしめたのである。我らは死霊の身と成り果てたが、今日ついに故国奪還の機を得た。

 ――諸君。我らはこれより二人の英雄の力を借り、王宮へと攻め入る!』


 カルタスの堂々たる宣言に、兵士たちがおお! と雄叫びを上げた。

 その鬼気迫る様子に、ティレルは思わずたじろぎそうになる。

 十年である。彼らは十年耐え忍び、戦い続けたのである。肉体を失い、死者となってなお理不尽に奪われた故郷を取り戻し、王の犯した過ちを正すべく耐え続けたのだ。

 その日々についに終止符を打つ時がやってきた。何が何でもやってやるという迫真の気合いも当然である。


「……俺からも、一言感謝を言わせてほしい。これまで本当によく耐えてくれた」


 静かにその熱狂を見つめていたユラも、おもむろに口を開いた。


「守護剣を与えられながら、皆の危機に駆けつけることができず本当に申し訳ない。この騎士ユラ、長い時がかかったが、聖女ティレルのおかげでこうしてようやく帰還を果たすことができた。最早俺と共に戦ってくれる者はいないとばかり思っていたが、皆がこうして立ち上がってくれるのであればこれほど心強いものはない。

 騎士として、そして王家の末席に連なる者として、諸君らのこれまでの忍従と挺身、心より感謝する。そしてどうか、今一度その力を貸してほしい」

『ジールハール万歳! ジールハール万歳!』

『守護剣の騎士に栄光あれ! 聖女の騎士に誉れあれ!』

『聖樹よ、我らを導きたまえ! 我らの英雄を守りたまえ!』


 拳を突き上げ、武器を掲げて死霊たちが吼える。

 死霊たちの魂の絶叫に、埃の被ったシャンデリアが震え、焚き火の炎が揺れる。

 長き雌伏の時を超え、ついに反撃の狼煙が上げられるのである。

 繰り返される万歳の声に、ユラとカルタスがティレルへと目配せをした。

 共に戦いに赴く兵士たちへ、聖女からの激励の言葉が求められていた。


「……皆さん、昨夜はありがとうございました」


 ティレルが声を発すると、兵士たちは再び静寂を取り戻し、姿勢を正して聖女の言葉に耳を傾ける。


「私はこれまで、聖樹の都で守護樹の喚び声をずっと待ち続けてきました。教皇庁の大司祭会議でこの国について報告がなされるまで、ジールハールという国があることすら存じ上げませんでした。ですがこちらへ来て、実感いたしました。声はなくともこの地が私の来るべき国であったと。

 皆さんに温かく迎えていただき、私は初めて聖女としての務めを果たす責任と喜びを実感しております。例え、私にできることが守護樹を伐り倒すことだけであったとしても、この地の苦難を終わらせ、あるべき姿に戻すことを誓います。皆さんのために。かつてジールハールと呼ばれた国に住む全ての人のために。そして聖樹を信じる全ての人のために」


 ティレルの宣言に、再び兵士たちが雄叫びを上げた。

 割れんばかりの大歓声。異様な高揚に、ティレルの胸がどきどきと高鳴った。

 これは戦の前の興奮だ。ティレルは聖女として魔獣退治の経験はあるが、戦争の経験はもちろんない。熱狂と不穏さに、心が騒めく。

 この都には強力な魔獣が(ひしめ)めいている。王宮の奥、守護樹には古の邪神が待ち構えている。これから起こる戦いはきっと熾烈を極めるだろう。

 きっとまた多くの犠牲が出る。しかし例えどれだけ犠牲を出そうとも、彼らは戦うのだろう。これまでに失われた多くの命のために。穢された故郷のために。

 犯された過ちを自分たちの手で正し、故国の恥を濯ぎ名誉を取り戻すために。

 彼らは止まらない。止められない。

 聖女であるティレルにできることは、犠牲の道へと導くことだけだ。

 ティレルはふっと目を閉じ、聖樹へと祈った。


 全ての魂に平穏のあらんことを――。


 その後、全ての兵士と祈り手たちで聖樹へ祈りを捧げ、手持ちの松明に火が移されると、長年広間を照らしてきた焚き火の炎が消された。

 死霊でありながら理性を残し戦い続ける兵士たちにとって、炎の明かりは闇へのささやかな抵抗であった。闇に閉ざされては心を失い、理性なき亡者へと堕ちてしまう。闇へ抗うための炎が消されるということは、もうこの大聖堂には戻らぬという不退転の決意の現れであった。

 火が落ちた大聖堂から、全ての人と死霊が出ていく。

 ティレルとユラ、そしてカルタスを中心に、兵士が、そして祈り手が取り囲み、松明を掲げて行進する。

 大聖堂から王宮へはさほど遠くもない。かつては先代聖女も大聖堂に住まいを置き、守護樹のある王宮へ日参していたという。

 穢れの灰が降り、魔獣たちの狼藉によって歪んだ石畳を、死霊たちが粛々と進んでいく。


「……大丈夫か」


 王宮へ向かって歩みを進めながら、ユラがティレルに声をかけた。

 ティレルがはっとして見上げると、守護剣を担いだユラが心配そうにこちらを見ている。

 気遣われて初めて、彼女は自分がきつく拳を握り締めていることに気が付いた。筋肉の緊張で拳は白くなり、そして震えていた。爪の食い込んだ皮膚が鈍く痛む。

 大丈夫かと聞かれて、はいと答えたかったのに、喉が引きつったようになって声が出ない。


「俺が、俺たちが守る。ティレルは前だけを見ていてくれ」


 そう言って、ユラは左手でティレルの右手を取った。

 手甲越しに伝わる騎士の力強い手の感触に、ティレルはどうにかこくりと頷いた。

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