17、弟
『お隣、よろしいですか?』
どれだけぼうっとしていただろうか。
ふと気がつくと、ティレルの目の前にカルタスが立っていた。
「あ、どうぞ」
ユラに置いてけぼりを食らっていたティレルははっとしてカルタスを隣に迎え入れた。
失礼します、と言って黒鉄の鎧が椅子に腰を下ろす。
『ティレル殿、気分はいかがですか? お疲れでしたら下がっていただいても構いませんよ』
「お気遣いありがとうございます。でももう少しここで皆さんと一緒にいたいので、大丈夫ですよ」
『それは良かった。いかに聖女殿でも、この都の穢れは難儀されていることでしょうから』
優しい声でティレルを気遣うカルタス。
その声や所作、雰囲気も、まるで生者のよう。全身鎧なので中は見えないが、今の彼を見て誰が死霊だと思うだろうか。
『……そんな聖女殿に個人的なお願いをするのは些か申し訳ないのですが、ひとつ聞いていただけないでしょうか』
と、カルタスが申し訳なさそうに切り出してきた。
「ええ、なんでしょうか?」
『ありがとうございます。実は、共に冥福を祈ってほしい人がいるのです』
ティレルが微笑んで小首を傾げると、カルタスはその手に握りしめていたものを彼女に差し出す。
それは蓋付きの金のペンダントであった。
「これは……」
黒鉄の手甲の掌からそっとペンダントを受け取り、指先で慎重にその蓋を開く。
葡萄の蔓と歌う駒鳥のレリーフが美しい金の蓋の下には、小さな小さな人物画。
細い筆で緻密に描かれているのは、ふんわりとした金髪にぱっちりとした瞳の可愛らしい令嬢の姿であった。
『彼女はゲルダ。侯爵の娘で、私の婚約者でした』
懐かしむようなカルタスの声に、ティレルがはっとする。
『十年前のあの日、彼女も都にいました。直接その死を確認したわけではありませんが、おそらく彼女も既に亡くなっていることでしょう。果たして今頃、彼女は浮かばれぬ亡霊となって彷徨っているのか、それとも既に魔獣の餌食になってしまったか……』
「そうだったのですね……」
話を聞いて、ティレルはペンダントをそっと両手で包み、瞼を閉じる。カルタスもそれに倣い、軽く首を垂れた。
「光齎す我らが聖樹よ。闇に覆われたこの地に導きを与えたまえ。憐れなる魂をその頂きに迎えたまえ……我らいつの日か、その頂きで相見えん」
『我らいつの日か、その頂きで相見えん……』
祈りの言葉を紡ぎ、二人でしばらく黙祷を捧げる。
『……ありがとうございます。ティレル殿に祈ってもらえたら、きっと彼女の魂も浮かばれます』
「ええ、きっとカルタス様の祈りはゲルダ様に届いていると思います。カルタス様がゲルダ様を大切に思う気持ちが伝わってきました。こちらはお返ししますね」
預かったペンダントをカルタスに返す。カルタスは両手でペンダントを受け取り、大切そうにその細密画を見つめていた。
『だといいのですが。にしても……十年かぁ』
ペンダントを撫でるようにそっと蓋を閉じ、感慨深げに呟く。
『あの厄災がなければ、どうなっていたんだろうな。結婚して、子供もできて……私は近衛騎士団の仕事をずっと続けられていたのだろうか。それとも領地に行って、家族で暮らしていたんだろうか……』
ティレルはその呟きに静かに耳を傾けていた。
その声はなんとも寂しげで、恋人を心底恋しがる若者の素顔が見えるかのようだった。
彼自身、まさか十年も戦い続ける羽目になろうとは思わなかったに違いない。
「深く想い合う仲でいらしたのですね」
『ええ、私の独りよがりでなければ。いつも華やかな笑顔を見せてくれる、可愛いひとでした』
恋人への慕情を十年経っても忘れず胸に抱いているカルタスを、ティレルは素直に羨ましいと思った。
恋愛などほとんど経験のないティレルにとって、その情熱はとても眩しく映って見える。
『……ところでティレル殿』
ぱっと雰囲気を切り替えるように、カルタスが顔を上げた。
『ティレル殿から見て大兄上はどうですか? 弟ながら優良物件かと思いますが』
「えっ!? い、一体なんのことでしょうか」
突然の話題の転換に、ティレルがぴゃっと椅子から飛び上がる。
『いやいや誤魔化さなくても結構ですよ! お二人を見ていれば一目瞭然です。大兄上もティレル殿にぞっこんの様子ですしね』
「えっえっ、わ、私たちはそんな、騎士契約もあくまで使命を全うするためのものですし、ユラにも本来ならきっと婚約者様が」
『大丈夫ですよ! 大兄上は未婚ですし、婚約者もおりませんでした』
何故だかとても楽しそうな様子のカルタスが放った言葉に、ティレルがえ、と目を見開き固まる。
ユラは曲がりなりにも王族の出で、騎士としても絶大な功績を上げているらしい。であればきっと相応の良家から嫁取りしているものとばかり思っていたので、思わず驚いてしまった。
『あの馬鹿真面目で責任感の塊のような大兄上です。かつては小兄上に義理立てして、その王位を脅かさないように未婚の誓いを立てておりました。騎士が続けられなくなったら出家するとも言ってましたが。
でももう大兄上が義理を立てる王も、王家も国もなくなったんです。こうなったら大兄上には、好きな人と一緒になって孤独とは無縁の暮らしを送ってほしいと私は思うのです』
ははは、と快活に笑いながらカルタスは言う。
『大兄上とティレル殿は本当にそっくりです。いつも謙遜していて、決して自己主張はしない。それでもやらなければいけないことには敢然と立ち向かい、全力を尽くそうとする。自己犠牲的で、飾らなくて、地位も名誉も求めようとしない。
そんな貴方たちがお互いに惹かれあっているなら、誰だって応援したくなってしまいますよ。貴方たちの間には何の障害もありません。だから心置きなく幸せになってください』
カルタスは心底嬉しそうに言っているが、ティレルは喜ぶどころではない。え、あ、う、と言葉にならぬ声を漏らし、気恥ずかしさに手で顔を覆って俯いてしまった。
正直なところを言うと、ティレルはユラに少なからず惹かれている。強い責任感と故郷への深い愛情。鋭い眼差しと激しい闘争心。聖女である自分への不器用な優しさ。彼を知れば知るほどに、惹かれている自分がいる。
しかしこの恋心は墓まで持っていくつもりだった。ユラが高貴な出自だからとか、責任を果たすことが最優先だからとか、言い訳はたくさんあるが、結局は地味な自分に飽きて捨てられるのが怖いのだ。
飾り気もない。化粧っ気もない。聖女として役目を果たすことだけを考えて生きてきたティレルは、華やかさとは無縁の存在だ。
今はこの状況のせいでティレルを好意的に見てくれているが、外に出たらきっと若くて可愛い女性に惹かれてしまうかもしれない。そんなことになったらと思うと、恐ろしくて一歩踏み出すことができなかった。
『あー、でも年齢差はあるか……十年前で三十二歳だから、大兄上も今は四十二歳? うーんティレル殿、年上でも構いませんか?』
「あ、いや私なんてもうそんな、お相手を選べる年でもありませんし」
『そうなんですか? じゃあ丁度いいかもしれませんね』
いや丁度いいとかそういう問題ではないんですが、と言いたいところだったが、反論する気力もなくなり口を噤む。
しかし、とティレルは考えた。
ユラの実年齢は四十二歳ということだが、どうにもそこまで年を取っているようには見えないのだ。確かに痩せてやつれてはいるが、見た目は二十代後半から三十歳前後か、それくらいである。
もしかしたら彼は、守護剣を授かり不死となった時に、肉体の加齢も止まってしまったのかもしれない。
死にはしない。飲食も睡眠も必要なく、年老いて衰えることもなく、ただ魔獣を狩る刃となる。守護剣を授かることの本当の恐ろしさが見えた気がして、背筋が冷える。
同時に、そこまで己を殺して国に尽くしたユラの今後の生に幸せが訪れますようにと祈らずにはおれなかった。若いお金持ちのご令嬢を選んでもいいから彼には幸せになってほしい。
ついさっきまで彼が若い娘に気移りするのが怖いだのなんだのと思っていたくせに、ティレルの心の手のひらはくるりと翻っていた。
「……ティレル、どうした。顔色があまり良くないが」
そんなことを考えているうちに、顔色の原因であるユラが帰ってきてしまった。
「あ、え!? いや、大丈夫です!」
再び飛び上がりそうになって慌てて頭を振るが、何の話をしていたのか知らないユラはわざわざ膝をついてティレルと目線を合わせ、顔を覗き込んでくる。
猛禽を思わせるユラの金色の瞳に真正面から見つめられ、ティレルは顔を赤くしたり白くしたりと忙しい。
『おや、本当だ。やっぱり疲れが出たのでは? 大兄上、ティレル殿を奥の部屋へ連れていって差し上げてください』
この王弟殿下、白々しすぎる。
貴方のせいですよ! と睨んでみたが、一切効果なし。
「ああ、そのほうがいいな。ティレル、少し我慢してくれ」
一方その王弟殿下に馬鹿真面目と評される兄上殿、こちらはこちらでとんでもない。
我慢してくれと言われ、身構えているとするりと膝裏に手が差し入れられた。
「ひぇ……!」
思わず変な声が出る。
ユラは固まったティレルを横抱きにして軽々と抱き上げ、広間から出ていこうとした。
『おや、聖女様はお休みですか?』
『聖女様、一緒に踊れて楽しかったです。今宵はありがとうございました!』
『ユラ卿は役得ですなぁ〜』
注目してほしくないのに、皆が注目してくれる。
死霊の皆に温かく見送られ、ティレルは横抱きのまま粛々と退場していった。
恥ずかしいやら何やらで、最早人に見せられたものではない顔になっていたのは言うまでもない。




