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16、想いの萌芽

 音楽は巡る。

 心得のある者がリュートやハープをかき鳴らし、フィドルを奏でる。太鼓や、手近な箱などを叩いてリズムを取る者もあれば、死霊の体でどうやっているのか器用に笛を吹き鳴らす者もいる。

 楽しく陽気な調べに、焚き火の炎も踊っているかのようだった。

 一曲目が終わり、拍手と共に二曲目が始まる。

 兵士が祈り手の手を取り、二人組になってくるくると回り始めた。これはこの地域の伝統的な踊りなのだそうだ。


『さぁ、聖女様もご一緒に!』

『ほらほら、ユラ卿も聖女様の手を取って!』


 死霊たちに囃されて、ティレルとユラはどきりとして顔を見合わせる。


「え、あの、私、踊りなんて」

「ああ、俺も踊りは」

『ユラ卿はどうせ踊れないんだから突っ立っててください』

『聖女様は、私たちとご一緒に!』


 戸惑う二人を取り囲み、死霊たちがステップを揃える。

 ユラはどぎまぎしつつも一礼してティレルの手を取り、ティレルも見よう見まねでローブの裾を摘んで腰を折った。

 そして祈り手たちに合わせて、右、左と簡単なステップを踏んでいく。

 最初はぎこちなかったステップも徐々にこなれていき、音楽に合わせて足音が揃っていくのがこんなに心地良いなんて。

 知らず知らずのうちにうちに笑顔になっていたティレルがふとユラを見ると、彼も笑っていた。それが何故だか無性に嬉しくて、ティレルは結局足が縺れるまで踊っていた。


 不慣れな踊りで流石に疲れたティレルは、ユラに伴われて広間の隅で休むことにした。


「すみません、はしゃいでしまって」

「いや、俺も存外楽しかった」


 椅子に腰を下ろし、焚き火の周りで踊る死霊たちを眺める。

 死霊の一人が杯に聖水を汲んで持ってきてくれた。すぐ飲める水が湧いているというのは、かくも便利なことか。冷たい水を飲むだけで、火照った体がすっと冷え、心地よい疲労感に包まれた。


「……ティレルがその衣装を着ていると、前の聖女殿のことを思い出すな」


 ぼんやりとしていると、不意にユラがそんなことを呟いた。

 ユラは騎士である。王国が健在であった頃は魔獣を討伐した後、聖女や祈り手たちによる浄化の祈祷を受けていたことだろう。


「先代の聖女様は、どんな方だったのですか?」


 会ったことのない先代聖女の話が聞きたくて、ティレルは何気なく尋ねた。


「ティレルとそっくりというわけではないが、頼り甲斐のあるお方だったな。俺もよく叱られたものだ」

「叱られたんですか?」

「ああ、浄化に行くたびに戦い方が無謀過ぎるとよく怒られた。口うるさいが、思いやりのある母親のような方だった」

「まぁ」


 微かに苦笑を浮かべるユラに釣られて、ティレルも微笑む。

 先程祈り手たちから先代聖女のアルシーナが国民皆の母親のような人であったという話を聞いていたが、どちらかというと慈母というよりも下町の肝っ玉母さんのような人であったのかもしれない。

 どちらにせよ愛情深く、広く尊敬を集める人であったことは確かだ。

 叶うなら一目でもお会いしたかった、とティレルは思う。


「……ユラは、前の国王の庶子ということでしたが、お母様は」

「母か。母は王宮に仕える侍女だった」


 思い切って尋ねてみた肉親の話題。ユラはどこか遠い目をしながら語り始めた。


「なにせ王妃が身籠る前に、戯れで手を付けた侍女が妊娠してしまったのだ。王の子とあってはただ放逐するという訳にもいかず、母は王宮の片隅でその存在を隠されるように軟禁され、俺を産み、そして命を落とした」


 訥々と語られるユラの言葉を、ティレルは黙って聞いていた。


「俺の存在が王妃らに明かされたのは、王妃がラドロスを産んだ後であった。王は俺を認知したが、当然王妃との子が優先される。俺はそのまま王妃とその子たちから遠ざけられて育てられた。

 それでも俺には乳母もいたし、何不自由なく育ててもらった。別に彼らを恨んでいるわけではない。王妃も別に俺を気にしていなかったようだったしな」

「でも、カルタス様は随分とユラに懐いていらっしゃるように見えます」

「ああ、子供の頃はほとんど交流はなかったんだが、俺が騎士になって初めて褒章をいただいたあたりから懐くようになってな。あいつが騎士になると言い出した時は、王も王妃も頭を抱えただろうな」


 ふ、と笑ってユラが焚き火の側に立つカルタスを見やる。その目はとても優しい。

 ユラは王宮の片隅で人目を避けるように生きることを嫌い、王子の身分を捨てて騎士として国に尽くす生き方を選んだ。誰に恥じることなく、堂々と自分の生き方を通すために騎士という道を選び、見習いからの叩き上げで国一番の英雄と呼ばれるまでに成長した。

 きっとその姿は、幼き日のカルタスの目には眩しく映ったことだろう。

 もしかしたらその眩しさは、王子時代のラドロス王も同様だったのかもしれない。

 眩い光は同時に、強い影を生むものだ。


「……ティレルは、聖樹の都で生まれたのか? 家族は?」

「私の家族ですか? 私は聖樹の都よりも少し南にある国で生まれました。といっても、四歳の頃には聖女候補として聖樹の都へ上げられておりましたから、家のことはあまり覚えておりません。確か、ごく普通の商家だったと思います」


 特段語るべきこともないと、ティレルはさらりと説明した。


「そうか。聖女の修行というのは、そんな早くから始まるのか」

「はい。聖女の候補として国を離れた時点で、家族とも縁が切れております。今あの人たちがどう暮らしているのか、私のことを覚えているのかもわかりません」

「一度故郷を離れれば、聖女は喚ばれた国を新たな故郷とする、か。ジールハールは、貴方の故郷にはなれそうにないな。申し訳ない限りだ」

「いいえ。もう十分、ジールハールは私の故郷になりましたよ」


 そう言って、ティレルは焚き火と、その周りで踊る死霊たちを見た。

 自分を歓迎してくれた者たち。彼らが必死に抗い、取り戻そうとする平穏。彼らの中に残る聖樹への信仰と先代聖女の記憶。

 この地へ来て、本当に自分の力で何ができるだろうかと思ったが、今は違う。

 何があっても自分がやり遂げる。この地に平穏を取り戻す。そう思えるからこそ、既にジールハールはティレルの故郷であった。


「……そうか」


 ユラはどこかほっとしたような声を漏らし、同様に焚き火のほうへ視線を向けた。

 そうやって、しばらくの間二人で並んで焚き火と踊る死霊たちを眺めていた。


「……?」


 ふと気がつくと、ユラがティレルの手を取っている。

 どうしたのかとその様子を見ていたら、ユラは何も言わずティレルの手の甲に唇を寄せていた。


「あ……」


 ティレルが固まる。

 顔から、そして口付けを落とされた手の甲から火が出そうになって、思考が停止した。

 それに気付いたユラは、はっとしたように手を離す。


「す、すまない」


 ユラも我知らずの行動であったらしい。

 自分のしたことに驚いたように顔を逸らし、ばね仕掛けの人形のように椅子から立ち上がった。


「少し浮ついてしまったようだ。顔を洗ってくる」


 口早にそう言って、ユラは広間から出ていってしまった。


「…………」


 取り残されたティレルは、唇の感触の残る手を宙に浮かべたまま、顔を真っ赤にしてしばらく固まっていた。

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