15、抗い続ける者たち
祈り手たちに飾りつけられたり化粧を施されたりしながら、ティレルはふとユラのことを考えていた。
ティレルが身を清め、服を着替える間、広間で他の死霊たちと話をするつもりだったようだが、あえなくカルタスと騎士たちに捕まり『王家の血を引く英雄である貴方がそんな浮浪者みたいな格好で聖女の隣にいていいわけがないでしょう』などと小言を言われながらどこかへ連行されていくのをちらりと見たのが最後である。
ユラもあとで変身を遂げて現れるのだろうか。
しかしそれよりも、鏡に映る自分の変化に気恥ずかしくなってしまい、彼にどんな反応をされるのかがだんだん怖くなってきた。
『できました! 早速皆にお披露目に行きましょう!』
着付けと化粧が終わった。
ティレルが鏡の中の自分に息を呑む。
真珠色のローブ、レースのベール、銀の護符。
その全てが初めからティレルのために誂えられたかのように体に馴染んでいた。
銀紫色の髪は三つ編みを解いて香油を纏わせ、緩く波打ちながら艶々と輝いている。うっすら白粉をはたいた頬や目元、唇には紅が乗せられ、まるで自分とは思えない色気が出ていた。
細い細い銀鎖で繋がった護符は繊細な銀細工で、頭や肩、胸元や腰を飾り、動くたびにちりちりと音を立てる。その音すらも清らかで、聖女の身の守りとなるよう作られた逸品であることがすぐにわかった。
鏡に映る自分は美しいと、素直にそう思えた。そしてすぐに思ったのは、この姿を見たらユラはどう思うだろうかということだった。
ティレルは二十八歳だ。着飾ってはしゃぐ年齢ではないと重々承知していたはずなのに、自分の姿を見た瞬間様々な感情が一気に押し寄せてきて、思わず顔を手で覆ってしまった。
頬が熱い。耳も真っ赤になっていることだろう。
「だ、大丈夫? 私、変じゃない……?」
『変なんかじゃありませんよ! とてもお美しいです!』
『安心してください。どこからどう見ても立派な聖女様です!』
祈り手たちに励まされ、手を引かれながらティレルは大広間へ向かった。
ゆっくりと扉が開く。
『おお、聖女様だ! なんとお美しい』
『先代聖女様のお召し物を受け継いでくださったのだな』
『ご覧よあのお髪を。焚き火の明かりに照らされて、まるで夜明けの空の色のようじゃ……』
大広間では、また大勢の死霊たちがティレルを迎え入れてくれた。
ぼうっと見惚れる者、拍手喝采で出迎える者、まるで聖樹に祈るかのように膝を折り両手の指を組む者。
反応は様々だが、皆ティレルの美しさを褒め称えてくれている。
だが、それよりもティレルの心を惹きつけたのは。
「あ……」
「…………」
白銀の壮麗な鎧を纏い、青の地に金糸で大きく紋章を縫い取ったマントを身につけた一人の騎士。
精悍な顔立ちに、丁寧に撫で付けた黒髪、こちらをじっと見つめる金色の瞳。
騎士はそう、ユラである。
身だしなみを整え、騎士らしい装備に身を包んだユラは、らしくもなく口をぽかんと開けてこちらを見つめていた。
ティレルは彼としばらく見つめ合い、だんだんと恥ずかしくなってきて俯いてしまう。
がん、と音がして顔を上げると、ユラの横に立っていたカルタスがユラの鳩尾に肘鉄を入れたようだ。ぐっと呻いたユラが鳩尾を押さえて恨めしげにカルタスを睨むと、カルタスはユラの背中を押してさっさとティレルの側へと立たせてしまった。
『……皆、聞いてくれ。我々は今日ここに新しき聖女を頂き、守護剣の騎士ユラも帰還を果たした。即ち、この地で起きた過ちを正し、在るべき姿に戻す時が来たのだ!
この後の戦いに備えて、今は楽しもう! 酒も食べ物もないが、せめて楽を奏で、歌い踊って聖女と騎士を寿ごうじゃないか!』
カルタスが広間中の死霊たちに向かって宣言した。
おお! と歓声が上がり、死霊たちが諸手を挙げて喜ぶ。そしてどこからか楽器を持ってきて、陽気な音楽を奏で始めた。
「…………」
そんな中、ティレルとユラは横に並んで立ちながら、もじもじとして何も言えずにいた。
「美しい……」
ぼそりと呟かれた声に驚いてティレルが顔を上げると、ユラは反射的に目を逸らす。
「あ、その……」
視線をあちこちに彷徨わせ、言葉を探す。
彼の耳の先まで真っ赤なのは、決して焚き火の炎の色だけではない。
「……先代の聖女殿の衣装を受け継いでくれて、ありがとう。とても、よく似合っている」
「あ、ありがとうございます……ええと、ユラも素敵です。見違えました」
何故かやたらぎこちなく、まるで十代の少年少女の逢瀬のように、ティレルとユラはかちこちになって相手を褒めあった。
「……また頭から聖水をぶっ掛けられた」
「まぁ……」
「カルタスめ、来てくれただけで嬉しいと言いながら、あいつそれなりに俺のことを恨んでいるぞ」
ユラの体に溜まった穢れがティレルの負担になっていると聞いたからだろう。カルタスはユラの身だしなみを整えるついでに、穢れを祓おうと聖水をぶち撒けたようだ。
しかしこうして無精髭を剃り、伸びた髪をきちんと結んで整えたユラはとても凛々しく、鎧姿もとても似合っている。
ティレルは不躾であるとわかっていながら、ユラに見入ってしまった。
「あ、あの、その鎧は」
苦し紛れに、鎧について尋ねてみる。
「これか。これは近衛騎士団長の鎧だ。本来ならカルタスのものなのだが、重いから着たくない、だそうだ」
ユラはそう言って、小さく肩を竦めた。
思い返せばカルタスは初めて会った時、近衛騎士団長だと名乗っていた。しかし彼が身につけているのは黒鉄の鎧で、騎士団長の鎧よりは幾分細身の造りになっている。
現在彼は肉体を失って死霊と化しているので、生前どんな青年だったのかは想像するより他ないわけだが、もしかしたらこの重厚な騎士団長の鎧を着るにはやや体格が足りない、線の細い青年だったのかもしれない。
だとしても手元にある一番良い鎧を兄に譲ったのは、やはり彼なりの愛情なのではないかとティレルは思った。