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10、穢れの灰都

 ユラの言うとおりであれば、それはきっと壮麗な門だったのだろう。

 かつての街道の果てに現れた巨大な城壁。それば既に戦の後かのような荒廃ぶりで、大門扉は壊れて外れ、石壁は崩れて醜い蔦に覆われていた。

 そしてその門の向こうからは、黒い靄のような瘴気が滔々(とうとう)と漏れ出ている。

 ユラが角灯を掲げて奥を見ようとしたが、弱々しい明かりは靄に遮られ、都の様子は微塵も窺い知れない。


「行けるか?」

「はい、大丈夫です」


 尋ねられて、ティレルはしっかりと頷いた。

 瘴気にはなんとか耐えられている。しかし立っているだけで体力を吸われているような感覚があった。

 どうにか気を引き締め、一歩踏み出そうとしたティレルの前にユラが片手を差し出す。


「この先は視界が悪い。はぐれぬように」


 この手を取れと言う。


「……はい」


 少し驚きつつも、ティレルはそっと騎士と手を繋いだ。

 瘴気や穢れの浄化で人に触れる機会はそれなりにあったが、こうして異性と手を繋いで歩くなんて初めてだな、と場違いにも気恥ずかしさを覚えた。

 確かに先ほど騎士の契約を結ぶ際に手を取ったが、それとこれとは別だ。

 しっかりと握りしめられたユラの手は、少しひんやりとしていて、そしてとても力強かった。


 左手に角灯、右手をティレルと繋ぎ、ユラは慎重に歩みを進める。

 ティレルもまたユラの手をしっかりと握り、彼についていきながら背後にも注意を払う。

 黒い靄に覆われた城門を潜り抜けると、急に視界が開けた。


「これは……」


 闇に覆われてはいるが、全く前が見えないというほどではない。

 しかし角灯の明かりに浮かび上がった街の惨状は、想像を絶するものだった。


 崩れた家々。地面が隆起し捲れ上がった石畳。道には壊れた馬車が放置され、所々巨大な魔獣の死骸も転がっている。

 道も、崩れた建物の残骸なども黒く汚れ、暗い空からは常に何かが降ってきている。

 ティレルは宙の手を伸ばし、降ってくるものを手に取ってみた。ほとんど重さを感じないそれは、黒い灰であった。

 崩壊し、死に満ちた街に、音もなく穢れの灰が降り注ぐ。

 ここが地獄でないと言うのなら、一体何を地獄と言えるのか。


「…………」


 その光景を目にして、ユラは立ち止まったまま動かなくなってしまった。


「ユラ……」


 故郷の惨状が、さらに彼を打ちのめしたのだろう。

 しかし、いつまでも立ち止まってもいられない。いかにティレルが穢れに強いといえど、確実に力を奪われているのだ。

 長居すれば、生命に関わる。ティレルは彼の手を強く握り、小さく揺すった。


「……ああ」


 ユラはティレルのほうを見ずに、掠れた声で応えた。

 やがてゆっくりと歩き出す。繋いだその手は僅かに震えていた。


 道に降り積もった灰をかき分けるように、前へ進む


「守護樹は王城にある。だがその前に大聖堂で一度体勢を整えよう。あそこにも聖水の泉があって、もしかしたら体を休めることができるかもしれない」


 ユラの提案により、まずは都の大聖堂を目指すことになった。

 かつては大規模な式典が催されたり、街の人々が祈りを捧げに来た場所である。さぞかし立派で荘厳な聖堂であったことだろう。

 そこを目指す理由を、体を休めることができるかもしれないからとユラは言ったが、本当はそこに生存者が、もしくは生存者の痕跡が残っていないかを見にいきたいのだと、ティレルにもなんとなくわかった。

 この街のかつての痕跡に、そして民の生きた証に、僅かでも触れておきたいのだろう。


 崩壊した街はしんと静まり返り、生命の気配は限りなく薄い。

 突然大きな音がしてそちらを見れば、飢えた魔獣同士が争って共喰いをしていた。悍ましい魔獣は森にいたものよりも獰猛そうで、あんなものと戦っていては体力が保たないと大きく回り道する羽目になる。

 複雑な路地裏はまるで迷路のようで、(わだかま)る深い闇に吸い込まれたら二度と出てこられないのではと錯覚するほど。

 とにかくティレルにとっては初めて訪れる地なので、ユラの歩みを信じてひたすら歩いた。


 不意に、こちらへ向けられた視線に気付いて立ち止まる。

 ユラが繋いでいた手をそっと離し、背負った守護剣に手を掛けた。ティレルも騎士の背を庇うように背後へ警戒し、身構える。


『何者だ』


 その時、頭に直接響くような不思議な声が響いた。

 驚いて二人で周囲を見回すと、物陰から一体の死霊が姿を現した。

 ぼうと怪しく燐光を発するその白骨死体は、鎧を纏い手には剣と盾を持っている。

 兵士の死霊かと身構えた瞬間、路地の奥や建物の屋上などに複数体の死霊が現れ武器を構え始めた。

 囲まれた。咄嗟の事にティレルの顔からさっと血の気が引く。

 しかし本来死霊は死者の無念から生まれた動く死体や亡霊の類であって、生前の行動を繰り返したり、生者の生気に惹かれて襲いかかったりするだけの、まともな知能を持たないものがほとんどだと言われている。

 なのにこの死霊たちは言葉を発し、集団で統率の取れた行動ができていた。

 その違和感に、ティレルは浄霊の祈祷を行うべきか思わず躊躇してしまった。


『人間か? しかし、このようなところに生者が入れるはずは』

『新手の魔獣でしょうか。人の動きを模倣しているのやも……』


 武器を構えた兵士の死霊たちがひそひそと会話をしているのを聞いて、突然ユラがはっとしたように得物から手を離す。


「兵士たちよ、武器を下ろしてくれ。お前たちに危害を加えるつもりはない。俺は銀鷹騎士団のユラだ。此度は守護剣と共に聖女殿をお連れした。もしいるならば、お前たちの指揮官と話がしたい」


 ユラも元々はジールハールの騎士である。話が通じるのであれば、死霊といえども同胞であった。


『何、ユラ卿だと……?』


 一番最初に出てきた兵士が驚いたように声を上げた。他の兵士たちもたじろぎ、互いに顔を見合わせながらそろそろと武器を下ろしていく。

 対してティレルは、ぽかんとして兵士とユラとを交互に見つめていた。


『なんと……まさか、本当にユラ卿がご帰還なされたと』

「信じられぬというのならこの剣を改めてくれ。陛下より下賜された我が国の守護剣だ」


 そう言って、ユラが剣を抜いて相手によく見えるように掲げてみせる。

 兵士の死霊は剣を納めて恐る恐る近づいてきた。そして目玉のない虚ろな眼窩でユラと守護剣とをじっと見つめ――。


『おお、おおお……よくぞ、よくぞお戻りに……』


 体をわなわなと震わせ、感極まった声を上げる。


『皆、武器を下ろして整列せよ! 我が国の護り手ユラ卿のご帰還である!』

『誰か伝令を! 早く殿下にお伝えしろ!』


 兵士が高らかに号令すると、他の死霊たちも一斉に動き出した。

 その様子を見て、やはりユラはかなり高貴な身分だったのでは、とティレルは思った。


『失礼いたしました。まさかユラ卿がお帰りになるとは思わず……申し遅れました、私はこの小隊の長を務めておりますラエルと申します』


 一番最初に出てきた兵士が、やはりここの指揮官であったようだ。兵士は握りこぶしを胸に当て、ユラに対して礼をする。


「構わない。俺もまさか話ができる者が残っているとは思っていなかった。お前たちの仲間はこれで全部か?」

『いえ、仲間は大聖堂に集まっております。あそこはこの辺りで一番穢れがましなので、そこを拠点に戦い続けておりました』

「そうか……まだ戦い続けている者がいたのか」


 そう呟くユラの顔には、嬉しそうなような、それでいて悲しそうなような、複雑な表情が浮かんでいた。


「……こちらは聖女のティレル殿だ。彼女のおかげでどうにか都に辿り着くことができた。彼女を休ませてやりたいのだが、俺たちが大聖堂に向かっても構わないか?」

『ええ、是非お越しください。何もおもてなしできませんが、休むだけなら十分でございます。それにユラ卿と聖女殿がお越しくだされば、皆きっと喜びます』


 というわけで、ティレルとユラは死霊の兵士たちに伴われ、大聖堂へと向かうことになった。

 この巡回の兵士たちは、拠点である大聖堂に魔獣が近付かないよう警戒をしていたらしい。彼らの案内で、大聖堂へはすぐに到着した。


 暗い空に浮かぶ大きな屋根。壮麗なファサード。突き出した尖塔はいくつか崩壊しているが、王都の大聖堂は噂に違わぬ壮大な建物であった。

 大聖堂前の広場には瓦礫で何か所か防壁が築かれ、魔獣に対抗している様子がわかる。

 一行がそんな大聖堂に近づくと、中から慌ただしく人影が飛び出してきた。きっと伝令が先触れをしてくれていたのだろう。

 それに気付いて、ユラが立ち止まる。

 二人の騎士の死霊に伴われ駆けてきたのは、黒鉄の全身鎧に身を包んだ何者か。恐らくはその人物も死霊なのだろう。

 黒鉄の人物はユラの姿を見つけてぴたりと立ち止まり、感極まったような声を上げた。


『……あ、兄上ぇぇぇッ!!』


 がしゃがしゃと足音もけたたましく、全身鎧の人物は脚をもつれさせながらこちらへと走ってくる。


「カルタス……カルタスか!?」


 ユラが驚いたように目を見開き、兵士たちの中から飛び出した。

 瓦礫に囲まれた広場の真ん中で、二人の男が邂逅を果たす。黒鉄の男はユラの目の前で膝から(くずお)れ、ユラも目線を合わせるように膝をつく。


『お、大兄上……よくぞご無事で……!』

「カルタス、まさかまたお前に会えるとは思わなかった……」


 ユラを兄と呼ぶその男は堪え切れないとばかりに嗚咽を漏らし、ユラもまた男の肩にそって手を置く。

 予想だにしない兄弟の再会であった。


『おお、殿下があのように喜ばれて……』

『これまで戦ってきた甲斐がありましたな……!』


 それを見ていた死霊たちも感極まったように啜り声を漏らしており、彼らも歓喜の涙を流しているようだった。

 ティレルもつられて目頭を熱くしていたが、同時にあの黒鉄の人物が殿下と呼ばれていることに、内心首を傾げてもいた。

 ユラはジールハールの騎士だと言っていたが、彼を兄と呼ぶこの人物が殿下と呼ばれているということは――?

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