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1、喚ばれずの聖女と聖樹の都

「おねえさま、ティレルおねえさま、今日もお歌を教えてくださいな」

「わたしはお花の冠の作り方を教えてほしいです」

「わたしも、わたしも!」


 ローブの裾を掴んで可愛らしくおねだりする少女たちの様子に目を細めながら、聖女ティレルは優しい声で諭す。


「あらあら、引っ張りっこしても私は一人しかいませんよ。みんなでお花畑でお歌を歌いながら、お花の冠を作りましょうね。でもその前に、聖樹様のお堂でお祈りをしましょう」


 はーい、と声を揃えて返事する幼子たちの手を取り、ティレルは青く澄んだ空を仰いだ。

 ここは聖樹の都。大陸を護る聖樹信仰の中心地であり、天高く聳える聖樹の麓に栄えた祈りの都である。

 眩い太陽は緑濃き聖樹の梢や白い街並みを鮮やかに輝かせ、街のあちこちに飾られた花々は馨しく香る。

 風は穏やかに吹き抜け、小鳥たちが歌い、澄んだ鐘の音が響き渡り――。

 聖樹の都は、大陸中で最も美しく、清浄な街であった。


「……ねぇ見て、()ばれずの聖女様よ」

「あの方、まだいたのね」

「誰にも相手にされないものだから、ああやっていつまでも子供のお守りをして過ごしているのよ。ああはなりたくないわよね……」


 そよ風に乗って聞こえてきた密やかな声に、歩き出そうとした足が止まる。

 明らかに好意的ではない潜め声は、近くを通りかかった祈り手の少女たちの会話であった。

 ちらちらとこちらを横目に見ながら、足早に通り過ぎていく少女たちは十四、五歳。彼女たちもかつてはティレルが面倒を見ていた幼子たちであった。


「ティレルおねえさま、どうしたの?」

「お祈り、いくんでしょ?」


 ティレルと手を繋いでいる少女たちが、不思議そうにティレルを見上げている。


「……そうね、行きましょうか。お祈りしたら、司祭様からお菓子をいただきましょう」

「えっお菓子!」

「はやく行こうおねえさま!」


 きゃっきゃっとはしゃぐ子供たちに手を引かれながらティレルは笑顔を繕い、祈りの聖堂へと歩き出した。



 ◇ ◇ ◇



 聖樹は大陸中に根を張り巡らせ、穢れを浄化し大地の清浄を護る聖なる大樹である。

 大陸に存在する国々は、聖樹から株分けされた苗を守護樹として王都に植え、国の護りとした。

 それぞれの国の守護樹は、特に聖樹の力に感応する能力に秀でた聖女を管理者として必要としており、その聖女を見出し育成する役目は聖樹の都の教皇庁が負っている。

 各国で見出された聖女は幼いうちに聖樹の都の大聖堂で修行と祈りの日々を送り、十五から十八歳頃までには聖女を必要とする国々に喚ばれ、引退するまでその国に根を下ろす。


 喚ばれずの聖女ティレルは、そんな聖樹の都にあってどこの国からも喚ばれることなく今年ついに二十八歳になろうとしていた。


 聖女は必ずどこかの国に必要とされ、先代聖女がその座を退いたり、役目を果たせなくなりそうな時に守護樹によって喚ばれ、その国に赴く。

 聖女が余ったりすることは決してないはずなので、聖女でありながらどこの国にも喚ばれないティレルは聖樹の都でも腫物のような扱いを受けていた。

 特に重要な役割を持っているわけではないので、聖堂での祈りの修業を続けながら司祭たちの手伝いをしたり、祈り手候補や聖女候補の幼い子供たちの世話をしたりなどして日々を過ごしているが、若い頃と比べて自分を見る周囲の人々の目が複雑なものになっていることに気付かないわけもなく。

 この年頃になってもどこの国からも天啓のような喚び声は届かず、しかし聖樹に触れればはっきりと感応し、お前は聖女であると聖樹が教えてくれる。

 戸惑い、肩身の狭い思いをしつつも、それでも聖女としての資格がある限りは喚び声が届くまでこの地で暮らしていかねばならない。

 それが例え、かつて世話を焼き、仲良く過ごしていた少女たちが成長するにつれて自身を侮り、軽蔑して離れていく毎日であっても。


「――巡礼、ですか」


 ある日、久しぶりに呼ばれて大聖堂にやってきたティレルは、大司祭の言葉に思わず目を瞬かせた。


「そうです。あなたに一度行ってもらいたい場所があります」


 大聖堂の奥、大司祭が客人を招いて応対するのに使われる応接間にて。

 引退したかつての聖女である大司祭は、七十歳という年齢を感じさせぬ、背筋のぴんと伸びた老女である。

 上位聖職者の証である真っ白いローブに身を包み、そのローブと同じくらい真っ白い髪を一分の後れ毛もなくきっちりと纏めて結い上げた大司祭は、力強い瞳でティレルを見つめている。深い皺が刻まれているが、生気に溢れ、厳しさと慈悲深さを同居させた老女の顔には、今は聖樹の都の指導者の一人であるという強い責任感が見て取れた。


 テーブルを間に置いて大司祭と対するティレルは、修行中の聖女が纏う深藍の質素なローブを身につけ、腰上ほどまでに伸ばした銀紫色の髪を作業の邪魔にならぬよう一本の三つ編みにして垂らしている。

 夜空色の瞳は見る者に優しい印象を与えるが、日頃の肩身の狭い暮らしのせいか、その表情はおとなしく、どこか頼りない雰囲気もあった。


「わかっているとは思いますが、貴方には未だどの国の守護樹からも喚び声がありません」

「申し訳ございません……」

「貴方が謝ることではありません。いかに修業を積もうと、いつ聖女を喚ぶのかは守護樹次第なのですから。基本的には守護樹から喚ばれぬ限り、聖女はこの都を離れられません」


 大司祭の言葉にはい、と応えつつも、ティレルは思わず顔を俯かせてしまう。

 聖女でありながら守護樹に喚ばれぬことを、ティレル自身が一番気にしているのは長い付き合いである大司祭も重々承知していた。


「本来なら守護樹に喚ばれるまで聖女は動かぬものですが、しかし今回は状況が状況です。一か所、聖女である貴方自身に確かめてほしい守護樹があります」


 そう言って、大司祭は傍らに置いてあった一巻の紙を手に取り、テーブルの上に広げた。

 その紙片はどうやら地図であるらしい。


「聖女ティレル。貴方はジールハールという国を知っていますか」

「あ、いいえ……」

「知らなくても問題はありません。ここからも、貴方の生まれ故郷からも遠く離れた国ですから。ジールハールはここ聖樹の都から北西へずっと離れた地に存在していた小国です」


 大司祭の言葉に、ティレルが小さく首を傾げる。

 存在していた国、という過去形の言い回しが引っ掛かったのである。


「今から十年ほど前までは近隣の国とも交流や交易がありましたが、ジールハールはある日突然王都が闇に呑まれ、周辺の土地から隔絶されました」

「闇に呑まれた、のですか?」

「その表現はあくまで、王都の様子を確認した者たちがそのように報告していたというだけで、実際に何があってそうなったのかはわかりません。しかし現状として、王都には容易に出入りできない状況になっているのは確かなようです。

 最近の報告では、王都とその近辺の村落は瘴気と穢れに満ちた暗い森に覆われ、外からでは中を伺うことのできず、森の中には死霊や魔獣も蔓延っているため、並の冒険者では探索もできずにいるのだとか」


 そう説明した大司祭は、僅かに苦々しく眉根を寄せた。

 ティレルはテーブルの上に広げられた地図に視線を落とす。

 ジールハールという見知らぬ国の地勢を示した図には、確かに王都とその近隣の地域に書き込みがされており、『闇』と表現された瘴気や穢れの影響の範囲が示されていた。

 聖女として大地の穢れや魔獣への対処法も修めたティレルの経験や知識からしても、これほど広範囲を、それも国の護りである守護樹が植えられた都を中心とした地域がある日突然瘴気に呑まれたというのは、俄かには信じられない事態であった。


「……瘴気に呑まれたのは、十年前」


 ティレルの呟きに、大司祭がこくりと頷く。


「そうです。事態が起きたのは十年前。その少し前にジールハールの聖女が病によって亡くなられています。突然王都が隔絶されたので、守護樹すら聖樹に声を飛ばすことができなくなり、そこから何もできずに十年が経ってしまったのでは、というのが最近の教皇庁会議での見解です」


 十年前と言えば、ティレルは当時十八歳である。

 守護樹に喚ばれるには頃合いであったはずだ。


「では、私が行くべき国はジールハールだったのですか」


 僅かに声を震わせながら、ティレルは大司祭に詰め寄った。

 幼き頃よりの修行の日々、そして無為に過ごしたこの十年間。

 聖女でありながら居場所のない心地で過ごしてきた十年は、このジールハールという国に原因があったのか。


「これはあくまで仮説です。確証はありませんが、確認できるのは貴方以外にいません」


 大司祭は厳しい声音で動揺する聖女を諭す。


「聖女ティレル。ジールハールは最早余人には手出しできぬ領域となっています。ジールハールの守護樹がどうなっているのか、そしてこれから我々がどうするべきなのかを見極めるためにも、教皇庁は貴方に巡礼を命じます。

 ……苦しい旅になるとは思いますが、受けてくれますね?」


 大司祭の力強い言葉に、ティレルは表情を引き締め、深く頷いた。


「はい、謹んでお受けいたします」


 こうして、聖女ティレルの巡礼の旅が決まったのである。

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