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青空とカーテンコール

作者: Alex

 春の風が校舎の窓を揺らし、薄く開いたカーテンをふわりと持ち上げた。

 

 教室には、まだ少しだけ新しい匂いが残っている。四月、始業式から数日が経ち、クラスの空気もようやく落ち着き始めた頃だった。


「おい、篠原。またぼーっとしてるぞ」


 机を軽く叩かれ、はっと顔を上げる。


 目の前には親友の相原透。


「いや、なんかさ、春って気持ちがふわふわするじゃん?」


「それはお前だけだろ」


 相原が苦笑しながら、自分の席に戻る。


 そのとき、教室のドアが開いた。


 担任の先生が入ってきて、一瞬、クラスが静まる。


「今日はひとつ、お知らせがあるぞ」


 黒板に「転入生」と書き込む先生。ざわざわとクラスがざわつく。


 そして――。

「どうぞ、入ってきて」


 促されるままに、ひとりの少女が教室へ足を踏み入れた。


 長い髪が春風に揺れ、制服のリボンが小さく揺れる。


 その瞬間、彼女はまるで映画のワンシーンのように、そこに立っていた。


「七瀬玲奈です。よろしくお願いします」


 静かにそう言った彼女の声が、教室の空気を変えた。


 俺は、ただその場で彼女を見つめることしかできなかった。


 きっと、この春が、何かを変える。


 そんな予感が、胸の奥にふっと芽生えた。



 転入生、七瀬玲奈が教室に入ってきてから、なんとなくクラスの空気が変わった。


 彼女は必要最低限の挨拶をして、先生の指示通りに窓際の席に座った。まるで風のように自然で、それでいてどこか近寄りがたい雰囲気を纏っていた。


「七瀬さん、どこから転校してきたの?」


「部活とか入る予定ある?」


 授業が終わると、すぐに女子たちが彼女のもとへ集まり始めた。玲奈は落ち着いた様子で簡単に答えながらも、どこか冷静だった。


 そして、俺――篠原悠真は、その様子を遠巻きに見ていた。


「おい、興味津々か?」


 隣の席の相原透がニヤリと笑う。


「べ、別に。ただの新しいクラスメイトだろ」


「いやいや、さっきからめっちゃ見てたじゃん」


「そんなことないし」


「……まあ、気持ちはわかる。美人だしな」


 そう言いながら、透は自分のノートに落書きを描き始める。


 確かに玲奈は目を引く存在だった。整った顔立ちに、少しだけ伏せ気味の目。感情を見せるのが苦手なのか、それともまだ環境に慣れていないのか……。


 ただ、あの静かさの奥に、何か別のものが隠れている気がした。


 そんなことを考えていると、不意に玲奈と目が合った。


 一瞬、時が止まったように感じた。


 でも、玲奈はすぐに目をそらし、何事もなかったかのように窓の外を見つめる。


 俺は、なんだか変に意識してしまい、咳払いをした。



 昼休みが終わり、午後の授業を終えると、俺は自然と屋上へ向かっていた。


 ここは、俺にとって一番落ち着く場所だ。人気が少なく、風が気持ちよくて、ぼーっとするのにちょうどいい。


 鍵はかかっていない。扉を開けて屋上に出ると、春の風が頬を撫でた。


 フェンスにもたれかかり、遠くの街並みを眺める。


「――やっぱり、ここにいたんだ」


 不意に、背後から声がした。


 振り向くと、そこにいたのは玲奈だった。


「えっ、お前……なんでここに?」


「別に。なんとなく」


 玲奈は俺の隣に立ち、同じようにフェンスに手をかけた。


 風が彼女の髪を揺らし、ふわりと春の香りがした。


「……ここ、知ってたのか?」


「ううん。偶然。ちょっと静かな場所がほしかっただけ」


 玲奈はそう言うと、ふっと小さく笑った。


 ほんの少しだけ、さっきよりも柔らかい表情だった。


 このとき俺は、まだ知らなかった。


 この春の風のように、彼女の存在が少しずつ俺の日常を変えていくことを――。



 昼休み、俺は弁当を持って屋上に向かった。


 昨日、玲奈がここに来ていたことが頭の片隅に残っていたからだ。


「偶然」とは言っていたけど、ひょっとしたらまた来るんじゃないか……そんな期待を抱いていた。


 しかし――屋上には誰もいなかった。


「……まあ、そんなもんだよな」


 ちょっと残念な気持ちになりながら、フェンス際に腰を下ろして弁当を開く。


 母さんが作ってくれたシンプルな弁当。卵焼きと唐揚げ、ウインナー。いつもの味。


「お、篠原。またここにいたのか」


 弁当を食べていると、ドアが開き、相原透がやってきた。


 手にはコンビニのおにぎりを二つ。


「……お前も屋上派だったか?」


「いや、お前がいるかなーって思ってさ」


「なんだよ、それ」


「まあまあ。たまには一緒に食おうぜ」


 透は俺の隣に座り、おにぎりの袋を破った。


「なあ、七瀬さんってどう思う?」


 透が話題を切り出す。


「どうって?」


「クラスの奴ら、みんな気にしてるじゃん。美人だし、雰囲気も独特だしさ」


「……まあ、確かに」


「篠原、お前昨日、屋上で話してただろ?」


「えっ、なんで知ってんの?」


「偶然、窓から見えた」


「お前、そんなとこばっか見てんのかよ」


「まあ、たまたまな。で、何話したんだよ?」


「……別に大した話はしてねぇよ」


 正直、昨日の玲奈とのやり取りをどう説明すればいいのか分からなかった。


 彼女はただそこに立って、俺と少し話しただけ。


 それだけなのに、やけに印象に残っている。


「ふーん、まあいいけどさ。ほら、これやるよ」


 透はそう言って、おにぎりを一つ俺に差し出した。


「なんだよ、急に?」


「余分に買ったんだよ。ツナマヨな」


「お前、いいやつかよ」


「知ってた?」


「いや、今初めて気づいた」


 二人でくだらない話をしながら、昼休みは過ぎていった。



 授業が終わり、クラスの連中がそれぞれ部活やバイトに向かう中、俺は特にやることもなくぼんやりと教室に残っていた。


 ふと窓の外を見ると、グラウンドでは運動部の連中が汗を流している。野球部の掛け声が遠くで響いていた。


「篠原」


 不意に、聞き慣れた声がした。


 振り向くと、玲奈が教室の入り口に立っていた。


「ちょっと、いい?」


「え、俺?」


「他に誰がいるの?」


 玲奈は小さく笑うと、教室の外へと歩き出した。


「……まあ、いっか」


 俺は鞄を肩にかけ、彼女の後を追った。



 玲奈が向かったのは、校舎の奥にある図書室だった。


 夕方の図書室は人も少なく、窓から差し込む光が静かに本棚を照らしていた。


「ここ、落ち着くから好きなの」


 玲奈はそう言って、本棚の間の席に腰を下ろした。


 俺も向かいに座る。


「……で、俺に何か用?」


「篠原くんって、何か部活やってる?」


「いや、特に。幽霊部員みたいなもん」


「そっか。じゃあ――演劇部に興味ある?」


 演劇部?


 俺は思わず眉をひそめた。


「演劇って……あの、舞台で台詞とか言うやつ?」


「そう」


「いやいや、絶対無理。人前で喋るのとか、得意じゃないし」


「大丈夫。私も最初はそうだったから」


 玲奈は微笑んだ。


「……え、お前、演劇部なの?」


「ううん。でも、前の学校では少しやってたの」


「じゃあ、なんで?」


「ここの演劇部、今、人数が足りなくて困ってるらしいの。で、たまたま先生に『誰かいい人いないか』って聞かれて」


 玲奈は俺をじっと見つめる。


「だから……篠原くん、どうかなって」


 なんで俺なんだよ。


 そう思いながらも、玲奈の真剣な目を見ていると、適当に断ることもできなかった。


 俺の平凡な学園生活は、この春、確実に変わろうとしていた――。



 静かな空気の中で、彼女の言葉が妙に強く響いた。


 でも――。


「いや、俺、絶対向いてないって」


「どうして?」


「人前で演技とか、無理無理。そもそも演劇って、才能ある人がやるもんだろ?」


「そんなことないよ。最初は誰でも初心者だし」


「いやいや、俺、マジで棒読みになるぞ」


 俺が必死に拒否すると、玲奈は少し考え込むように視線を落とした。そして、ふっと顔を上げて――。


「……じゃあ、とりあえず見学だけでも?」


「う……」


「演じなくてもいい。ただ、雰囲気を見に来るだけ。それなら大丈夫でしょ?」


 なんというか、玲奈は強引というより、俺に逃げ道を残しながらもじわじわと追い詰めてくるタイプだった。


 このまま押し切られそうな気がする。


「……まあ、見学だけなら」


「ほんと?」


「見るだけだからな?」


「うん、約束する」


 玲奈は嬉しそうに微笑んだ。


 それがやけに印象的で、俺は何も言えなくなった。



 俺は玲奈に連れられ、演劇部の部室に向かっていた。


「ここ?」


「うん。普段はこの教室を使ってるんだって」


 玲奈が扉をノックし、ゆっくりと開ける。


「失礼します」


「お、七瀬ちゃん来たか!」


 中にいたのは、明るい雰囲気の男子と、落ち着いた印象の女子。


 男子の方が俺たちに駆け寄ってきた。


「えっと、もしかして彼が?」


「はい。篠原悠真くん」


「おお、よろしく!」


 いきなり握手を求められ、俺は戸惑いながら手を差し出す。


「俺は演劇部の部長、藤井翔。で、こっちが副部長の水野結菜」


「こんにちは、水野です。七瀬さんが連れてきてくれたんですね」


 水野さんは丁寧な口調で微笑んだ。


 藤井と水野さん――この二人が演劇部の中心らしい。


「篠原くん、演劇に興味があるの?」


「いや、俺は別に……」


「まだ迷ってるんだって」玲奈がすかさずフォローする。


「そっかそっか。でも見学しに来てくれただけでも嬉しいよ」


 藤井は明るく笑うと、教室の奥を指さした。


「じゃあ、ちょうどいいから、今日の練習を見てもらおうかな。今は台本読みの練習中なんだ」


 俺は玲奈の隣に座り、部員たちの様子を見守ることにした。



 部員たちが台本を手に取り、読み合わせを始める。


 最初は普通の朗読のように思えた。


 だけど――。


「――私を信じて! 私は絶対に裏切らない!」


「そんなこと言われても、もう信用できないんだよ……!」


 声が変わった。


 まるで目の前でドラマを見ているようだった。


「すごい……」


「でしょ?」


 玲奈が小さく微笑む。


 同じ言葉でも、ただ読むのと、感情を込めるのでは全然違う。


 演技って、こういうものなんだな――。


「篠原くんも、ちょっとやってみない?」


「えっ?」


 いきなり振られて、俺は言葉を失う。


「ほら、読むだけでいいから。ちょうどこのシーン、もう一人の役が必要なんだ」


「いやいや、俺、素人だし……」


「最初は誰でも素人だよ」


 藤井が軽く肩を叩く。


 俺は戸惑いながら、手渡された台本を見つめた。


「……じゃあ、ちょっとだけ」


 なんで俺、こんなことになってるんだろう。


 でも――玲奈が優しく頷くのを見て、俺は意を決して声を出した。



 台詞を読むだけのはずだった。


 でも、不思議と、その世界に入り込んでいく感じがした。


「……なんで、お前はそんなに俺を信じられるんだよ」


「だって……私たちは、友達だから」


 玲奈が台詞を言う。


 真っ直ぐな瞳で、俺を見つめながら。


 気づけば、俺もその言葉に引き込まれていた。


 自然と感情がこもる。


「……バカじゃねえの」


 その瞬間、部室が静かになった。


「……え、ちょっと待って」


 藤井が驚いた顔をする。


「お前、初めてだよな?」


「え、まあ」


「めっちゃ自然じゃん!」


 周囲の部員たちもざわつき始める。


「篠原くん、もしかして演劇向いてる?」


 水野がにこりと笑う。


 俺は思わず玲奈を見る。


 すると、彼女は満足そうに微笑んでいた。


「……ほら、言ったでしょ?」


 俺は、玲奈にまんまと乗せられた気がした。



「お前、初めてなのにすごいな!」


 藤井が興奮気味に俺の肩を叩いた。


 周囲の部員たちも「確かに」「雰囲気あったね」と口々に言っている。


 正直、俺は戸惑っていた。


「いや、そんな……適当に読んだだけだし」


「いやいや、あの空気感、すごく自然だったぞ!」


「お前、才能あるんじゃね?」


 盛り上がる部員たちを前に、俺はただ苦笑することしかできなかった。


「……とりあえず見学だけのつもりだったんだけどな」


 その言葉を聞いて、玲奈がふっと微笑んだ。


「でも、嫌じゃなかったでしょ?」



 俺は言葉に詰まる。


 確かに、思っていたほど悪い気分じゃなかった。


 むしろ――楽しかった。


「篠原、ぜひうちの演劇部に入ってくれ!」


 藤井が手を差し出してくる。


 俺はその手を見つめたまま、答えに迷った。



 部活が終わったあと、俺と玲奈は並んで帰っていた。


 春の夕暮れが空を赤く染め、風が心地よく吹いていた。


「なあ……」


 俺はポケットに手を突っ込みながら、ぽつりとつぶやいた。


「お前、前の学校でも演劇部だったんだよな?」


「うん」


「……楽しかった?」


「…………」


 玲奈は少しの間、歩くスピードを落とした。


 その横顔は、どこか遠くを見つめているようだった。


「楽しかったよ。でも、途中でやめちゃった」


「え? なんで?」


「いろいろあってね」


 玲奈はそれ以上、何も言わなかった。


 俺も、それ以上は聞かなかった。


 でも、その「いろいろ」が何なのか――気になった。


「……篠原くんは?」


「え?」


「演劇、少しは楽しかった?」


 俺は空を見上げながら、少し考えた。


 演技なんて興味なかった。


 でも、あの瞬間、確かに俺は物語の中にいた。


 玲奈の瞳の中に、自分の台詞を映し出していた。


「……まあ、ちょっとだけ」

「ふふっ、よかった」


 玲奈が小さく笑った。


 その笑顔を見て、俺は少しだけ胸の奥がざわつくのを感じた。



 次の日の昼休み。


 俺は相原透と弁当を食べながら、昨日の出来事を話した。


「……ってなわけで、なんか流れで演劇部に入りそうな雰囲気になってるんだけど」


「お前が演劇部!? マジか!」


「いや、まだ入るって決めたわけじゃないけど」


「でも七瀬さんのこと、ちょっと気になってるんだろ?」


「は?」


「いや、なんかお前、話してるときの顔がさ」


「顔が?」


「ニヤけてる」


「ニヤけてねえよ!」


 俺は思わず箸を振り回した。


 透は「まあまあ」と笑いながらウインナーをつまむ。


「でもさ、七瀬さん、ちょっと謎多いよな」


「……それは思う」


 前の学校でのこと。


 演劇をやめた理由。


 なんとなく、彼女は自分のことをあまり話そうとしない。


 俺は、もっと玲奈のことを知りたいと思った。



 放課後、俺は再び演劇部の部室へ向かった。


「お、来たな!」


「……まあ、様子見ってことで」


 藤井が満面の笑みを浮かべる。


 玲奈は、静かに俺を見つめていた。


「じゃあ、今日は台詞回しの練習をしよう」


「え、俺、もう演技やるの?」


「やるやる。七瀬と組んで、簡単なワンシーンをやってみよう!」


 俺は半ば強引に台本を手渡された。


 玲奈と向かい合い、台詞を読む。


「……本当に、信じていいの?」


「うん。だって、あなたのことが――」


 玲奈がこちらをまっすぐに見つめる。


 その瞳が、やけに俺の胸をざわつかせる。


「……好きだから」


 台詞のはずなのに、心臓がドクンと跳ねた。


 妙に意識してしまい、俺は台詞を噛んでしまう。


「……だっ、だから!」


 演劇部の部員たちがクスクスと笑う。


 玲奈も、少しだけ微笑んだ。


「篠原くん、照れすぎ」


「いやいや、こんなん普通無理だろ!」


「でも、悪くなかったよ」


 玲奈がそう言ってくれたことが、なぜか嬉しかった。


 こうして、俺は本当に演劇部に入ることになった。



 演劇部に正式に入部して数日が経った。


 思ったよりも練習は楽しく、俺はいつの間にか台詞を覚えるのが苦じゃなくなっていた。


「さて、そろそろ文化祭の演目を決めるぞ!」


 部長の藤井が、教室の前で台本を数冊並べながら言う。


 放課後の部室には、いつものメンバーが集まっていた。


「せっかくだし、新入部員の篠原にも主役級の役をやってもらいたいんだよな~」


「え、俺?」


「そうそう! だって、お前意外と演技うまいし、文化祭の舞台で一気に成長できると思うんだよ」


 部員たちが「それいいね」とうなずく。


「いや、でも俺、まだ入ったばかりだし……」


「篠原くんならできると思う」


 玲奈が静かに言った。


 その瞳がまっすぐに俺を見つめる。


「……うっ」


 あの目で見られると、断るのが難しくなる。


 というか、玲奈の「できる」という言葉が、なぜか妙に説得力を持っている気がする。


「……まあ、やれる範囲でなら」


「よし、決まり!」


 藤井が勢いよく手を叩く。


「演目は『星降る夜に』にしよう!」



「『星降る夜に』って、どんな話なんですか?」


 俺が尋ねると、水野が説明してくれた。


「簡単に言うと、幼なじみ同士のラブストーリーね。星を巡る約束をした少年と少女が、大人になって再会するっていう話」


 台本をめくると、確かにそんな内容だった。


 子どもの頃に『一緒に星を見よう』と約束した二人が、再会し、距離を縮めていく物語。


 最後は、二人で約束の星を見上げるシーンで終わる。


「で、篠原には男主人公の浩介役をやってもらう」


「ほう」


「で、相手役のヒロイン千夏は――」


 藤井はちらっと玲奈を見て、にやりと笑う。


「七瀬にやってもらおうと思う!」


「は?」


 俺は思わず台本を落としそうになった。


「私?」


「おう。七瀬、演技うまいし、絶対いい雰囲気になると思うんだよ」


 部員たちが「確かに」「この二人ならいい感じになりそう」と頷く。


「……お前ら、冷静に考えろ。俺と七瀬でラブストーリーって、かなり恥ずかしくないか?」


「大丈夫、台本の力を信じろ!」


 藤井が親指を立てる。


 大丈夫じゃねぇ……。


 俺は玲奈を見る。


 玲奈は少し驚いたようだったが、やがて静かに頷いた。


「……いいよ。やる」


 その言葉が決定打になった。

「じゃあ決まりな!」


 こうして俺は、玲奈とダブル主演で文化祭の舞台に立つことになった。



 部活が終わり、俺と玲奈は並んで帰っていた。


「……本当にいいのか?」


「うん?」


「いや、なんかさ……俺とお前で恋愛ものって、ちょっと意識しそうじゃね?」


 玲奈は少し考えてから、小さく微笑んだ。


「篠原くん、演劇を始めた頃より、ずっと自然に演技できるようになってるよ」


「え?」


「だから大丈夫。私がちゃんと引っ張るから」


 そう言われると、なんか逃げられない気がしてくる。


「……ほんと、お前ってそういうとこ強いよな」


「そうかな?」


「そうだよ。まるで、俺のこと全部お見通しみたいな」


 玲奈はその言葉に、ほんの少しだけ視線を落とした。


「……前の学校でも、こういう役をやったことがあるの?」


「ううん」


「じゃあ、なんで?」


「…………」


 玲奈は少しだけ迷ってから、静かに言った。


「前の学校では、文化祭の舞台に立てなかったから」


 俺は思わず足を止める。


 玲奈は、どこか遠くを見つめていた。


「何か、あったのか?」


「……ちょっとね。でも、それはもう終わったこと」


 玲奈はそれ以上は何も言わなかった。


 だけど、俺は彼女の言葉の奥に、何か隠されたものを感じた。


 俺は玲奈のことを、もっと知りたくなった。



 翌日から、演劇部は文化祭に向けた本格的な練習に入った。


 放課後の体育館の特設ステージで、俺たちは立ち位置や動きを確認しながら、台詞を合わせていく。


「……俺さ、ずっと探してたんだ。お前との約束、覚えてるか?」


「……うん。覚えてる」


 玲奈と向かい合い、台詞を交わす。


 演技のはずなのに、玲奈の瞳を見つめると、妙に心臓がざわついた。


「カットー!」


 藤井の声で練習が止まる。


 俺はホッと息をついた。


「いい感じだぞ、二人とも!」


「……ほんとか?」


「おう。特にラストシーン、もうちょい感情込めたら完璧だな」


 藤井は台本をパラパラとめくりながら言う。


「んで、篠原。お前、最後のシーンの演出、聞いてるか?」


「最後?」


「ああ、浩介と千夏が、再会の証として――」


 藤井がニヤリと笑う。


「キスするんだよ」


「――は?」


 俺は思わず台本を落としそうになった。


「え、ちょ、待てよ。そんなシーンあったか!?」


「あるある。最後のページにしっかりな」


 慌てて台本をめくる。


 確かにそこには、


『浩介と千夏は互いに見つめ合い、静かに口づけを交わす――』


 と書かれていた。


「え、これ……やるの?」


「そりゃやるに決まってんだろ。ラブストーリーなんだから」


「いやいやいや、ちょっと待て!」


 俺は思わず玲奈を見る。


 玲奈は、特に動揺した様子もなく、淡々と台本を見つめていた。


「……嫌なら、代役を立てる?」


 玲奈は静かにそう言った。


 その言葉に、俺の中で何かが引っかかった。


 いや、俺は別に、玲奈とキスが嫌なわけじゃない。


 でも、それを「嫌なら」と言われると……なんか変な気分になる。


「……いや、やる」


 気づけば、俺はそう答えていた。


 玲奈はほんの少しだけ、驚いたように目を見開いた。


 そして、すぐに小さく微笑んだ。


「……そっか」



 練習が終わり、俺と玲奈は並んで帰っていた。


 夜風が心地よく、秋の匂いが少し混ざっている。


「……篠原くんって、意外と真面目だよね」


「え?」


「さっきの練習のこと。嫌なら断るかと思った」


 玲奈は、どこか遠くを見つめながら言う。


「まあ……確かに恥ずかしいけど」


 俺は少しだけ、夜空を見上げた。


「でも、演劇ってそういうもんだろ? ちゃんとやらなきゃ、観てる人に伝わらないし」


 玲奈は少しだけ目を見開き、それから小さく笑った。


「……うん、そうだね」


 少しの沈黙が流れる。


 ふと、俺は前から気になっていたことを口にした。


「お前さ、前の学校で演劇やってたって言ってたけど……何かあったのか?」


 玲奈は立ち止まった。


 街灯の下、彼女の横顔が少し影になっている。


「……私、文化祭の舞台に立てなかったの」


 静かな声だった。


「練習して、準備して、それなのに……本番の前日、私の役が代えられた」


 俺は言葉を失った。


「なんで……?」


「理由は簡単。『期待されてたほどの演技じゃなかった』って」


 玲奈の声は、いつもより少しだけ低かった。


「私は、舞台袖でその光景を見てるしかなかった」


 初めて見る玲奈の表情だった。


 悔しさを飲み込んだような、でもどこか諦めたような。


「だから、今回は――絶対に最後までやりたい」


 玲奈が、俺を見つめる。


 その瞳は、いつもより少し強い光を宿していた。


「……そっか」


 俺は、それ以上何も言えなかった。


 でも、玲奈のその気持ちは、しっかりと伝わってきた。


「……篠原くん」


「ん?」


「ありがとう」


 玲奈は、ほんの少しだけ笑った。


 夜風に髪が揺れ、俺はなんだか妙にドキッとした。


 この文化祭は、俺にとってもきっと、特別なものになる。


 そんな予感がした――。



 文化祭まであと一週間


 演劇部の練習は、ますます本格的になってきた。


 台詞の読み合わせだけでなく、動きの確認や衣装合わせ、細かい演出の調整まで、放課後の時間があっという間に過ぎていく。


「篠原! そこの動き、もうちょいスムーズに!」


「七瀬、台詞の間の取り方を意識して!」


 藤井の指示が飛ぶ中、俺たちはひたすら演技を磨いていった。



 休憩時間。


「はぁ……さすがに疲れたな」


 俺は体育館の片隅でペットボトルの水を飲んでいた。


 その隣で、玲奈も静かに水を飲んでいる。


「最近、ちゃんと寝てる?」


「……まあ、それなりに」


「目の下、ちょっとクマできてる」


「マジか」


 俺は思わず頬をこする。


「玲奈こそ、疲れてないのか?」


「私は大丈夫」


「ほんとかよ」


 そう言いながら、俺はふと玲奈の横顔を見つめた。


 相変わらず、どこか落ち着いた雰囲気を持っている。


 でも、目の奥には、確かに熱が宿っている。


「……前の学校のこと、まだ気にしてる?」


 玲奈は少しだけ驚いたように俺を見た。


 だけど、すぐに目を伏せて、小さく微笑む。


「うん。でも、もう大丈夫」


「……そっか」


 玲奈は俺の方を見て、静かに言った。


「だって今回は、ちゃんと最後までやれるから」


 その言葉に、俺は何も言えなくなった。


 でも、不思議と胸の奥が温かくなる。



「さて! 今日はついにラストシーンの通し練習をやるぞ!」


 藤井が手を叩くと、部員たちがざわついた。


 そして、俺は一気に緊張した。


 ――ラストシーン。


 浩介と千夏が、再会の証としてキスをするシーン。


「篠原、大丈夫か?」


「……正直、めっちゃ緊張してる」


「そりゃそうだよな。でも演劇ってのは観客に感情を伝えるのが仕事だ。気持ちを込めてやれよ!」


 藤井が肩をバンバン叩く。


「じゃあ、七瀬、準備いいか?」


「……うん」


 玲奈は落ち着いた表情だった。


 俺は内心、焦っていた。


(え、これマジでやるの?)


 俺が心の中でテンパっていると、玲奈が小さく笑った。


「篠原くん、顔赤いよ」


「うっ……」


 俺は思わず目をそらした。


「大丈夫。演技だから」


「……お、おう」


 そして、リハーサル開始。


 演技に集中しながら、俺と玲奈は徐々に距離を詰めていく。


「千夏……」


「浩介……」


 静かに、お互いの顔が近づいていく――。


「カット!!」


 藤井の声が響いた。


 俺は思わずビクッとする。


「まだ距離が遠いな! もうちょい自然に近づけ!」


「えぇ……」


 部員たちがクスクスと笑っている。


 玲奈は特に気にする様子もなく、俺を見て微笑んでいた。


「もう一回、やってみようか」


 俺の心臓がバクバクするのを感じながら、再び演技に入る。


 そして、二回、三回――繰り返すうちに、次第に俺たちは意識しなくなってきた。


 ……いや、それは嘘かもしれない。


 少なくとも、俺はめちゃくちゃ意識していた。



 文化祭前日。


 リハーサルも最終段階に入り、いよいよ本番が迫っていた。


 そんな中――。


「……やばい」


 体育館の一角で、藤井が台本を握りしめながら顔を青ざめていた。


「どうした?」


「照明担当のやつ、インフルエンザでダウンした」


「マジかよ!?」


 照明は、舞台演出において超重要な要素だ。


 急遽、誰かが代わりをやらなければならない。


「誰か、照明の操作できるやついないか!?」


「そんな急に言われても……」


 部員たちが困惑する中、玲奈が静かに口を開いた。


「……私、やろうか?」


「え?」


 全員が玲奈を見つめる。


「前の学校で、少しだけ照明の勉強をしたことがあるから」


 その言葉に、藤井が大きく頷く。


「それなら頼む! でも、七瀬、出番もあるけど大丈夫か?」


「うん。リハーサルが終わったら、照明の位置だけ確認する」


 玲奈は淡々と答えた。


 その姿は、どこまでも冷静だった。


 だけど、俺は心の中で引っかかるものを感じていた。


「……本当に大丈夫か?」


 俺が小さく呟くと、玲奈は俺の方を見て、少しだけ微笑んだ。


「篠原くんは、ちゃんと浩介になって」


「え?」


「私は、ちゃんと千夏になるから」


 玲奈はそう言って、体育館を後にした。


 だけど俺は、彼女の背中を見つめながら――。


 なぜか、不安な気持ちが拭えなかった。



 文化祭本番。


 ついに迎えた文化祭当日。


 学校中が賑やかな雰囲気に包まれ、あちこちの教室で催しが開かれている。


 そして、俺たち演劇部の公演は午後の大トリ。


「うわー、めっちゃ緊張する……!」


 舞台袖で待機しながら、俺は何度も深呼吸した。


「大丈夫?」


 玲奈が、少し笑いながら俺を見つめる。


「……いや、正直、めっちゃ怖い」


「でも、篠原くん、ちゃんと浩介になれるよ」


 玲奈の言葉は、妙に説得力があった。


「……そうだな」


 俺はぎゅっと拳を握りしめた。


 大丈夫、やれる。


「開演まで、あと十分!」


 スタッフの声が響く。


 俺は、ステージの向こうに広がる客席をちらりと覗いた。


 そこには、俺たちの芝居を待つ観客たちが、静かに座っていた。


 そして――幕が上がる。



 本番の舞台。


 物語は、幼い頃の約束から始まる。


「……いつか、二人でまたこの星空を見ようね」


「うん、絶対に」


 子ども時代の浩介と千夏のシーンが演じられ、場面は現代へと移る。


 そして、大人になった二人の再会――。


「お前、本当に千夏なのか?」


「久しぶりだね、浩介」


 玲奈と俺は、自然に演技に入り込んでいた。


 セリフを交わしながら、目の前の観客たちの視線を感じる。


 でも、不思議と緊張はなかった。


 俺はただ、浩介として、玲奈の千夏として、物語を生きていた。



 物語は、クライマックスへと進んでいく。


 再会した二人は、お互いの気持ちを伝え合い、再び一緒に星を見ることを誓う。


「……千夏」


「浩介」


 そして、ラストシーン――。


 静かに、二人は見つめ合い、ゆっくりと距離を縮める。


 観客席が息をのむ気配が伝わってくる。


 舞台の上で、俺たちの顔が近づいていく。


 あと、少し――。


 その瞬間。


 ――バンッ!!


 突如、体育館の照明が一瞬だけ落ちた。

 会場がどよめく。


(えっ!?)


 思わぬハプニングに、俺は動揺した。


 でも――。


 玲奈は、微動だにしなかった。


「浩介……」


 彼女は、舞台の上で、千夏のまま。


 俺も、それに応えるように――。


 そっと、玲奈の額にキスをした。


 直後に照明が戻る。


 客席は静まり返っていた。


 次の瞬間――。


 ――パチパチパチパチ!!!


 拍手が、会場中に響き渡った。



 舞台の幕が降りたあと。


 舞台袖に戻ると、俺は大きく息を吐いた。


「っはぁ……なんとか、終わった……!」

 

 その瞬間、玲奈が俺の方を向いた。


「篠原くん……」


「え?」


 次の瞬間――。


 玲奈は、俺の胸に飛び込んできた。


「えっ、お、おい!?」


 周りの部員たちが驚いて俺たちを見ている。


「ありがとう……!」


 玲奈の声が震えていた。


「……前の学校では、最後までできなかった。でも、今回はちゃんとできた……」


 俺は、ゆっくりと玲奈の背中に手を回した。


「お前が頑張ったからだろ」


 玲奈が顔を上げる。


 その瞳には、涙が光っていた。


「篠原くん……」


 俺は、その瞳をじっと見つめた。


 そして、ゆっくりと――。


「……!」


 玲奈が目を閉じる。


 俺も、それに応えるように顔を近づけ――。


「おいおいおい、いきなりキスシーン延長戦か!?」


「えっ!?」


 藤井の大声で、俺たちは慌てて飛び退いた。


「ま、まあまあ、青春って感じでいいんじゃないか?」


「これはこれで演劇部の伝説になるな」


 部員たちの茶化しに、俺と玲奈は顔を真っ赤にしてその場から逃げるように走り去った。



 文化祭が終わったあと。


 俺たちは、夕暮れの屋上にいた。


「……楽しかったな」


「うん」


 玲奈は、静かに空を見上げる。


「篠原くんがいてくれたから、ちゃんと最後までやれた」


「俺も、お前がいたから頑張れたよ」


 沈黙。


 心地よい風が吹く中、俺たちは並んでフェンスにもたれかかる。


「……なあ、玲奈」


「ん?」


 俺は、ゆっくりと彼女の方を見る。


「お前のこと、もっと知りたい」

 

 玲奈の瞳が、大きく揺れる。


「……私も」


 夕焼けに染まる屋上で、俺たちはそっと手をつないだ。

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