六話 変異ダンジョン
2か月後。
死線武道の春の大会。通称、新人戦が始まった。
一年生だけの部門があるが、俺は中学生無差別の階級で出場した。
市大会。県大会。地方大会。そして全国大会の順番で進んでいく。
俺の目的は全国大会のみ。それ以外は眼中にない。
前世では高校の時に死線武道の大会に出たことがあるが、中学生で出ることはなかった。
申し訳ない気持ちはあるが、俺は地方大会まで他の選手を圧倒していった。
俺は人生二周目かつ、最強のパーティーの一員だった。身体能力が低下していても中学生に負けることはない。
そうして、俺は全国大会の切符を勝ち取った。
本来、俺じゃない人が全国の華々しい舞台に立つはずだった。
人生を狂わされた奴もいるだろう。世界を救えなければ俺の行ったことは正当化できない。
別に正当化する必要はないが、ただでさえ自分ひとりで抱え込むには大きい秘密を抱えている以上は少しでも精神的な負担は減らしたい。
パフォーマンスに影響するような精神状態になってはいけない。少なくとも『嫉妬』を倒すまでは、罪悪感は最小限にしたい。
全国大会の会場は東京郊外にある大きい武道館だ。世界大会すら開くような収容規模を持つ。地図がないと屋内なのに迷子になりそうだ。
「佐月。誰を探しているんだ? もしかして、女か?」
冴先輩は複数の席を占領しながら、俺に聞いて来た。この2か月でそれなりに仲良くなれた。この人は殴り合える人なら誰でもよくて、簡単に仲良くなれる。
前世で俺が気に入られていたのもいくら殴っても折れることがなかったからだろう。
「白髪の中学生を探しているんですが、見てませんか?」
「中学生で白髪ぅ? そんなの。あっ。さっき、トイレで所々白い女がいたぞ」
「どこですか?」
「はぁ? どうして女なんか探してんだ?」
俺が探しているのは『白の珈琲』でタンクをしていた『白盾』笹井光莉という女性だ。
俺は彼女以上の防御に秀でた人間は知らない。光莉が盾を持っていればどんな攻撃も防ぎ、攻撃役や後方の俺たちは安心して戦えた。
俺が知っている光莉は高校一年が終わる頃の髪が完全に真っ白になっていた時期の光莉だ。あいつはストレスで白髪になりやすい体質だ。
中学生で目に見えて白髪になっている人間は相当少ない。先輩が見た人物はほぼ確実に光莉だろう。
「知り合いかもしれないんで」
「……そうか。南館で見たぞ」
「ありがとうございます」
少し遠いが、会いに行こう。
試合はトーナメント式で、最強の俺と光莉ならどんな対戦カードであっても戦うことは知っているが、先に一目見ておきたい。
南館周辺を探していると、外で白髪が目立つ少女が歩いているのを見えた。
前世では短髪だったが、今は肩ぐらいまで髪を伸ばしている。
髪色は白と黒が3:7ぐらいのメッシュだ。髪色こそ特徴的だが、無口そうで落ち着いた雰囲気の可愛らしい少女だ。
見間違えるはずがない。あれは光莉だ。髪の長さや色こそ前世とは違うが、背丈はよく覚えている。あの背中に俺たちは守られていた。
中学の時から身長は変わっていないと言っていたが、本当にそのままだ。
俺は入り組んだ道を通ってすぐに外に出たが、そこに光莉はいなかった。どこかに行ってしまったのだろう。
クソ! 階段なんか使わず飛び降りれば一言ぐらい会話できたかもしれなかったのに!
……ただ、一目見れただけでも今は満足するしかない。
そう考えて俺は戻ろうとした所で、腕を掴まれた。知らない女性だ。
「すいません! 私の子がダンジョンに入っちゃって。さっき、白髪の女の子が助けに入ってくれたんですけど、ダンジョンの周りが赤くなって」
慌てた様子の女性が俺に縋り付くように助けを求めて来た。
武道館に隣接した公園にあるダンジョンの入り口が血溜まりのように変色している。
俺は冒険者だったから、この情報で状況を理解した。
「お母さん。落ち着いて下さい。ダンジョンが変異しています。変異したらダンジョンのレベルが上昇し、さらに内部構造が変わります。おそらくお子さんや白髪の子はダンジョンの入り口から離れた場所にいる可能性が高いです」
「そんな!」
未成年は死んでもダンジョンから出ることができる。だが、死の痛みや恐怖は変わらない。うっかりダンジョンに入った子どもが死んでPTSDを発症したり、その他悪影響が出る。
親としては心配だろう。
それに光莉が行っているなら俺に行かないという選択肢はない。
魔物を倒せなくとも囮ぐらいにはなれる。俺はいくら死んでもいいが、光莉を死なせる訳にはいかない。
「落ち着いて下さい。俺も行きます。お子さんが軽微な怪我をしているかもしれないので、救急車を呼んでおいてください」
ダンジョンは五等級の変異ダンジョン。
ダンジョンは稀に変異という事象によって内部構造の変化と魔物の強化がされる。
等級としては三等級上昇して換算される。
つまり、俺が今から入るダンジョンは実質的に二等級のダンジョンということになる。
二等級はプロでも攻略が難しいレベルだ。過去の俺たちなら楽勝なレベルだが、武器もない上に魔物に攻撃できない俺が攻略できるはずがない。
だが、今回は子どもの救助。ならば、俺でもできるだろう。
緊急事態だったこともあり、深くは考えずに俺はダンジョンに入った。
「オーガか。好都合だ」
魔物は見上げるほど大きな筋肉質な怪物オーガだった。
オーガは色によって力が変わるが、こいつは最底辺の緑。
最底辺とはいえ、三等級ダンジョンのボスになっていることもある魔物だ。普通の冒険者ならかなり嫌がる相手だ。
通路はかなり狭い。オーガの隣は人ひとり分しか通れない。
普通なら通り抜けるのは難しいと判断するだろう。
だが、相手が人型ならば俺の土俵だ。
「来いよ」
拳が振り上げられた。
振り下げや振り薙ぎ。ここからどういう動きをするか。
普通は相手の動作の先が分からず、とりあえず距離を取ったり、防御をしたりと行動を抑制されてしまう。
なら、その先が完全に分かるとしたら?
オーガの腕が振り下ろされた。
「じゃあな」
紙一重で躱し、俺はオーガの横を通り過ぎた。
俺は人型の相手の動きが完全に分かる。ある意味未来予知的なレベルで相手の次の手が分かり、簡単に対処ができる。これが俺の核となる『先読み』の技術だ。力だけのオーガは俺の敵じゃない。
どんどん前に進んでいく。ダンジョンは親切なことに分かれ道はなく一本道だ。遭難者が倒れていないかじっくりと周りを確認する。
どれだけ進んでも人間はいない。
そして、とうとうダンジョンマスターのいる部屋までやって来てしまった。
もしかして死んだか? その可能性が脳裏をよぎったがたった数十分で光莉ほどの実力者が死ぬとは思えない。
ダンジョンマスターの部屋はダンジョンの最深部にあり、一体のダンジョンマスターと呼ばれる強い魔物がいる。一般的にはボスなんて言われる。
ボスを倒すことでダンジョンを攻略でき、魔石を入手できる。
ボスはそのダンジョンの三体分の能力を持ち、他の魔物とは一線を画す知能で冒険者を追い込む。
石の扉を開けると、入り口を防ぐようにオーガが座っていた。
通常のダンジョンなら部屋の奥にいるが変異したダンジョンはいろいろと変なことになる。
ボスがこんな入り口部分にいるだけなのはまだマシなレベルだ。
部屋を見渡すと、今にも泣きそうな子どもを抱きかかえた白髪メッシュの中学生がいた。
「大丈夫。絶対に助けがくる」
間違いない。あいつは光莉だ。子どもを心配させないように励ましている。あいつは人を守りたい。救いたい。と思っているような根からの善人だ。変わっていないようで良かった。
「光莉……いや。まずは現状をどうにかしないとな」
オーガが俺を見て立ち上がった。
「そこの二人! 俺がこいつの気を引く。逃げれる時に逃げてくれ。ただ、通路には魔物がいるから部屋の前で待機してくれ!」
ダンジョンマスターはこの部屋から出られない。この部屋さえ出られれば後は知能の低いオーガを通り抜ければいいだけだ。
「分かった!」
光莉から声が帰って来た。
初対面でこんな元気な声が聞こえると俺としては少し涙が出そうだ。……今はそんな感傷に浸る余裕はないな。
ボスのオーガは俺に向かって棍棒を振り上げた。
少し気になることがあった。
俺からの攻撃は無効化されるが、相手の攻撃は通る。だったら、俺の攻撃と相手の攻撃が重なったらどうなるか。
まず安全を確保するために棍棒が横を通るぐらいの位置に移動した。
そして、棍棒を持つ手を流すように叩いた。
「なるほどな。相手が攻撃中ならある程度は許されるみたいだな」
ウィンドウは出なかった。
防御ならば魔物に触れても問題はないようだ。あのウィンドウがなんのためにあるかは知らないが、そこら辺を詰めたって意味はない。
俺はすぐに光莉たちと入り口から離れるように移動した。
おそらく、オーガは俺のことしか認識していない。なら、俺を殺そうと移動してくるだろう。
予想は的中し、オーガは俺に向かって走って来た。
「早いな」
俺の低い身体能力じゃ、魔物の足元にも及ばない。
すぐに追いつかれて、棍棒が迫って来た。横なぎをしているのは躱されないようにしているのだろう。
ボスは学習能力が高い。一度の失敗から学び、次の行動に出る。
仕方がない。少し頑張るか。
「リミッター解除」
棍棒を受けて吹っ飛ばされ壁に叩きつけられた。
「いてぇな」
防御はしっかりしていた。とはいえ、桁違いの力で攻撃されたら多少の技は気休めしかならない。
普通なら肉塊になっていても不思議じゃないが、骨にヒビすら入っていない。
俺が使ったのはリミッター解除。無意識でセーブされている身体能力を開放する技術だ。死ぬことに慣れた時に使えるようになった技とも呼べないものだ。代償として体力消費の増大や長時間使うとひどい筋肉痛になる。
「光莉は……いい子だ。ちゃんと仕事は果たしてくれたな」
扉の前にいる光莉と目が合った。
俺が攻撃を受けている間に光莉は子どもを連れて逃げていた。
言ったことをしっかりやってくれる所は今も昔も変わらないな。
あとは俺が逃げるだけだ。
躱して逃げる。やることは変わらない。
ただ、俺はダンジョンを舐めていた。
変異しているとはいえ、五等級で得意な人型の魔物。前世の俺からしてみれば雑魚に等しい。
その慢心が俺を油断させた。
棍棒を躱すまでは良かったが、俺は何かに鷲掴みにされた。
「複腕?」
オーガの腹部から巨大な手が生え、俺を掴んでいた。俺は人間の動きの範疇じゃないと行動予測ができない。異形の複腕には対応できない。
掴んでくる指の弱いと思われる関節部を殴った。
『ダンジョンの魔物に攻撃できません』
クソッ! 抵抗すらできないのか。
いつもなら、こうなっても仲間が助けてくれた。だが、今の俺に仲間はいない。
死んだな。すぐにダンジョンに戻って光莉を救出しなければ――
「『拒絶の盾』」
死の覚悟を決めた時にオーガが横に倒れた。
「大丈夫?」
光莉の声が聞こえた。
目の前には転んだオーガと何食わぬ顔で俺に手を差し伸べる光莉がいた。
「ああ。助かった」
「走る」
俺はその手を取ると、圧倒的な力で引っ張られ、出口に辿り着いた。
ダンジョンマスターは扉を叩いているが、見えない壁に阻まれて出られない。なんで、こんなルールが存在するかは分からないが今は好都合だ。
「助かった。ありがとう」
「こっちも」
「後は任せろ。俺が魔物の攻撃を避けるから、その間にその子を連れて通り抜けてくれ」
「分かった」
この最低限の会話も懐かしい。
前世の光莉ならば、この程度のダンジョンはフィジカルのみの体当たりだけでクリアできるが、今はまだそんな力はないはずだ。
だが、道中の魔物は知能が低いから簡単に誘導できる。
帰ろうとしたら、遠くから破裂音というか、巨人が足踏みをするかのような音が聞こえてきた。
この戦闘スタイルは知っている。
「落ち着け。あれは味方だ」
仮面をつけたおじさんが俺たちの前に現れた。
「悪りぃ。遅刻しちまったな」
武器の鉄パイプを持った嘉納先生が助けに来てくれた。