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四二話前編-side 教皇の半月

 光莉が在籍する岩元第五中学校に一人の教育実習生が入った。


「帝東大学から来ました。九重ここのえたまと申します」


 虚ろな目に腰までストレートに伸びた赤い髪。新魔教団のトップ三神聖の一人、《教皇》は普段の修道服ではなくスーツに身を包み、教壇に立っていた。


「すげぇ人が来たな」


 その自己紹介を受け、生徒たちは圧倒されていた。


 隣にいる男性の教員よりも頭一つ背が高く、ミステリアスながらも人離れした整った容姿。そして、特に男子生徒から視線を浴びたのは……


「本当に胸なのか。でかすぎる」


 デリカシーのない男子生徒が小さな呟いた。誰も聞こえないフリをする中、言われた本人である教皇は笑顔のまま該当生徒に視線を向け、そのままゆっくりとその生徒の前に立った。

 視線を向けられた生徒は怒られると思い、身を縮こまらせた。


「ご、ごめんなさ――」


 教皇は座る生徒に視線を合わせるためにかがんだ。


「これが気になりますか?」


 教皇は声色一つ変えずに自身の胸を抱きかかえた。


 その動作を見た生徒は視線が胸に釘付けになっていた。


「は……はい」


 その生徒は正直だった。


「そうですか」


 その言葉を聞いて、教皇は生徒の頭に手を向けた。


「ッ!」


 感情を読み取れない教皇から手を差し出された生徒は恐怖で目を瞑った。

 しかし、その後にやってきたのは痛みではなく優しい撫でだった。


「私は素直な子は好きですよ。その正直さは美徳です」

「あ、ありがとうございます?」


 その生徒は何を褒められたのか分からなかった。しかし、怒られると思っていた中で褒められたことで、少し心を開いていた。


「素直さは美徳である一方で、人の嫌がるかもしれない発言は不徳である場合がほとんどです。特に身体的特徴を揶揄する場合は注意しましょう。分かりましたか?」

「はい」


 当たり前のことではあったが、その生徒にとっては反抗する気も起きなくなるほど受け入れられた。


「みなさん。私のことは『たま先生』や『たまさん』と呼んでください。これから皆さんと一緒に学べることを楽しみにしています」


 クラス内でも教皇の評価は二極化した。


 男子で素行に若干の問題のある男子は教皇に対して高い評価をしていた。それは容姿のお陰もあったが、何よりもその包容力に人気が集まっていた。

 中学生特有の少しのやんちゃを肯定してくれ、優しく諭してくれる姿は反抗期一歩手前の少年たちには好評だった。


 一方で、真面目なグループや女子からは不評だった。


「なにあいつ。帝東から来たって言っていたけど、ただのアバズレじゃない。男に色目を使って何が教育実習生よ」

「きっと、入試もあの体で乗り切ったに違いないわよ」


 階段の踊り場で教皇の悪口を言う言い合う二人の生徒がいた。二人の周りには女子生徒たちが集まっている。全員がここまで極端な考えを持っているわけではなかったが、このクラスはこの二人に逆らうような空気感ではなかった。


「先輩たちに頼んで、あの女を排除しない?」

「いいわね。ここに来たことを後悔させて――」

「なんの話?」


 その会話に割り込む生徒がいた。


 その生徒は周りの生徒とは違い、髪の三割ほどが白髪であり、その表情は取り繕う気もないほどの無表情だった。


 その生徒に声を掛けられた二人はさっきまでの横柄な態度ではなく、明らかに委縮したような下手に出るような態度だった。


「ひ、光莉さん。いつからそこに……あっ。お兄さんは元気?」


 二人が光莉を恐れる理由は一つ。

 光莉の兄たちだった。校内だけではなく周辺の中学や高校を事実的に支配する三兄弟。その妹となると些細なことでも対立を避けようと下手に出ていた。


 彼女たちにとって光莉の存在は避けて通るものであり、関わりを最小限に抑えていた。


「知らない。それで、後悔って何?」

「ははは。冗談だってー! もう、光莉さんには関係話だから。気にしないで」


 二人はアイコンタクトを取りつつ、光莉の通るための道を周りの生徒たちに開けさせた。


 今までの光莉ならば、他人に興味を抱かず、立ち去っていた。何度も似たような状況になったことのある二人は光莉には関係のないことということで避けようとしていた。


「悪いことを企んでいない?」


 いつもなら、そのまま通り過ぎるはずの光莉が食い下がった。


(もしかして、聞かれていたの?)

(大丈夫。証拠もないんだし、光莉でも何もできないわよ)


 アイコンタクトの後、二人は口を開いた。


「ひどい言いぐさだね。証拠はあるの?」

「そーだ。そーだ。私たちを勝手に悪者扱いするのはやめてよ」


 二人の近くにいた生徒が囃し立てる。


「いくら、光莉さんでも言ってもいいことと悪いことがあるよね」

「早くいなくなれ!」


 一部が加熱する中、ほとんどの女子生徒は一歩引いていた。

 なぜなら、光莉の指摘は正しく、先ほどまで悪いことを計画していたという自覚があったからだ。


(やりすぎちゃったけど、ここまでやれば大丈夫でしょ)

(光莉といえど、無実の私たちをお兄さんたちに攻撃させるわけがない)


 光莉は周りの言葉に反論する気もなかった。


「分かった」


 光莉はそれ以上何も言わなかった。

 そのまま手を振り上げた。


(中津くんならこう動く)


 光莉にとっては手を抜いた平手打ち。


 しかし、ろくにスポーツもしていない女子二人にとって、その手打ちは鉄棒に殴られたかのような衝撃だった。


 意識が一瞬飛び、二人は何も考えられなかった。

 反応したのは取り巻きだった。


「ぶ、ぶった?」


 予想打にもしていなかったその光景に女子の一部が悲鳴を上げようとしていた。


「『静粛に』」


 いくつかの悲鳴は音にはならなかった。


「正しい行いというのは難しいものです。特に一人ぼっちでは短慮的な行動から失敗をしてしまいます」


 教皇が喋りながら階段を下りていた。


「さて、『光莉さんを除くみなさんは光莉さんが人を殴った記憶を忘れなさい』。そして、『教室に戻りなさい』」


 生徒たちは何も言わずに教室に戻っていった。


 その光景に一番驚いていたのは唯一命令から外れた光莉だった。


「何が起こったの?」

「内緒です。それにしてもまさか手を出すとは。もしや、彼の影響を強く受けてしまいましたか?」


 超常体験を目の当たりにしていた光莉だったが、内緒という言葉にこれ以上突っ込む気はなかった。


「彼?」

「中津佐月くんのことです」


 その言葉を聞いて光莉は自分の手を見つめた。

 普段の生活で暴力を振るうことを考えたこともなかった自分が、人に手を出した。その実感がいまさらになって、手の感触と共に呼び出された。


「言葉では分かり合えないって思った時には手が出てた。中津くんは関係ない」

「なるほど……これは面白い」


 教皇は屈んで光莉と視線を合わせた。


 虚ろな目と若干口角が上がった顔が光莉を見つめる。


「罪悪感と迷い。そして、憧れ。とても健全ですね」

「健全?」

「ええ。今回の暴力という行為自体は不健全ですが、憧れの存在のようになりたいという気持ちは非常に健全です」

「?」


 光莉には教皇の言っていることが理解できなかった。

 首を傾げる光莉に対して、教皇は諭すように言った。


「光莉さんのやろうとしたことは間違っていません。私のために怒ってくださりありがとうございます。しかし、私はそんな貴方の傷つくようなことはして欲しくないのです。もし、同じようなことがあったら私に相談してください。一緒に解決策を見つけましょう」

「……はい」

「まずは、私から相談しましょうか――」


 ほとんど初対面の相手ということもあり、教皇の真意までは分からなかったが、それでも相談して欲しいという優しさは十分に光莉に伝わっていた。


 ------


 昼休み。


 教皇は人目が着かない校舎裏に来ていた。

 そこに三人の男が取り囲むようにして現れた。


「よう。お前が噂の教育実習生の女だな」

「いい体してやがるぜ」

「こりゃあ。面白いことになりそうだぜ」


 光莉の兄である三人だった。


「希望のある若者……ではありませんね。愚者がなんの用ですか?」

「愚者? 言ってくれるな。今からお前はその愚者に遊ばれるんだぞ」


 教皇は誰の顔も見ていなかった。


「さて、一つだけ情報を与えましょう。私は中津佐月の関係者です」


 中津佐月。その言葉を聞いて三人の体は震え始めた。


「な、なんだと。それは本当なのか?」

「はい。それも濃密な関係です。もし私に何かがあれば、彼が黙ってはないでしょう」


 三人は怯えていたが、三人で視線を合わせ、首を縦に振った。


「な、なにが中津だ。俺たち三人で相手をすれば余裕で勝てる雑魚だ。そんなのでビビる訳ねぇだろ! むしろ、あのクソ野郎の女を滅茶滅茶にできるって考えれば興奮してきたぜ!」


 男たちの視線は性的であり、尻や胸。首筋などそれぞれの趣味に合わせた視線を送っていた。


「純粋な少年から向けられるものならまだしも、邪悪な方から向けられる視線は不快です。そろそろ、頃合いでしょう。光莉さん」


 教皇は左手を上げた。


「何を――」

「残念。兄さんたちは何も反省できていない」


 建物の陰に隠れていた光莉が出てきた。


「ま、待て光莉! これは違——!」


 ドオン!


 光莉は地面を踏み込んだ。たったそれだけで、空気が揺れた。

 兄たちにとってはまるで地面から揺れたようなそれほどの威圧を感じる踏み込みだった。人間のそれではない威力に兄たちは足を震わせて逃げようとしていた。


「中津くんに代わって、お仕置きする」

「やべぇ! 逃げるぞ!」


 兄たちは逃げよう走り出した。


 それは実際には有効な手段だった。光莉は常軌を逸したパワーを持つが、走りは苦手であり、兄たちの足でも十分に逃げ切ることができた。


 しかし、唯一の誤算があった。


「『逃げずに戦いなさい』」


 逃げようとする足が、止まった。


「ここで逃げても家に帰ったらやられるなら、今のうちに教育してやる!」

「三人に勝てるはずがない」

「お前が逆らうから悪いんだぞ」


 三人による暴力が光莉を襲った。


 光莉は腰を落とし、ガードをしていた。


 武道部の全国大会に出るような選手の打撃。一般人なら一撃でも悶絶するような攻撃を光莉は三人に囲まれながら受けていた。


「……い」

「もう、逆らう気はなくなっただろ!」


 攻撃の浴びる中、光莉は両腕のガードを解き、ゆっくりと腕を上げた。 


「弱い!」


 光莉の拳が振り下ろされた。


「「ぷぎゃ」」


 声とも断末魔とも思えないような謎の声が響いた。


 二人の兄の肩に振り下ろされた拳は巨大なハンマーでも振り下ろされた後かようにぐちゃぐちゃに潰れていた。


「「アアアアッッッッーーーー!!!!」」


 二人の絶叫が校舎中に響き渡った。


「お、おい。嘘だろ」


 一人残された長兄が腰を抜かした。


「一番の兄さんだから両肩いこう」

「た、頼む。ちょっとした出来心だったんだ――」


 教皇の能力によって後ずさることすらできない。できるのは抵抗として顔を覆い隠すようにするだけだった。しかし、その防御は肩を潰そうとする相手には無意味だった。


 三人が泣き叫びながら転がる姿を見て、光莉はゴミを見るような眼をしていた。


「私は兄さんたちを見捨てない。それがお母さんとの約束だから」


 血に汚れた手で兄たちを立たせた。


「謝りに行く。それまで治療はダメ」

「ま。待ってくれ。せめて痛み止めだけでも」

「ダメ」


 その言葉に三人は逆らえなかった。


「先生! さっきはすいませんでした!!」

「俺たちが間違っていました!」

「許してください!」


 三人は教皇の前に行き、頭を下げた。頭を下げるときに動かない肩のせいで手がだらんと下がっていた。


「悪い子を許すつもりはありません。少なくともこの学校で迷惑を掛けた人たちに謝罪をして赦しを貰って来てください」

「お願いします。もう肩が痛くて。耐えられないんです」

「私も付き添ってあげます。謝りに行きますよ」

「私も手伝う」


 その後、光莉の兄たちは砕けた肩が訴える痛みから涙を流しながら1~3年生の教室を回っていた。迷惑を掛けた人物全員に謝罪が終わるまでは痛みはおさまらない。


 その姿はまるで市中引き回しだった。


 学校中で恐れられていた三兄弟が無様に泣き謝る姿は、被害者たちの留飲を少しだけ下げることができた。


 昼休み1時間の謝罪行脚によって、謝罪が終わり兄弟たちは保健室で治療を受けた。


「先生。ありがとう」

「むしろこちらの方が感謝をすべきです。私の身を守って下さりありがとうございます。光莉さんは優しいのですね」


 光莉と教皇は授業をサボって武道場に来ていた。

 学校側としても腫物扱いの三兄弟が関わる問題ということもあり、光莉の精神ケアという名目で二人は授業から離れていた。


「優しい?」

「彼らが謝罪をする際に自身も頭を下げていましたよね」

「私にも責任の一端がある」


 光莉は拳を握りしめた。


「お母さんから託された以上は無関係にはなれない。お母さんならきっとそうした」

「立派なお母様なのですね。では、私の個人的な興味ですが、そのお母様と中津さんは似ていますか?」


 教皇にとって気になる対象は佐月であり、そこに関連するような質問を無理やりした。

 佐月の名前を出された光莉は少し戸惑いを見せた。それでも、記憶の中で母親と佐月を重ねた。


「中津くんの方が優しい。お母さんはもっとちょっとしたことで兄さんたちを殴ってた。でも近いと思う」

「そうですか。ならば、中津さんのことをどう思いますか?」

「どう……?」


 光莉は自分の感情を言葉にして整理していた。

 人に話すための言葉にするために少し時間を要した。そして、使われた時間に対して回答は短かった。


「尊敬? 憧れ? 中津くんはすごい人だから」


 回答した本人が納得してない表情をしていた。その表情を見て教皇は口角を僅かに吊り上げた。


「私もほとんど同意見です。彼はすごい人です。なので、私は好きです。人間としても一人の女性としても。光莉さんはどうですか? 彼のことは好きですか?」


 それはある種の誘導だった。


「人として好き。でも、女性として好きかは分からない」

「では少し、恋バナチックな話にしましょうか。もし、彼に告白されたらどうしますか?」

「告白……」


 光莉は脳内でシミュレーションをしようとしていた。そこに教皇が精巧な声真似で介入してきた。


「光莉。この世でお前のことだけを愛している。一生を俺と歩んでくれないか」


 そのまま教皇は光莉を押し倒した。


「……どうでした?」


 光莉の鼓動が少し早くなっていたが、本人はそれに気づかなかった。


「分からない。でも、多分中津くんはそんなことは言わない」

「では、質問を変えましょうか。私は中津くんにこうやって告白されました」


 その時、光莉の心に明らかに不快な感情が流れた。先ほどは自認できなかったが、今回は光莉はその感情を覚えていた。


「そう……なんだ」


 もやもやとした不快な感情から覆いかぶさっている教皇の容姿を観察した。そして、別の感情に無理やりすり替えようとしていた。


「先生みたいな人の方が好きなんだ」


 それは純粋な比較だった。


 背の高さ。胸の大きさ。柔らかい手。一色に整った赤い髪。顔の整い。

 同性の自分から見ても魅力的に見えるその姿とその瞳から反射した対照的な自分の姿。


 比べるのもおこがましいと感じた。


 分からない不快な感覚を『諦め』という分かりやすい感情に変換していた。変換しきれない感情の一部はくやしいという感情に代わり、光莉は静かに拳を握りしめていた。


 他者の目から見ても明らかに落ち込んでいる光莉の姿を見て教皇は満足し、光莉から離れた。


「今のは嘘です。まだ、彼とはそこまでの関係ではありません。まだ片思いの段階です」

「うそ?」

「ええ。光莉さんをからかってしまいましたね。そのことは謝罪します。しかし、これで、貴女の感情は分かりましたね」


 鈍感な光莉でも気付かされてしまった。


「中津くんのことが好き……なんだ」


 自身の感情でありながらも、納得していなかった。しかし、教皇に騙された時に感じた負の感情は間違いなく恋心から生まれていた。その自覚はあった。


「これで、今日から恋のライバルですね」

「ライバル?」

「はい。最終的にはどちらが彼の寵愛を得られるか。正々堂々戦いましょうか」


 光莉は再び教皇の体を見た。


 そこには女性として圧倒的な差を感じた。特にある部位において……

 光莉は自分のそれと教皇のそれを見比べた。絶壁と巨峰。


「胸ですか? 世の中の一般的な男性は胸がある方が好まれますね。ただ、ご安心ください。彼の仲間である川谷徳人……はご存じですね。彼には同性の性癖が分かる《異能》らしきものがあるのですが、それによると、彼は高身長で胸が小さい女性が好みのようです」


 教皇は徳人にすべての罪を着せることにしていた。


「なので、光莉さんに足りないのは身長ですね。お兄さん方を見る限りちゃんと栄養を取っていれば背は伸びるはずです」


 光莉は反応に困っていた。


 そのすれ違いは光莉の求めるものと教皇が求めるものが違うことによることが理由だった。光莉は純粋な恋愛関係を望むのに対して教皇はそれ以上のナニカを求めていた。


「さて、お互い深い所まで知れたところで、相談です。しばらく、光莉さんのお家に泊めてくださいませんか?」

「多分大丈夫。だけど、なんで?」

「実は本来はもっと実家に近い所で教育実習をする予定だったのですが、受け入れてくれる先生が病欠になってしまい。急遽こちらになってしまいましてね。ホテルが少し遠いのです」


 光莉には教育実習生がどのような事情で来るか知らなかった。そのため、教皇の言葉に疑いを持つことがなかった。


「電話でお父さんに相談してみる」


 そうして、教皇は光莉の家で寝泊まりすることとなった。


 教皇の最終目標。その前段階である光莉に恋心を自覚させることを初日で成し遂げた。



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