三三話-side 先輩②
保健室で佐月と別れた後、冴は上機嫌な足取りで武道館に向かっていた。
(全くかわいい奴だぜ。あんなにオレのことが好きなんてな)
胸のつっかえが取れただけではなく、佐月が自分の為に狂気的なまでな殺気を出していたことを知った。それが冴には嬉しかった。
軽い足取りで武道館の扉を開けた。
すると、中から煙草の匂いが外に漏れ出て来た。
「おい。お前ら何やってんだ?」
そこには煙草を吸うガラの悪そうな十数人の集団がいた。
集団は冴を見るなり、ニヤニヤと笑い始めた。
「冴ぇ。聞いたぞ。お前、中学生に負けたテロリストに相当ボコボコにされたんだってなぁ」
「あ? 今は気分がいい。優しく殺してやる」
眉間にシワを寄せつつも、若干の笑顔をしていた冴は中指を立てた。
「入学初日のてめぇに武道部を叩き出されてから、俺たちはずっとこの機会を待ってたんだ。先輩を舐めんなよ」
各々に剣や斧を中心に武器を取り出した。
冴に追い出された元武道部の部員たちの集団だ。
「先輩? お前らはゴミだったろ? いや、犯罪集団って言ってやろうか?」
「もう、てめぇなんか怖くもねぇ!」
一斉に襲い掛かる相手に対して、冴は余裕そうに手を金属に変えた。
「――今、私の事も間接的にバカにしませんでした?」
その声は冴の背中から聞こえていた。
冴の余裕が一瞬で剥がれ、額から汗が零れ落ちた。
それは一瞬の硬直だったが、声の主は一瞬にして冴の前に出ていた。
「あの日から、体の調子が良いのです。まるで、殻から解放されたみたいに」
その正体は笑顔の仮面を付けた男。スマイルズ。
その姿を見て冴は一歩下がろうとする足を気合で半歩に留めた。
「可哀そうに。みなさんは笑顔になる価値すらない」
「なんだ? こいつ!」
一瞬の出来事だった。
スマイルズは先頭にいた男の腕を掴み、乱暴に振り回した。
数人が突然の乱入者によって硬直してしまい、振り回された男に当たり倒れた。
しかし、冒険者たちはすぐに連携を取り振り回される男を受け止め、スマイルズから引きはがした。
「死ね!」
明らかに異常事態だと感じた一人が、半ば混乱交じりにスマイルズの首に斧を振り回した。
首を狙った刃であったが、躊躇いもあり振り下ろし気味となり、首ではなく肩に斧が突き刺さった。
ただの斧ではない。魔道具による攻撃。人間より遥かに硬い魔物にも通用する刃物が骨に達する前に止まった。
「こいつ――」
スマイルズは負傷した方の腕を使い、斧を振り下ろした人間を殴り倒した。
「元々、痛みに疎い性分でしたが、今は何も感じません。なぜでしょうか?」
「知らねえよ。バケモンが!!」
飛び掛かる集団をまるで止まっているかのように感じるほど素早く正確に意識を刈り取る打撃を繰り出した。
戦闘時間はたったの数秒。厳しい試験に合格した冒険科に所属する生徒がほとんどを占める集団をスマイルズは圧倒していた。
「死ね!」
集団を襲っている間に冴は気配を消してスマイルズは油断した一瞬でダイヤに変えた拳でスマイルズの後頭部を殴打した。
手加減はしていない。魔物を殺すときのように容赦のない一撃をスマイルズに食らわせた。
その証拠に鈍器特有の鈍い音が武道館に響いた。
「まるで自分が自分じゃないような感覚なんですよ」
スマイルズは微動だにしなかった。
冴はすぐに距離を取った。
「以前、佐月さんに喉を潰されて、異能は使えなくなりました。笑顔を起点とする私の異能は崩壊したはずなのに。なんだか気分がいい」
勝てない。冴がそう判断するのに時間は掛からなかった。
「なんだ? そんなに不安定なら精神病院にでも行けよ。まあ、その前にお前がいる場所は牢屋だがな」
「ああ。そうだ。冴さんは私の顔を知っていますか?」
スマイルズは仮面を外し顔を見せた。そこには一見もの優しそうな青年に見える男の顔があった。
人覚えの悪い冴であったが、確実に知らないと断言できる人物だった。
「知らねえな」
「そうですか。ではこちらは?」
男は目の前で顔に手を当ててから顔を見せた。そこには先ほどとは違う初老に差し掛かった人物の顔があった。
「てめぇは栄光新聞のおっさん」
「この顔は佐古と言います。本物はどこかの海の底にいますがね」
「正体を明かしたってことは、オレを殺すつもりか?」
冴は警戒を強め、急所となる部位をダイヤに変化させた。
「いえ。そんな無粋なことはしませんよ。ただ、自己開示をしただけです。本来ならこんな早急に事を進めるつもりはありませんでした」
肩に刺さっていた斧を抜き取り、冴に向けた。
「お聞きします。なぜ、あなたは佐月さんと触れ合って笑顔になったのですか?」
スマイルズにとっては取材のマイク気分であったが、冴にとっては脅し以外の意味は持たなかった。
「あいつに手を出すなら、死んでもお前も地獄に落としてやる!」
「勘違いとはいえ、感動的だ」
「クソ!」
勝てないと分かっていながらも飛び掛かった。が、しかし、首を掴まれてしまった。
「少し、眠って貰いますか」
「待って! スマちゃん。ストップ!」
地面に叩き落そうとした瞬間。待ったが掛かった。
武道館に女子制服を来た笑顔で自信に溢れる少女が入って来た。
「音楽屋さん。あなたに止められるとでも?」
「あれれ? もしかして、ボクの音楽を舐めているの?」
音楽屋と呼ばれた少女は態度を変えることなくスマイルズを見つめていた。
「……相性が悪いですね」
冴の首を掴む手を離した。
「勘違いしないでね。ボクだってスマちゃんのやりたいようにしてあげたいんだよ」
「ええ。分かっています。すべて教皇サマのご指示でしょう?」
少女は何も答えなかったが、スマイルズはそれを肯定と受け取った。
「好き勝手やりやがって、てめぇらはどこの誰だ!」
体が動かない冴は二人に対して声を張り上げた。
「おやおやスマちゃん! 自己紹介を忘れていましたか!? 表現者としてそれはいけないよ! ほら早くやって」
元気にまくしたてる少女に対してスマイルズは完全に興を削がれていた。
「……新魔教団幹部。《道化》のスマイルズと申します」
「同じく、《音楽屋》の音間志岐音。最強夢きゃわな音楽をお届けする。メルヘン音楽屋のJC(女子中学生)だよ!」
お辞儀をするスマイルズと対照的にシキネはノリノリで独特なポーズを取った。
「シキちゃんでもシキネちゃんでも好きな方で呼んでねー。音楽屋はお仕事ネームだからダメだよ」
「死にたいみてぇだな」
完全に油断しているシキネの態度に冴は勝機を見出していた。
(効果があるかは分からねぇが、あの女は弱い。人質にしてやる)
倒れた状況から全身のバネを圧縮し、開放した。その推進力は常人なら対応不可能なレベルに達していた。
これまでの動作からシキネを素人と断定した冴は気絶させる程度のタックルを繰り出した。
「――音楽は夢きゃわがイチバンだよね」
触れるまでの最後の一歩を踏み込んだ冴だったが、足が止まった。
道場の畳がまるで毛布のような柔らかさに感じられた。その柔らかさが地中奥深くまで通じており、さながら底なし沼のように冴の足を沈めた。
「音楽は感情で、感情は動きに影響するんだよ。だからあなたは――」
「うるせぇ!」
沈む足を無視し、体幹を使い冴は拳を前に出した。
倒れ込むように放たれた打撃は威力は大幅に削られていたが、シキネの腹部を捉えた。
「痛ったいー。ボクは可愛いお腹はドンドン音のなるうるさい楽器……えっと、タイコ? じゃないんだぞ!」
殴られた腹部を抑え、涙ながらにシキネは叫んだ。
「もういい。コンサートだ。コンクールだ。みんな吹っ飛ばしてやる!」
追撃をしようとする冴の拳に対してシキネは手に出現した指揮棒を振り上げた。
「お互いにここまでにしようよ。ね」
「の、徳人さま!?」
徳人が二人の間に入り、冴の拳を手で受け止め、シキネの振り上げる手を止めた。
「おい。優男。そいつらを庇うってことは敵でいいんだな」
「勘弁してよ。僕は君や周りを守ったんだよ」
「……分かった。今はその言い分を信じてやる」
シキネの持つ指揮棒から異質なナニかを感じ取った冴は拳を引いた。
「あ、えっとー。徳人さま。ボクは何も知らなくてー」
「彼が暴れたんでしょ? 仕方ないからこっそり帰りなよ」
「分かりました。また音楽を一緒に作りましょうね!」
シキネは外に出て行った。
それに合わせるようにスマイルズも出ようとした。
「待ちやがれ!!」
冴が怒気を孕んだ声で静止を掛けた。
「はい? まだ噛みつきますか?」
圧倒的な戦闘力の差を見せつけておきながらも懲りずに向かってこようとする冴をスマイルズはある種の興味を持って振り返った。
「佐月に手を出したら、ぜってぇに殺す!」
スマイルズはその言葉を聞いて、嬉しそうに口角を吊り上げた。
「アハハハハ!!」
嘲笑か。喜びか。そのどちらかすら分からない笑いが武道館に響き渡った。
その説明をスマイルズは一切しなかった。
スマイルズは大声で笑った後、何も言わずに武道館を去った。
「おい、優男」
冴は徳人と戦った時に徳人の顔を覚えていた。
「なに?」
「てめぇらの目的はなんだ?」
その質問に徳人は質問に対して興味なさそうに背を向けた。
「さあ?」
説明する気もない回答だったが、それが徳人ができる最大限の返答だった。
最早、徳人ですらもスマイルズを含む新魔教団の幹部が何をしたいのか分からなかった。合理的とはかけ離れた思考と言動を予測することすら面倒であった。
自分で分からないことを他人に説明できるはずがなかった。しかし、その解答だけではいささか不誠実に感じた徳人は自分自身は冴と敵対するつもりはないという意思だけは伝えようとした。
「僕個人としてはリーダー。中津佐月が好きで、彼が好きな子を応援している。だからさ、君のことなんてどうでもいい。ただ、君が死ぬとリーダーが悲しむから助けてあげただけだよ」
気絶した集団でただ一人、冴だけが怒りと悔しさで拳を握っていた。
――――――
この事件は冴と元武道部員たちの間で起こった喧嘩で処理された。
全員が面倒な事情聴取を避けるために証言を統一していた。
その後、冴は信用している嘉納にだけ本当のことを話した。その報告で生徒指導室に笑い声が響いた。
「あはは。面倒なのに目を付けられたな。ただ、佐古さんがその仮面野郎の隠れ蓑にされていたのか。こりゃ面白い。あの人、二年前ぐらいから性格が良くなったって有名だったんだ」
生徒に寄り添う気などない軽口が飛んできた。
「いろんな所の武道部の違法行為を掴んで脅迫ってくるような人でさ。俺も数百万やられたよ。それがあの狂人に変わったらピタリと止んだって。面白い成り代わりだな。ハハハハ!」
冴の前でスマイルズを擁護するようなことを言う嘉納に対し、冴は特に反応していなかった。ただ、少しの沈黙の後の出て来るはずの言葉を待っていた。
「……お前の事だ。仕返ししたいんだろ? やってみろ。俺がサポートしてやる」
「っす」
冴は頭を下げた後に部屋から出て行った。
「最近の若者は血の気が多いな。なあ、刀夜」
一人の部屋で嘉納の呟きが響いた。




