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三一話-side 先輩

 死線武道アンダー18初戦後。

 徳人に負けた芽妻冴は医務室に運び込まれていた。


 重体の体には点滴が繋がれ、冴は頭を腕で隠していた。


「あー。クソ。ムカつく」

(クソ。この感じ鎮静剤を混ぜられてんな)


 痛みは感じていなかったが、体が動かず口だけが動く状態だった。

 絶対安静であることから鎮静剤を打たれており、常人なら目を開けることすら困難であるのにも関わらずこの状態である。


「おい! 佐月! いねぇのか!」


 突然、獣のように叫び始めベッドを揺らし始めた。

 それは苛立ちからくる叫びであり、呼び出している相手が来ることは期待していなかった。


 医務室の中でも冴がいる一角は医療関係者を含めて誰も寄り付かなかった。


 揺れた衝撃によって点滴が落ちてきた。

 それは冴の狙い通りの展開だった。


 意地で手を動かし、回復薬である点滴を飲み干した。


「かー不味いな」


 濡れた口元を拭う。


 現代の回復薬は自己治癒能力を向上させ欠損でもしない限り、あらゆる傷を高速で治す。

 トレーニングにも使われるほど浸透している薬剤であったが、より効果の高い点滴には明確なリスクがあった。


「ごふぉ」


 冴は吐血した。


 その点滴は適量の調整が必須の毒に近いものであった。

 過剰な回復を受け入れられない内臓が過剰に生成された細胞と血を吐き出させた。


 吐瀉特有の音を聞き、異変に気付いた医者がカーテンを開けた。


「なっ。これは!?」


 そこには血まみれのベッドと元気そうに立ち上がる患者がいた。


「いちいち騒ぐんじゃねえ。弁償は下徳のかのっちに頼むぜ」

「え。あっ……おい! まって」


 医者が何かを言い出す前に冴は医務室から出て行った。


「佐月のヤローどこに行きやがった。オレの後輩なら見舞いぐらいは……」


 冴は愚痴のように言いかけて、何かを思い出し誰もいないのにも関わらず視線を逸らした。


「チッ。あんな仕打ちする奴に会いたくもねぇか。関係ねぇ。ボコボコにしてやる」


 会場に佐月が残っていると思い、歩いて会場に向かっていた。

 体が治ったが鎮静剤入りの薬を飲んだことによって怠さを抱えており、ゆっくり歩いていた。


「おやぁ。これは芽妻冴選手ではないですか。医務室には放送が届いていなかったみたいですね」


 通り過ぎた放送室から怪しげな男が声を掛けてきた。

 それは口が張り裂けるほどの笑顔が描かれた仮面をつけた男。スマイルズだった。


「映画のコスプレか? 知らねえが、相当チープな仮装だな」


 スマイルズのことを知らない冴もあまりに変な格好をした男に対して警戒をしていた。


「自己紹介をしましょう。私はスマイルズ。みなさんを笑顔にするためにやってきました。俗にいうテロリストで――」

「うっせえな」


 スマイルズの顔面を殴りぬき、大きく吹っ飛ばした。


 冴は話を聞いてはいなかった。

 ただ怪しくて殴っても問題がなさそうな奴。動機はそれだけだった。


 殴ったときの違和感から冴は追撃を止めた。


「ははは! 相変わらず荒々しいですねぇ。ただ、異能は使わないのですか?」

「てめぇが銃やらなんやらを使えばこっちも使ってやるよ」

「異能を使って裁判沙汰になるのが怖いのですか? 折角授かった力なのにもったいない」


 冴は異能《全鉱物オールマイン》を使って手を鉄に変化させた。


「どうでもいいけどよ。お前のその動きは佐月の野郎のマネをしているつもりか?」

「一撃でバレましたか。そうですよ。彼には地方大会から注目していましてね。徳人さんほどではありませんが、模倣は得意分野でして」


 拳を鉄に変換した冴はハンマーを振り下ろすようにスマイルズを殴った。

 スマイルズは地面に叩きつけられた。


「……羨ましい。その異能は強いのに”脅威性”がない。私みたいな異端な異能とは違い隔離もされず自由に暮らせる」


 スマイルズは冴の足を掴んだ。それは力の入っていない掴みだった。

 しかし、異能の存在を開示され、警戒を強めていた冴は攻撃ではなく回避を選んだ。


 後ろに跳ぶ。


 それはスマイルズの狙い通りだった。


 前進しつつ立ち上がったスマイルズはその勢いを使って冴の顎を殴ろうとしていた。

 それに対し、冴は打撃をされる可能性のある部位をダイヤに置き換えた。


「わたしが、誰の試合を何度見たと思っているんですか?」


 冴の行動はすべてスマイルズの手の内だった。


 それは打撃ではなく、掴みであり、その後に続くのは叩き潰すような投げだった。


「いくら頭を硬くしても衝撃は脳に伝わり、あなたは気絶する」


 投げる直前に異能による洗脳のために恐怖を煽った。


 後頭部直撃の投げが決まった。


「笑顔になればこんな痛いことにはならずに済んだのに。全く変な人もいたものです」


 スマイルズは勝ちを確信し、放送室に戻ろうとした。


「……誰が誰の投げを食らい続けてきたと思っているんだ?」


 冴がスマイルズの足を掴んだ。


「まさか。脳に異能は使えないハズでは!?」

「あんなヌルい投げなんかで気絶できるかよ」


 掴む手を鉄に変えた。それは足枷のようにスマイルズを拘束していた。


「打撃や絞めではワタシは土俵に上がれていない。それは認めましょう。この状態から投げるのは不可能ですね」

「じゃあ、黙って死ね」

「実は、この会場に爆弾を仕掛けました」


 スマイルズは爆弾のスイッチを手に持った。


(爆発すれば、あいつが……)


 冴は会場内にいるはずの佐月の顔を思い出した。

 しかし、すぐにスマイルズの足を引き地面に叩きつけた。


「本当に押しますよ! あなたの大事な佐月くんがどうなってもいいのですか!?」


 スマイルズはスイッチを見せつけて脅すことしかできなかった。


「あいつは死なねぇよ。それに、爆弾はあいつがどうにかする」

「なんの根拠があって――」

「知らねぇ!」


 それは佐月に対する全幅の信頼だったが、冴自身は何も分かっていなかった。

 ただ、その勘としか言えないものを十分信じることができる人間だった。


 マウントからの攻撃。威力を流すことができない万全の状態。


「これで終わりだ」


 異能によって硬化された拳を振り上げた。


「《止まりなさい》」


 たった一言で冴の動きがピタリと止まった。

 それは口を開けることはおろかまばたききすらもできず、時が止まったかのような状態だった。


「水を差すようで申し訳ありません」

「教皇様。なぜ、貴女がここに?」


 虚構を眺める瞳をした赤髪の女性が冴とスマイルズの隣に立っていた。


「徳人くんの計画にしては粗いですね。もしかして、あなたの独断ですか?」

「だって! 笑顔のステージは目の前にあるのに。お預けなんて許せないじゃないですか!」

「そうですか」


 教皇は何やら考え込む素振りを見せた。


「……嫉妬が出ていないだけ良しとしましょう。所で、次の戦闘はどうするつもりだったのですか?」


 鉄パイプを背負った男と巨大な斧を背負った女性が表れた。


「テロリストども。何をしている」

「これは『黒龍』の《破滅鬼はめつき》嘉納さんに《豪断ごうだん》長尾さん。お二人を待っていました」


 スマイルズは動かない冴を床に転がした。


「彼らにはとっておきのお話があるのですよ。彼らのリーダーの榎本さんから貰ったネタが……」

「『彼に恐怖し、従いなさい』」


 武器を構えていた二人の腕が垂れ下がり、動きを止めた。

 スマイルズが何かを言い出す前に教皇が終わらせた。


「これで終わりです。()()の登場まで体を休めておくことを勧めます」

「あ、ありがたき事ことの上ないです」


 スマイルズは頭を下げながらも、仮面の奥で教皇を睨みつけていた。


「しかし、冴さんだけはわたしに任せてくださいませんか? 必ず笑顔にしてみせます」

「これですか? 彼女に興味はないのでご自由に。では」


 教皇が去ると共に冴が動き始めた。

 すべてを聞いていた冴であったが、情報を切り捨ててスマイルズに飛び掛かった。


「何をしやがった――」

「彼女を拘束しなさい」


 一瞬にして先生たちが冴の両肩を抑えた。


「なっ――」


 動揺する冴に対して、スマイルズは嘉納の魔道具の鉄パイプを使って容赦なく殴った。


「安心してください。あなたが笑顔になるまで殴るだけです」


 恐怖が起点となるスマイルズの洗脳の試みは数十分に渡って行われた。


 顔は識別できなくなるまで流血および変形し、肩や胸骨を始めに完全に折れ曲がっていた。

 死なないように調整していたとはいえ、適切な治療を施さなければ数時間で死ぬような状態。


 常人なら、鉄パイプすらもトラウマになりそうな状態の中、冴はスマイルズを睨みつけた。


「はあはあ。これだけやっても心は折れませんか。いったい何があなたをそこまで勇敢にするのか……わたしは間違っていないはず……ひとまずお預けです」


 スマイルズには別の任務があった。それを達成することを優先し、冴の洗脳を諦めた。

 死に体の冴の体を暗い放送室に押し込めた。


 全身は苦痛を訴え、出血による寒さや喪失感は死を連想させた。

 ダンジョンで死んだ経験があるが、それでも冴にとって、死は恐怖を与えるのに十分な現象だった。


 しかし、闇に覆われたのは一瞬だった。すぐに放送室から引き釣り出された。


 そこにいたのはスマイルズと対峙する佐月だった。


「に、にげろ」


 潰れかけた喉は強い意志によってかろうじて音を作った。


 試合のルールならば、自分ですら佐月に勝つのは容易ではないが、スマイルズを相手にしたルール無用の殺し合い。

 さらに、教皇と言われていた女が再び現れる可能性もある。


 すべての情報を伝えるにはその喉は力不足だった。


 しかし、冴は佐月の異変に気付いた。


 それは明確な殺気だった。自身に向けられたものではない。スマイルズに向けられた殺気を感じ取っていた。


 その殺気を浴びて、冴は先ほどの暗闇以上の怖さを感じた。殺気そのものに恐怖した訳ではないと本人も分かっていたが、なぜ怖くなったのかは分からなかった。


 戦闘は佐月が勝った。


 光莉と徳人が重傷を負った佐月を救護していた。

 その時、冴の耳にある人物の声が聞こえた。


「あ。あの。そこの。回収してもいい?」


 言葉を発した死神の視線がたまたま冴に向いていた。


(なんだこれは?)


 なぜか自分の姿が見えたことに冴の思考は止まっていた。


 そして、それが首を切り下ろされたことによって見える景色だと気付いた。

 首だけではない。全身を分割されバラバラにされている。


 ――その事実はなかった。あくまで幻覚。


 現実の時間で一秒にも満たないその状態は冴の脳に死を誤認させた。

 その瞬間、意識が強制的に落とされた。


 徳人。スマイルズ(と教皇)。そして死神。冴は日に三度の敗北を喫した。


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