二七話 距離感
「さっくん。またねー」
学校に着くとテラは転校関係のあれこれで教室ではなく職員室に行った。
教室に入ると、見覚えのある奴が俺の机に座っていた。椅子じゃない机にだ。
錦はここまで行儀は悪くない。
そいつの態度と柄の悪さから俺の席周辺のクラスメイトは意図的に離れていた。
こいつは俺が武道部に入部してから一番最初に殴った奴だ。
「夜崎か? なんの用だ?」
俺に呼び掛けられた男は眉間にしわを寄せ、今にも怒ってますと言いたげな表情だった。
「お前のせいで先輩たちがムショ行きになった」
怒りを抑えて、冷静そうな口調だった。
こいつに優しく接する必要はない。
「先輩たち? ああ、あの集団で襲ってきたダサい奴らのことか?」
俺と夜崎が関係していることで刑務所と言えば、武道部の先輩たちのことしかない。
わざと煽るように答えた。
「バカにするな!!」
案の定、表情通りのキレた口調になった。
だが、更に煽る。
「おいおい。急に怒鳴るなよ。そんなに怒ったら肌に悪いぞ。笑ってみろよ」
笑ってみろよと言うのはスマイルズの煽り方だ。
あいつは死んでいるし、前世の死ぬ直前で一番うざかったスマイルズへの侮辱の意味を込めて夜崎にぶつけた。
当然、あいつはここまで煽って冷静でいられるような奴じゃない。
「調子に乗りやがって!」
胸倉を掴まれた。
「もう忘れたのか?」
俺は余裕の笑みと共に拳を見せつけた。
「くっ」
夜崎は俺に殴られたことを思い出したのか、手を離して距離を取った。
「今は勘弁してやる。絶対に先輩たちの仇を取ってやる」
夜崎が教室から出て行った。
あいつの襲撃なんてどうでもいい茶番だったが、少し気になることがある。
なぜ、今なんだ?
あいつのような思考があまりできないような奴が、タイミングを計って俺を襲うとは考えにくい。
一応、口実では先輩たちが有罪になったというイベントを言っていたが、俺がボコボコにした次の日ぐらいに来るぐらいが関の山だと思っていた。
一昨日ぐらいまではそれでも良かったが、今は教皇と対立している。
既に何かしらの術中に嵌っている可能性はある。
嫌なことが起こりそうな予感がする。
「あいつに目を付けられるなんて、災難だな」
どこかに隠れていた錦が話しかけて来た。
「別に。あんな雑魚が何人いようとも俺には関係ない」
今、俺は教皇と死神というケタ違いの化け物たちに狙われている。
中学生の喧嘩自慢なんて面倒とすら思わない。
ただ、教皇の仕込みだとしたら路傍の石ですら注意しないといけない。それだけがただ怖い。
「中学チャンピオン様だもんな。そりゃあ、地元の悪ガキ程度は楽勝か」
こういう時、肩書は役に立つ。
だが、肩書はメリットだけじゃなくてデメリットも多く抱える。
さっきのやり取りを録画しようと何人かがスマホを取り出していた。夜崎が早く引いたから撮影まではされていないだろうが、撮られていたら少し面倒だった。
俺の煽りは俺と夜崎にしか伝わらないし、第三者の目からすれば夜崎が暴力を振るったぐらいにしかならない。だが、俺が被害者だとしても、世間の目はひねくれている場合がある。
前世では嫌というほど世間の悪意に晒された。
少し行動に気をつけなければな。
「あの手の奴は無関係な人間は巻き込まないだろうが、もし、何かあったら言ってくれ」
「お前も俺の事を忘れんなよ。あの時みたいなことがあったら泣くからぞ」
「分かった」
教皇みたいになやり方で俺じゃなくて大切な人を狙われる可能性はゼロではない。
分かりやすい所だと、家族や錦が狙われる場合がある。
面倒なことにならなければいいが……
――――――
「さっくんお待たせー!」
ホームルームが始まるギリギリにテラが教室に入って来た。
「ねえねえ。聞いてー。さっき、大きい人がね。話しかけてきたんだ!」
「そうか」
テラの身長からすれば平均的な女子でも大きい人判定されるだろう。
これだけでは男女も特定できない。
「でね。『俺の女になれ』なんて言ってきてね。気持ち悪いから逃げてきちゃった」
「変な奴もいるもんだな」
錦も言っていたが、テラの容姿はかなりいい。
クラスでは俺にべったりくっついているから誰も話しかけられていないが、男女関係なくテラと話したそうに視線を向けている。
ただ、それでも初対面の相手に『俺の女になれ』と言えるような頭のネジが外れている人はあまり見たことがない。
「私と一緒にいて、正気を保てる人なんてさっくんしかいないもん」
「正気? それは、どういうことだ?」
テラは急に不穏なことを言い始めた。
「言ってなかったかな? あの外套を被っていないときは私の声は他人の正気を削るんだよ。ほら、私って生命にとって恐怖と同等だから」
会話をするだけで正気を削る?
俺は影響を受けていない。
「安心して、さっくんなら大丈夫。みんな本能的に私を恐れちゃうけど、さっくんは私のことが怖くないよね」
前世では死神はずっと黒いフードで顔を隠していた。
おそらくあの服も魔道具の一種だろうが、《死神》の何かを隠す能力があるみたいだな。
テラが他人に対しておどけた対応をしているのは、実は人見知りとかじゃなくてもっと別の理由があるのかもしれない。
《死神》の能力。強いだけじゃなくて、いろいろと複雑な事情を抱えていそうだ。
少し詳しく聞いてみるか……
「ホームルームを始めるぞー!」
俺が踏み込む前に担任が入って来た。
「あっ。忘れる前に言っておかないとな。中津。武道部関係の話でちょっと職員室に行ってくれるか?」
「はい」
部活関係で呼び出しを受けた。
なんだろうか?
疑問に思っていると錦が俺の肩を叩いた。
「きっと表彰だぜ。あとで連絡事項は教えてやるから行って来いよ」
「そうだな。行ってくる」
言われてみればそうだ。俺は一応全国大会で優勝している。
光莉のために優勝しただけだから、別に俺が表彰を受けるとかはあまり考えていなかった。
人気の部活でトップになったのだから、表彰ぐらいはされるだろう。
ということで、俺は職員室に向かった。
「来たな」
職員室の前に顧問の先生が立っていた。背丈が高く廊下でもその存在は目立っていた。
「何があったんですか?」
念のため要件を聞いておく。
俺以外は呼び出されていないみたいだし、多分、錦の予想は合っているはずだ。
「俺は武道部の顧問を降りる」
「……そうですか」
ん? 予想と違ったな。
この人は嘉納先生と繋げてくれたから恩がある。顧問を辞めるのはすこし寂しくはある。
だが、俺だけを呼び出して言うことだろうか?
「俺が面倒を見ていた生徒があんな事になった以上は責任を取らないといけない。だが、お前のお陰であいつらはまだ取返しが着く」
先輩たちは銃刀法違反と発射罪。それに脅迫などいろいろと加算されているだろうが、俺が怪我を負わなかったこともあり、それなりの刑で済んでいるはずだ。
「新しい顧問にお前を紹介したい」
「紹介? ですか?」
謝罪やら何かしらのお礼が貰えそうな流れだったのに、新しい顧問に紹介したいというよく意味の分からないことを言われた。
「なんで、この中学校に来てくれたかは分からない。だが、あの人は大物だ」
大物? 前世の俺も世間的に見れば大物だったから、相手がどれだけすごい人でもあまり反応できないかもしれない。
そうだな。正体の分からない三神聖が現れたら俺は自然に驚けるだろう。
「来てください。この生徒が俺が勧める人間です」
職員室から一人の男が出て来た。
その男は和服に着ており、周りから浮いていた。そして、だらしないおじさんっぽい雰囲気で例えるなら浪人という言葉が似合いそうな奴だった。
確かに、こいつは世間的には大物だ。
俺たち『白の珈琲』が台頭するまで、歴代最強と言われた冒険者パーティー『黒龍』。
あの嘉納先生や長尾先生といったトップ冒険者が揃っていた。旧世代の最強パーティー。
「彼は『黒龍』のリーダー。『処刑人』。榎本刀夜さんだ」
まさか、こんな所で会えるとはな。
こいつは殺さないといけない。
「なんでこんな所にいやがるッ!」
「待て! 佐月!」
周りの目を気にすることなく俺は飛び掛かった。
「最近の子というのはどうも先に手が出るらしい」
簡単に躱された。
クソッ。身体能力の差が顕著に出た。
だが、俺はこいつの動きが分かる。
捨て身で体を押し当てた。
「拒絶の盾」
俺は和服の男を吹っ飛ばした。
壁に叩きつけられた男の頭に向かって渾身の一撃を加えようとした。
「待て!」
あと一歩の所で顧問に羽交い絞めにされた。
「離せ! こいつは殺す!」
力で勝てない状態で掴まれれば抵抗しても無駄だ。それが分かっていても俺は殺す為に動いていた。
「てめぇが松枝を殺したことは忘れてねぇぞ!」
榎本刀夜。
こいつは教皇との戦闘中に『白の珈琲』の最後のメンバー榎本松枝を殺したクソ野郎だ。




