十六話 VS新魔教団 幹部 スマイルズ
炎上している武道館の中に入ると阿鼻叫喚だった。
『さあ。笑って笑って。どんなに辛い現実でも苦しい現状も笑えば解決しますよ。さあ、みなさん。笑いましょう。笑えば……』
館内放送でずっと洗脳音波を流し続けている。おそらく録音をリピートし続けているのだろう。
大勢いた観客のうち一割ぐらいが『スマイルズ』の洗脳を受け、他の観客たちを攻撃して回っていた。洗脳された人間は常軌を逸するほど口角を上げており一目で分かる。
スマイルズの異能は録音であっても効果を発揮する所が厄介な所だ。あいつは新魔教団の中でも優先的に殺さないといけない相手だ。
「俺は元凶を倒す。二人は光莉の家族を助けにいけ」
「行くよ。笹井ちゃん」
光莉は群衆の中に入って行った。あの二人なら意識のない一般人の攻撃は問題ない。
俺はスマイルズのいると思われる放送室に向かった。
大会運営の職員たちは観客の対応に追われており、原因がいるであろう放送室に向かっている人間はいない。
賢明な判断だ。スマイルズの相手は人数が少ない方がやりやすい。
『大変悲しいですが、この幕も終幕に近づいて参りました。最後にお披露目いたしますは、笑顔になれる爆弾100連発です。みなさまが笑顔になれるようにたくさんご用意しましたのでお楽しみくださいね』
爆破? 一体何が目的だ?
いや、あの狂人の目的なんて考える価値もない。
放送室に辿り着いた。
「おや。困りましたねぇ。ここは舞台裏ですよ」
放送室の前には道化らしき仮面を被った男がいた。その名前にふさわしくするためか、口が裂けるぐらい口角が上がるように口を追加で塗っている。気持ちの悪い仮面だ。
「今すぐ爆弾を止めろ」
「残念ながら、爆弾は止められませんねえ。みなさまを笑顔にするためにはご理解頂けない数人の犠牲は仕方がありません」
「そうか。じゃあ、お前を殺してでも止めてやる」
対話をするつもりはない。
優先事項はスマイルズの殺害。どのみちこいつは殺さなければならない。
仲間たち以外の人質は俺にとっては価値はない。
徳人の頭脳と光莉のフィジカルがあれば爆破によって落ちて来る瓦礫程度で死ぬはずはない。
なら、この場での最大の目的はスマイルズを殺すことだ。
――仮に会場が爆破され、多くの犠牲が出ることになったとしても。
「ほら、笑って下さい。笑えばこちらの方々のように素晴らしい状態になれるんですよ」
放送室から男女が現れた。
鉄パイプを持った男と巨大な斧を持った女性。
「先生たち……」
「あなたよりもお強い方々ですら、私の理念を理解してくださいました! ほら、あなたも我々の一員となりましょう。ほら、笑いましょう。笑えば苦しみから解放されますよ。ほら笑って」
先生たちは魔物を倒す能力はあるが、対人の経験は浅い。特に精神汚染系の異能持ちであるスマイルズが相手となると、肉弾特化の先生たちでは相手が悪い。
どうやったかは知らないが、あいつの術中に嵌ってしまったみたいだな。
「まだ笑って下さいませんか。さては、笑うことが怖いのですか? ご安心ください。笑わないのこちらの女性のようになるだけですから」
スマイルズが手を叩くと、長尾先生が血まみれの女性を引きずって廊下に雑に投げた。
顔は判別不可能なほどになっていたが、俺はあれが冴先輩だと分かった。
「ふー。ふー」
息はしている。生きてはいる。
先生たちクラスの人間が洗脳された状態であんな器用な手加減はできない。おそらく、スマイルズ自体の肉弾戦能力で冴先輩は無力化されてしまったのだろう。
「に、にげろ」
先輩が俺を見て最後の力を振り絞って声を出してくれた。
申し訳ないが、俺に逃げるという選択肢はない。
だが、冴先輩と戦ってスマイルズも無傷じゃない。必死に抑えているが足の震えが止まっていない。
消耗している証拠に長い話や先生たちという切り札を出してまで時間稼ぎをしている。
前世で戦った経験だが、あいつは自身の異能よりも肉体を信じている。勝てそうだと思った相手や戦いを挑んできた相手を自らの手で絶望に叩き落とすことを快感としていた。もし、戦闘可能な状態なら俺を直接殴っていたはずだ。
「笑ってください。残念なことにこの方は最後まで笑わなかったので、こうなってしまいました。今も痛みに苦しんでいるでしょう。我々は笑顔でみなさんを苦しみから解放することを目的としています。さあ! 笑いましょう!」
「話はそれだけか?」
こいつがつらつら喋っているのは時間稼ぎと俺を洗脳しようとしているからだ。それだけ戦闘を避けたいのだろう。
だが、俺には精神汚染系の異能は通用しない。
「……悲しいですね。本日は二人も救えない方がいらっしゃるとは。でも、ご安心ください。あなたは一人ではないのです。こちらの女性と同じ結末を辿るだけですから」
先生たちが武器を構えた。
「さあ、同胞よ! 救われない観客を救済しなさい!」
「……リミッター解除」
いくら能力を上げても、今の俺は平常時の先生たちには勝てない。
圧倒的な身体能力の差の前にはどんな技も無駄だからだ。それに、先生たちだって技を持っている。
だが、今の洗脳状態ならば俺にも希望はある。
洗脳にはいくつか種類がある。『スマイルズ』は広域対象であり、条件も緩いが相手に簡単な指示を出すことしかできない。洗脳された人間には意思はなく本能に近い動きしかしない。
スマイルズの能力では先生たちを扱い切ることは不可能だ。
相手が先生たちではなくただ本能で動く人間なら俺は負けない。
先生たちが眼前に迫った。
次の動きが簡単に分かる。洗脳状態でなければ、こんなに早く先読みは使えない。
見え見えの斧と鉄パイプを躱し、通り過ぎた。
「背中、借ります」
嘉納先生の背中を蹴り、加速した。
当然ながら、先生たちの身体能力は俺より遥かに上だ。背中を蹴って動きを封じた嘉納先生は動けなかったが、長尾先生が高速で振り返り斧を振るった。
背中への攻撃であっても俺には分かる。だが、避けない。
スマイルズは殺人をすることを目的としていない。俺を殺すのではなく洗脳することを目的としている。
なら、刃を向けた殺す振り方のはずはない。微細な手加減が難しい洗脳状態で俺が受けきれない威力もない。
俺は攻撃を背に受けた。
「おやおや」
俺はスマイルズのいる方向にぶっ飛ばされた。完璧に受けた。ダメージは少なくはないが、これでスマイルズに一発を食らわせることが出来るのな安いものだ。
「死ね」
スマイルズの腹部に加速を乗せた拳の一撃を食らわせた。
防御をしていたが、無駄だ。技量差で防御をすり抜けて腹部に入った。
若干の抵抗はあったが、スマイルズは後ずさった。
「ごほ。ごほ」
仮面から血が噴き出した。
この程度じゃ死なないか。こいつは洗脳系の能力を持っているくせに戦闘能力もそこそこある。
だが、冴先輩が事前にダメージを与えていたくれたお陰で俺の一撃は致命傷になった。
「なぜ。なぜ笑わないんですか! 笑わないと。笑わないと怒られますよ! 笑えば苦しまずに済むんですよ!」
「知らねえよ。お前は死ぬ。それだけだ」
前世の俺が犯した過ちは数多くあるが、こいつら新魔教団を殺さず生かしてしまったことは最大の汚点だ。今回は確実に殺す。
殺意を込めた一撃を叩きこもうと踏み込んだ。
「待ちなさい! あの女性がどうなってもいいのですか!?」
冴先輩に向かって先生たちが武器を振り上げていた。人質か。
残念だが、今と未来であいつが出す被害と一人の命は天秤にも掛からない。
前世ではスマイルズのせいで多くの避難所が細分化を余儀なくされ、自衛力を落とし多くの被害を生み出した。
頭では分かっている。分かっているが……
――俺は迷ってしまった。
「躊躇いましたね」
スマイルズは一瞬の隙に付け込み自身の手でアッパーをしてきた。
避けられず、顎に有効打を食らってしまった。
「視界が歪んで苦しいですか? ほら、笑いましょう。笑わないともっと苦しいことになりますよ。ほら! 笑いなさい!」
俺を警戒して距離を取って来た。
受け方は完璧だった。それなりの威力はあったが、脳震盪には至っていない。まだ戦える。
だが、思っていた以上に人質が厄介だ。
俺はスマイルズの認識できない速度で行動することはできない。
大勢の命と冴先輩ひとりの命を選択するだけ。前世で何度もやってきたような簡単な話なのに。
冴先輩を見捨てる選択が俺にはできない。
「ああ。思い出した。あなた。中学生無差別のチャンピオンじゃないですか。あなたの試合は見ていましたよ。丁度良かった。あなたと因縁があると思われる方々はすでに笑顔になっていますよ」
近くにあった医務室から三人の男が出て来た。力なく項垂れており、既に洗脳をされているみたいだ。
あいつらは俺が心を折ったはずの笹井兄弟だ。今日の試合には出ないはずなのに医務室にいたのか。
「この方々を差し上げます! 殺してもいいです。なので、我々の計画の邪魔をしないで頂きたい」
「その交渉に意味はないだろ」
「ええ。交渉ではありませんこれは命令です。あなたは手を汚してください。そして、我々と共にこの世を救済しましょう!」
俺は笹井兄弟を一方的に殴ったが、あれは試合と光莉の保護を建前に俺が前世分の気持ちを乗せただけだ。
光莉があそこまで成長したのなら、もうあの兄弟に手を出す必要はない。逆に俺の手で殺したとなると光莉は俺を本気で敵視するだろう。そうなればダンジョン攻略なんて出来ない。
「我々ということはお前には仲間がいるんだろ? ここにいるのか?」
「ええ。爆弾を仕掛けたのは協力者のお陰です。安心してください。我々は権力の中枢に人員がいます。国に捕まったとしてもすぐに開放されるでしょう」
新魔教団は規模が大きい。前世では掃討作戦が何度も実施されたが、どれだけ潰してもゴキブリみたいに湧いて来た。俺はあいつが言う権力の中枢の正体も知っているが、今は手を出せない。
さて、現状を打開するには
――奥の手を使わないといけないな。
リミッター解除以上に代償が重たいから使いたくはなかったが。
「……お前如きにコレは使いたくはなかったんだがな」
「無駄ですよ。いくらあなたが強くてもこの状況で抵抗すれば、人質も――」
手を前に出す。
俺は前世の仲間たちの技を使うことができる。それは光莉や松枝といった近接技のみならず、徳人の魔法も習得した。本家のスペシャリストたちよりも技の精度は数段劣るが、スマイルズ程度を殺すには十分だ。
魔法の使い方は体に染み込んでいる。
前世の感覚を頼りに心臓近くから魔力を引き出す。
そして、イメージ内にあるホースの先端を摘まむ。あの魔法はこのぐらいの圧だ。
「《光弾》」
目にも止まらぬ速さの光がスマイルズの喉を貫いた。
指先より小さい一点の穴が開き、大量の血が溢れ出した。
「な、あ」
「死ね」
戸惑っているうちにダメ押しで出血している喉を蹴り上げた。威力を流すこともできない程、確実に入り、スマイルズは倒れた。
冴先輩との戦闘ダメージ込みの腹部への一撃とこの攻撃で生きていられるはずがない。
――俺の勝ちだ。
「ぐふっ」
視界が真っ赤に染まる。口や耳からも液体が流れ出ている。朦朧としてきた。才能もないのに無理やり魔法を使った代償だ。
もし回帰していたのが仲間たちだったらもっと上手くやっていたんだろうな。
光莉なら一撃でスマイルズをミンチにできた。
徳人なら《光弾》で人質を取る隙も与えなかった。
松枝なら人質を取られても相手に認知できない動きで首を切り落としていた。
一方、俺は命を削ってこのザマだ。
ああ。嫌になるな――
――地面が近い
全身の穴から血を吹き出しながら俺は気を失った。




