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十二話-Side 舞台裏

 時は戻り、一回戦が始まる前の佐月が光莉と会話をする少し前。


「おやおや。元気がいいですねぇ」


 道化の仮面をつけた男が中学生を喋れないように口を抑えた腕で壁際に押し付けていた。

 その中学生は光莉の兄であり、佐月と一回戦目で戦う希実のぞむだった。


 中学生とはいえ、大人顔負けの筋力を持つ希実のぞむが一方的に押さえつけられていた。

 抵抗で男を殴ってもまるでなにともないかのように反応がない。純粋な筋量が違う。


 徐々にその表情が恐怖に染まる。


「さあ笑いましょう。息が出来なくて苦しいですか? 恐怖で目の前が見えませんか? 大丈夫。そんなあなたでも笑いましょう。ほら、笑って笑って……」


 徐々に抵抗を失っていき、手足が力なく崩れ落ちた。


「笑って下さいましたね」


 男は懐にあった紙を取り出し、読み上げ始めた。


「あなたは今からかわいいかわいい妹に近づく男を排除したくてたまらなくなります。合法的に殴れるなら殴りたくなる。そして、痛いのは嫌ですね。苦しいと心が折れそうになります」

「はい」


 力なく立ち上がった希実のぞむの口角は吊り上がっていた。目は笑っていないが、顔だけは笑っているように見える。


「では、行ってください。心だけ笑って周りに悟られないように」


 口角が戻り、選手控室へと向かった。


 それを見届けた道化の男は電話を取り出した。


「徳人さん。私はこんな小間使いなんて嫌なのですが?」

『ショーには細かな努力も必要でしょ? まだ、今は溜める時期だよ』

「いいご身分ですね! スポンサー様には逆らえない私の弱い立場をもてあそぶようなことは! あっ」


 電話が切られた。


「まったく。あの一族は人遣いが荒すぎます!」


 男は一人で愚痴を言いながら会場から姿を消した。


 ――――――


 佐月が光莉と戦っている最中。徳人は選手入場口にいた。

 その服装は大会スタッフと同じであり、首から下げた身分証はスタッフのものと同じだった。


「すいませんが、こちらでの観戦はお控え下さい」


 徳人が注意したのは光莉の父親と二人の兄だった。


「俺たちは選手の親族だ。今まではここで観戦をしていても良かっただろう」

「こちらとしては前例通りにしたいのですが、こんな写真が実行委員会に提出されてしまいまして」


 徳人は三人に一枚の写真を見せた。


 それは昨日の最終試合後のひと悶着の一部であり、今にでも殴り掛かりそうな形相で佐月の肩を掴んでいた父親の姿だった。


「誰が撮影したかは不明ですが、対策を打たなかったと言われるのはこちらですので。ご理解のほどを」

「ふざけるな! 俺たちはここで見る正当な権利がある」

「娘さんが心配なのは分かりますが、笹井さん。あなたの為にもここは一歩引いて下さい」


 押し切ろうとする父親を尻目に徳人は言葉を続けた。


「道場。人が少ないんですよね。これ以上暗い噂が広まると経営すらままならないのでは?」


 徳人は相手の経済状況を調べ切っていた。笹井の運営する道場は昔は大量の門下生がいたが、今は昔よりも遥かに少なくなっており、息子と娘の才能だけで知名度だけは保っていた。

 そして、その頼みの綱の息子たちに悪い噂ばかりがあることを。


 その情報は、死線武道の界隈では一部で噂をされていた。


「くっ。観客席で見るぞ」

「試合が終わったら、三人で実行委員会までお越しください。お話がありますので」

「娘の試合は見せてやるという温情のつもりか?」

「ええ。ですから、試合は()()()()観戦なさってください」


 父親は徳人がスタッフであることを疑わず、道場を守るためには仕方がないと思い娘の戦いを観客席に行くことにした。


「まったく、大好きな彼女とゆっくりお話をするスケジュールがないのは計画不足だよ。僕がお膳立てを完璧にしてあげるからね」


 徳人は近くで佐月の試合を観戦した後、去っていった。


 ――――――


「やあ。初めまして。光莉ちゃん」

「誰?」


 中学生無差別級が終わった後、人気のない廊下で徳人は光莉と接触していた。


 初対面なのに馴れ馴れしく呼んでくる徳人に光莉は警戒をしていた。


「僕の名前は川谷徳人。中津佐月とは仲間でね」

「何の用?」


 知り合いの佐月の名前を聞き、少しだけ警戒を緩めたが、光莉は徳人に警戒したままだった。


「単純な話さ。君は彼がなんでお兄さんたちをあんな目に合わせたか知らないでしょ? 僕は知っている。教えてあげよう」


 そう言うと、徳人は数枚の写真を床にばらまいた。

 その写真を見た光莉は表情を少し険しくした。


「これは……」


 写真には兄たちが同級生らしき生徒たちに対して行っていた想像を絶する暴行の数々だった。


「君の兄さんたちがやっていた悪行の一部だよ。いじめ恐喝は当たり前。不登校になっちゃった人も出るぐらい有名な話だけど、妹の君は知らなかったのかな?」

「嘘。兄さんたちがこんなことをするはずがない」


 写真という動かぬ証拠を提示されても光莉は信じなかった。

 それほど家庭内では優しくして貰っていたことが分かる。


 徳人の目に映る彼女は厳しいながらも優しい家庭で育てられた立派な花のように見えた。足元には母親らしき人物の死体がある。


 親族の死を乗り越え、自分の軸にしている強い人間。光莉単体を徳人はそう評価した。

 しかし、彼女の周りには目に見えるほどの異臭が取り囲んでいた。


「君は現実を直視できる強い人間だろう。ただ、一言だけ言わせて貰うけど、佐月くんは君にだけは優しかった。それはなんでかな? 考えてみなよ。じゃあね」

「待って――」


 徳人は制止を無視して去っていった。


 ひとりになった廊下で、光莉は床に散らばった写真を拾った。


「……」


 そして、少し立ち止まってから兄たちがいる医務室に向かった。


「光莉。飲み物を買わせに行かせて悪かったな」


 父親が光莉の頭を撫でた。

 家族で唯一の女性である光莉だが、蝶よ花よと大事に育てられた。


「兄さんたちは大丈夫?」

「ああ。あの悪魔には絶対にこの借りは返す。光莉。お前も兄の仇を取るのに協力してくれるよな」

「……うん」


 光莉は少し悩みながらも返事をした。そして、医務室で寝ている兄たちの前に飲み物を差し出した。


「あ。ありがとう」


 兄たちは試合が終わった後も恐怖で体が震えていた。傷はほとんど完治していたのにも関わらず、恐怖は残ったままだった。

 彼らが引きずる恐怖は佐月の戦い方がどれだけ残虐的であったかを物語っていた。


「光莉。お父さんは審判のお仕事をしてくるから、兄さんたちと試合の観戦をしていてくれ」


 父親が医務室から出て行った。


「会場に行く?」


 病院に行く訳でも家に帰る訳でもなく、会場の医務室にいるのは三人が生で競技を観戦できるようにするためだった。


「嫌だ」

「あいつに会うかもしれないと思うと動けない」

「あの悪魔め」


 兄たちは口々に佐月を恐れるような発言をした。


 今までの光莉だったら、兄たちの恐怖を見て佐月に対する怒りを強めていたが、さっき知った情報が佐月への意識ではなく、兄たちへの疑問に向いた。


 恐怖を感じる権利が兄たちにあるだろうか? それを確かめるために光莉は写真を手に取った。


「これ。見覚えある?」


 徳人に渡された写真を兄たちに見せた。


「お前。これ。どこで。誰に渡された!?」


 兄たちは光莉が差し出した写真を握りつぶした。

 その慌てふためく態度から光莉は写真が偽造ではなく本物であったことを確信した。


「……こんなこと」

「これは違――」


 光莉は怒っていた。


 兄たちが他人を虐げて遊ぶようなクズであったこと。それを見抜けなかった自身に一番苛立っていた。


「こんなことして! お母さんに顔向けできるの!?」


 光莉は初めてと言ってもいいほど怒鳴った。


 兄たちは自身よりも小さい彼女の怒鳴りに肩を震わせた。


「兄さんたちの悪行は許されることじゃない。今後そんなことをしたら、わたしが中津くんみたいに兄さんたちをボコボコにする」

「おい。待て――」


 光莉は医務室の扉の前に立った。


「わたしは兄さんたちを見捨てたりしない。お母さんとの約束だから。ただ、今は中津くんにやられた傷に苦しんで。家に帰ったら、覚悟しておくこと」

「あ。ああ」


 そのまま外に出て、試合を見る為に観客席に向かった。


 空席がない会場で、ある人物を中心として席が空いていた。


「隣いい?」


 佐月の隣に光莉は座った。

 おそらく、佐月は兄の痴態を知っていた。だが、それを自分には言わなかった。


 彼は自分に気を遣ってくれた。そう感じた光莉は佐月に兄の話題は出さないことにした。あくまで自分はなにも知らないフリをする。それが気遣ってくれた彼への礼儀だと思っていた。



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