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九話 きょうだい

 光莉は選手待機室にいた。


 試合までまだ時間はあるのにすでに道着に着替えている。

 準備が早すぎるのは光莉らしいな。


 それに、デザイン性皆無の道着を着ている姿も可愛い。周りの男たちがチラチラと視線を向けている。俺はその視線を遮るように光莉に近寄った。


「あなたは……」


 光莉が俺に気付いた。一応、俺の顔は覚えてくれていたみたいだ。ここからは無害なフリをする。あまりの可愛さを前に平常ではない心を巧妙に隠す。


「さっきぶり、俺は中津佐月。さっきは助かった。君の名前は?」

笹井ささい光莉ひかり

「笹井さんだな。ここにいるってことは出場者なんだな。どうやら、俺たちは二回戦で戦うみたいだぞ」


 この自分からは絶対に話題を振らない感じは懐かしさを感じる。

 一応、反応はしてくれるが、自身で話を広げようとはしない。


 俺は光莉のことを誰よりも知っている。どんな事に興味があってどんな事に興味がないのか。手に取るように分かる。関わった時間が違う。


「あなたの相手は兄さん。楽には勝てない」

希実のぞむさんか。それは笹井さんよりも強いのか?」

「強い」


 この当時の光莉は家族大好き人間であり、両親や三人いる兄を貶されることを嫌う。


 ただ、この兄たちというのが光莉の人生を狂わせた原因だ。妹を妬み、家庭内で理不尽にいじめていた。

 全国大会に出場する実力はあるが、一度妹に負けただけで妬み潰したような奴らだ。


 今はまだ光莉が表立って戦っていないから、可愛い妹として対応しているみたいだが、あいつらの本性は醜いものだ。今すぐ殺してやりたいが、ぐっとこらえる。


「そうか。なら、俺も気合を入れて戦わないとな。もし、負けたらきょうだい対決になってしまうしな。そうなったら笹井さんは全力で戦えるのか?」

「……分からない。でも、手加減はしない」

「そうならないように頑張るよ。さっきのダンジョンは助かった。笹井さんなら一回戦は余裕だろうな」


 もう少し話したい気持ちもあるが、俺は会話を切り上げた。


 光莉は好感度が上がるまでは会話し続ける必要はない。

 適切な距離を保ち、あっちから近づいてくるのを待つ。それまでは何度も近づいては離れるを繰り返す。前世は状況が状況だったからすぐに俺を信用してくれたが、今の光莉はそうじゃない。


 離れようとしたら、身長の高い男が入って来た。

 何やら、つまらないことでもあったのか不機嫌な表情をしている。


「俺の妹に何か用か?」


 こいつは俺の対戦相手の希実か。こいつが光莉を……

 今すぐ殴りたいが、今は抑える。


「先ほど、助けて貰ったので挨拶をしていただけです」

「そうか。うちの可愛い妹を引っかけようとしていたわけだな」


 初対面の相手に対する態度じゃないが、前世で俺が出会った時はもっとひどかった。

 この程度の因縁の付け方は可愛いぐらいだ。


 被害者ぶってもいいが、こいつに気後れした所を光莉に見せる訳にはいかない。


「仮にそうだとしたらどうします?」

「兄としてハエは叩き潰してやらないとな。覚悟はできたか?」

「いいでしょう。どうやら、俺たちは一回戦で対戦するみたいだから、そこで賭けでもしましょうか。俺が負けたら五十万円払います」


 賭けの内容に意味はない。あくまでそれらしき因縁を付けてやるだけでいい。


「言ったな。約束を守らなかったら、場外で払いたくなるまで痛めつけてやるからな」

「はは。元気があっていいですね」


 俺から要求するものはない。

 あまりに一方的な約束だったが、これで少しでも光莉が兄に対する意識が変わってくれれば俺としては意味がある。


 ――――――


 中学生の無差別級の試合が始まった。


 全試合を観戦したが、やはり俺に勝てそうな中学生はいない。

 あくまで俺は人生二周目だ。彼らの努力を踏みにじってしまうことの負い目は感じないといけない。


 一回戦の最後から二番目の試合に光莉が出場していた。

 俺は次の次の試合ということもあり入場口から光莉の試合を見ることにした。


 相手は大柄な男だった。いかにもフィジカル特化の男で、小柄とはいえ光莉の頭が男の胸までしか届いていない。

 圧倒的な体格差。力の差は明確。何も知らない観客たちはそう思うだろう。俺もほとんど同じ意見だ。


 試合が始まった。


 男が拳を振り上げ、叩き潰すかのように光莉への一撃を放った。

 一部の観客が目を背けた。しかし、その観客たちの想像とは違う結果が目の前にあった。


 男の拳は光莉の前腕に止められていた。

 男の手。あれは折れたな。


 あとは、『拒絶の盾』で吹き飛ばしてお終い。俺はそう思っていた。


「トライデント」


 なんと光莉は防御をしていない手で抜き手で男の腹部を突いた。

 手が男の腹筋をめり込んだ。


 そして、そのまま男は白目をむいて倒れた。


「なんだ。あれは」


 俺は震えていた。


 光莉が俺がいる入場口とは違う場所から出て行った。そこには光莉の家族がいた。母親のいない父親と男兄弟三人。

 頭を撫でられ褒められ、喜ぶ光莉に俺は一瞬我を忘れそうになった。


「あんなゴミ技を光莉に覚えさせやがって」


 怒りだ。光莉の長所を一切生かさない。その技構成に俺は怒っていた。

 だが、俺は冷静だった。丁度いい発散相手が次の相手だ。


 一回戦最終試合。


 俺の出番になった。対戦相手である光莉の兄が出て来た。


「よう。約束は忘れていないよな」

「ええ。覚えていますよ」


 俺に勝てると思い込んでいるみたいだ。まあ、中学生レベルでは相手の体格ぐらいでしか強さの判断はできないのだろう。

 それを責める気はない。ただ、俺が個人的に恨みがあるだけだ。


「始め!」


 今からすることは相手にとっては理不尽以外の何物でもないだろう。

 だが、これでも殺意だけは隠してやっている。つまり、手加減をしてやっているのだ。


「死ねや! ボケ!」


 接近からの拳が飛んでくる。


「なっ。すり抜け――」


 喉へ軽く一突きした。


「ぐふぉ」


 男が首を抑えて悶え苦しむ。


「どうした? もう限界か?」


 追撃はしない。

 言葉による挑発はルールで禁止されていない。八百長に関係しなければ、審判も何も言わない。


「な、舐めやがって」


 睨みながら立ち上がった。怒りと痛みで目を赤くしながら殴りに来た。


「どうした? 腰が引けているぞ」

「ぐっ」


 拳を避けて軽く腰を蹴った。

 バランスを崩した男は無様に倒れた。


「はは。さっきの威勢はどうした?」

「クソ。調子に乗るんじゃねぇ!」


 拳を使うこと止めて、タックルをしてきた。


「軽いな」


 俺は軽く受け止めた。


「掛かったな! 『拒絶の盾』!」


 技名を叫ぶと同時に男は場外に吹っ飛んだ。外から見たらかなり滑稽に見えているだろう。


 拒絶の盾。光莉も使っていたが、あれは発勁のように全身の力を一瞬で相手に伝えるような高等な技だ。習得難度はかなり高いが、使えた所で練度がなければただの体当たりだ。逆に力を制御して相手に返してやることだってできる。


「待て!」


 場外に吹っ飛んでも負けにはならない。場外から戻れる状況だと判断されれば試合は続行する。

 せいぜい最後の判定の時に不利になるだけだ。


「なんで、技が返されたんだ?」

「拒絶の盾は相手の攻撃を返すことを目的にした技だ。笹井流の技だろうが、お前の練度じゃ逆に威力を使われるだけだぞ」


 笹井流と呼ばれる武術が、この男の根本にあるものだ。


 本来は盾を持つことを前提とする武術で、相手を弾くことに特化している。この流派を発展させたものを前世の光莉は使っていた。その時はどんな巨大な魔物でも光莉に攻撃しても威力が返される。まさしく鉄壁を超えた反射壁だった。


 俺は改良に手を貸した。当然ながら、俺も笹井流を使える。


 さっきは、拒絶の盾を俺も使い相手を吹っ飛ばした。


「さて、心が折れて降参したくなったら言ってくれよ」


 ――――――


「ま、負けだ! もうやめてくれぇぇ!」


 徹底的に痛めつけたことによって、試合時間ギリギリだが降参を引き出せた。


 顔は晴れ上がり、服の下は痣が残っている。

 出血は微々たるものだが頭上から出る血が目や鼻に掛かりかなり不快だろう。


 死線武道をする人間にとって降参は恥とされる。気を失うまで戦うことこそが美徳とされる。全国大会に出るような奴が降参すればプライドがズタズタだろうな。


 心を折るような戦い方はあまり好きじゃない。だが、こいつは光莉の障害になる。もう戦いたくないと思うほど痛めつけておく必要があった。


「次、俺と戦うことになったら楽しみにしていろよ」


 捨て台詞は変なことになってしまったが、まあいい。こいつはしばらくは戦うことを嫌うだろう。


 試合場から出ると、笹井一家の兄二人と父親が俺を待っていた。光莉はいるが母親はいない。確か、もう故人だったな。


「お前。ただで済むと思うなよ」


 父親が俺の肩を抑えた。

 ここから投げてもいいが、それは傷害になる。俺は手を振り払った。


「試合で起こったことに文句を言ったらいけないですよ」

「こんな人間だとは思わなかった。わたしが倒す」

「……楽しみにしている」


 俺は完全に悪だろう。


 尊敬する実兄をボコボコにした男なんて憎くて仕方がないだろう。


 控室に戻ると、誰もが俺を避けた。

 あの戦い方は邪悪でしかない。高潔な精神を持つ武道家にとって俺は忌むべき人間だろう。


 他人の評価なんてどうでもいい。


 俺は世界を救う責任がある。この程度の侮蔑は苦でもない。


 ……ただ、光莉にあんな目を向けられて、心がぎゅっとしている。


「いい気分じゃないとでもいいそうだね。ディアフレンド」


 徳人が静寂を無視して話しかけて来た。部門は違うが選手だから、控室に入って来ることはできる。


「いつからフレンドになったんだ? それで。なんの用だ?」

「君の目的には僕とさっきの白髪メッシュの子が必要なのは分かったよ。じゃあさ。もう一人は誰なの?」


 相変わらず、俺の思考を読んでいるような言動をしてくる。


 前世の『白の珈琲』のパーティーメンバーは俺を除いて三人いた。


榎本えのもと松枝まつえという女性だ。ただ、あいつは今どこにいるか分からない」

「なるほど、決定力ね。まあ、おおよそ君の底は分かったよ」

「……好きに感じていろ」


 今の徳人を信用してはいけない。


 仲間のフリをしていても、自身の快楽のためならば容赦なく切り捨てることすら厭わない。

 そのせいで前世でも酷い目に会った。


 ただ、どれだけイかれ野郎であっても俺の仲間には変わりはない。俺でよければ何度でも酷い目に合わせてくれていい。

 だが、今は徳人のためにも全幅の信用は寄せない。


「つれないなぁ。じゃあ、()()の子に嫌われないようにせいぜい頑張ってね」


 前世の感情を読み取られているな。徳人にその辺の配慮はない。まあ、俺に配慮する必要は一切ないが……


 ――――――


 試合が終わった後、冴先輩が俺に会いに来た。笑顔で機嫌はよさそうだ。


「さっきの試合。面白かったぜ」

「それはどうも」


 この人は一般的な感性とはかけ離れている。

 普通の人間ならあの試合を見て面白かったという感想は出ないだろう。


 非難を受けることは仕方がない。俺がやったことはそれだけむごいことだった。


「さっさと飯にいくぞ。しばらくはオレの隣を離れるんじゃねえぞ」

「分かりました。ありがとうございます」


 あの一家は場外で奇襲してくるかもしれない。それに優勝に執着するような奴なら仲間をつれて俺を襲うかもしれない。


 冴先輩は何度も殴り合った俺のことを少なからず気にかけてくれているみたいだ。


 理由も聞かず、味方でいてくれる。


 この人にこんな優しい面があるとは思わなかった。ただ申し訳ないことに俺は先輩の気遣いは必要はない。


 俺があの男を痛めつけたのはまだ温情がある行為だった。

 俺は光莉のためなら誰かを殺すことだって選択肢にある。


 光莉が死ぬぐらいなら世界が滅びてもいい。そう考えてしまえるぐらい俺は光莉に仲間以上の感情を抱いている。

 ただ、それは今生では隠さないといけない感情だ。



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