温泉の定義を知ることができるお話
「……温泉、欲しいな」
「どうしたのですか、ご主人様、突然」
広大なダンジョンの一階。修理された姿を見ながら俺は腕を組んだ。
新品の床に落とされた言葉にファルマが訝し気に首を傾げている。
「いや、ダンジョンって、戦って死ぬみたいな殺伐とした場所じゃん」
「まあ、その緊迫感と一攫千金感、ドラーゼさんみたいな強者を倒すっていう最強感を求めて戦いに来るんです。逆に私たちは参加費用と、この間みたいな高級装備を剥いでお金を稼ぐのが一番簡単な方法です」
俺の故郷で言うところのスポーツみたいなもんなんだよな。命を懸けた危険な遊びを真剣にやれる。そういう文化が根付いている。
別に俺も先に成功している人にならってしまえばある程度できるが、マジでおもんない。
「温泉って、王国じゃあんまりないんですよ。帝国の方にはいくらかあるみたいですけど」
「別に天然にこだわらなくてもいいし、これ以上一階をぶち壊されても困るんだよな。第一層がラスボス過ぎて以降の層が空いてんのももったいねえし」
「では、温泉作るんですか?」
「ああ。ただまあ、この中直下掘りも芸がないから、少し離れた場所ぶち抜いて汲み上げるか。それより、参加者はどんなもんだ?」
「ドラーゼさんが強すぎて冒険者に討伐依頼が出る程度には順調ですよ。本人は雑魚がストレスたまるわぁ、って言ってます」
「疲れた時ようにユイアを雇ったんだ。あいつは戦えそうか?」
「戦闘力としては我流、経験の蓄積で強くなる途中ってところですね。冒険者で言うとA級です」
「ドラーゼを下げて戦闘経験を積ませよう。金策の方は何かしてるようか?」
「もう少しで帰るはずですよ」
「たでーまー」
管理室の扉を開けて入って来た赤い髪の女剣士、ユイア。
前回の装備はかなぐり捨てて、今は赤いマントローブに足の出たラバーホットパンツ。右足には機能性が死んでいる何かしらの飾りが蛇みたいに巻き付いていた。
腰に携えた剣はこの間男剣士が持っていたものをそのまま渡した。おしゃれと強さが融合したA級程度にしては強い装備だ。
俺は静かに床に寝そべり、仰向けになった。
「絶望したタラバガニの一言。あー、足じゃなくて腕六本あったら何でもできたカニ―」
「ふひゃ……ちょ、ふはははは……ムリィ……お腹……クック……」
「これはもう才能のレベルですね」
「どっちのことを言ってる? ファルマ」
「どっちもです」
使い魔を掴んで取り敢えず適当な場所に放っておいて、ぎいぎい音が鳴る椅子に腰かけ直した。床で暴れても服に汚れが付かない程度に綺麗にしててよかった。
「どうだった? ユイア」
「とりあえず、昔の知り合いに声をかけてダンジョンの欲しいもの纏めて来たよ」
はい、と渡されたメモを見る。色々書いてあるが、意外と多いのは装備を整えられる場所やら回復施設だ。ちなみにどれもこれもダンジョンには置かない。
何故なら、こちとら攻略されたくないのに挑戦者を回復させてどうするって話……
ああ、なるほど。じゃあ、別に攻略者を相手にしなきゃいいのか。
「この小料理屋ってのあるが、ユイナ、お前、この世界……違う、この国で流行りの料理とか分かるのか?」
「マジほんと食い気だけはあるから任せてほしい」
「よし。その方向で動け、腕のいいシェフを集めろ、面接を始める!」
「あいあい」
「ご主人様、さすがに風呂敷を広げすぎぎゃふ――」
リス熊犬の口を頭ごと掴んで黙らせた。こいつは、いわば白すぎるんだ。
「ワンマン経営の下に就いた自分の不運を呪え。ユイアは今すぐ行け。ファルマ、温泉掘るぞ。冒険者が来たら馬鹿ドラゴンに相手をさせるんだ。殺しても構わないと伝えろ。そろそろ、死と隣り合わせって快感を得たい馬鹿を呼び寄せて健全なダンジョン経営だ。散れ」
部下に指示を飛ばし、俺自身も穴掘りに動く。
やりたいってことがあるならすぐに動く。それがベンチャー企業の良いところだ。
48時間働けますし、寝ませんし。連勤上等。ブラック企業と呼ばれればそこまでだ。
中途半端に黒いと頑張ったって面白くない。人は面白いもののためならどこまでも頑張れる。やりがい搾取のモンスター。
今日から名乗ります、漆黒経営、始めマスター。
穴掘り作業は意外と過酷を極めた。道具もなければ知識もない、契約スキルを駆使してわけわからない深さまで掘り進める。
温泉の定義は鉱泉であること。あとは掘り出した時の温度が24度5度だっけ? たぶんこの国にそんな法律はないから言い張ればいいけど、こだわれるところはこだわろう。
「だあもう、土と契約出来ねえかな。ぺっ、口入った」
「ご主人様、深すぎです。これ最悪地下水来たら死にますよ!? あと地熱とか崩落とか」
「だあってろゆとり妖精が。俺の故郷の技術力は世界一!」
「技術も何もシャベル一本です!」
「喋るよりシャベル動かせ! これ上手くね!? 見える、俺にも見えるぞ、世界の鼓動が!」
「熱で幻覚が……」
「そうだ、この熱は冷めやしねえ、俺を掴んで離さねえ、ダンジョンヘの、挑戦は!」
「落ち着いてください、ご主人様は挑戦を待つ側です。あと物理的熱です。めちゃめちゃ暑いですよこの辺」
「熱い時は離すなって、酒とたばことギャンブルが好きな俺のじいちゃんが言っていた! 亡きじいちゃんの遺言を、俺は守り続ける!」
「ああ、最悪な三拍子」
「言葉に気を着けろ、俺はじいちゃんっこだ」
「いやでも、身を滅ぼしますよ」
「最後にじいちゃんは笑ってた。お前って言う孫の成長をここまで見れて悔いはない。これは忘れるな、ボックス買いより単勝にかけろって」
「そ、れは、何事ですか? ああ、故郷の言葉ですか? いって、凄く硬い石が砕けてすごく顔が痛いです!」
「退いてろ馬鹿が! これ以上は、もう、冗談でも遊びでも終わらねえ。覚悟ある奴しか、この先の光景は見れねえ!」
限界は挑むためのものじゃない。
俺が超えるための、最も身近な指標、目標でしかない。
超えて当たり前か? 挑戦して当たり前か? 違う。
当たり前を当たり前じゃなく、エンタメに昇華して、自分だけじゃなく、他人すらも、熱狂させる!
さあ、ご唱和下さい、これこそ、本格天然温泉。私が掘りました、地産地消、オーガニック温泉!
シャベルの先が、希望の欠片を……ぶち抜いた。
溢れ出る熱々の温泉。後はこれを、冷めないように汲み上げる方法だが、まあそれは後で思いつくとして――
細い洞窟。掘ることしか考えず、崩落の危険も度外視の最悪な世界。
そんな、おおよそ生命がいると思えない場所。深き地の底に突如現れたそいつ――
黒く、巨大な両手を持った……ドラゴン……!
圧倒的な戦意が生み出す尋常じゃないプレッシャー。濃すぎて身震いすら覚える赤い一つ目が俺を貫く――
「逃げろファルマ!」
ファルマを掘ってきた上目掛けてぶん投げる。
投げた瞬間、黒いドラゴンが巨大な腕を俺に叩きつける。
ここまでかなり苦労して掘ってきたってのに、たったひとかきで、そいつは地面にぽっかり空いた空洞に叩きつけて来た。
灰色の岩。光るコケにところどころ湧いている熱い温泉がドバドバと音を立てるバカでかい空間。
欠陥住宅だな。ダンジョンの下にこんな地震に弱そう過ぎる空間があるなんて。
それにこいつ……でかいな。年収800万のお父さんが結構頑張って建てた家の三倍はある。
巨大で長い胴体。両腕は翼が退化して掘る方に特化したらしく、カニの甲羅並みにデカい。
こんな上で毎日騒がしい場所でそれでも隠れていたけど直下掘りで温泉掘る奴が来たら、そりゃ怒るよな。
この開けた土地がこいつにとってのホームグラウンドなら、地の利は間違いなく奴にある。さて、どうするか……
いや、何でもいい、流れに身を任せて、叩き潰せばいいだけだ、久しぶりに。
べっ。
「来いよ、モグラドラゴン。お前を倒して下僕にしてやる」
俺の声が届いたか、モグラドラゴンはギザギザしたスパイクのついた尾を地面に叩きつけ、地面を低く跳ぶ。翼腕を体の前面に押し出して突進してくる。
どう考えても攻撃を一切受け付けない攻撃は、避けるしかないが――
外へ跳ぶと同時に身を翻して回転。
強固な前面ガードと言っても所詮は生物。機械みたいに隙がないわけじゃない。
ほら、上側は留守だ。
見えない斬撃を放つ。切れ味はモグラドラゴンのがら空き頭部をぶちぬ……けない。
「硬すぎだろ」
手を付いて一度体勢を立て直す。
ブレーキが付いていないらしいモグラドラゴンはそのまま壁に突っ込んだ。
轟音、水しぶきと土煙が上がって巨体が見えなくなる。
さて不味ったな、まさか傷をつけることも出来な――
「んだ、お前!」
足場が崩れ、モグラドラゴンの腕装甲に足を挟まれる。
馬鹿なこいつ、あの状況から壁ぶち抜いて下に掘り進めて足元に来たのか? 何ちゅう方向感覚。
「おわ!」
そのまま地中に引っ張られそうになったところで周りの地面を斬撃で抉る。
四角形に抉ったタイミングで衝撃は伝わっていたらしく、モグラドラゴンは足を離した。
地面を蹴って宙へ逃れるが、いつの間にか馬鹿みたいに速く移動していたモグドラは流れる温水をぶちまけながら俺に向かってくる。
迫りくる甲殻。最高硬度と言っても差し支えない防御力に巨体が生み出す推進力。
最早軌道が変わる精度がめちゃいい砲弾だ。
しかも空中は制動が利かない。馬鹿ドラゴンと違って俺には羽が生えてない。
顎を引いて、インパクトのタイミングで掌底打。攻撃じゃなく、弾かれ回避が目的。
くるっと回って地面に足を着けた。
俺のスキルに防ぐ系の物はない。良いことをひとつだけ教えよう。
俺を殺したければ、高い防御力で殴ることが一番手っ取り早い。
「面倒だなあ。本当に」
避ける、叩きつける。
避ける、斬りつける。
避ける、破壊を試みる。
致死性の攻撃を全て紙一重で躱しつつ、通らない攻撃を当て続ける。
こんな時、馬鹿ドラゴンなら無限に近い思考時間を使って最適解を一瞬で叩き出すだろう。
ユイナなら最速で避けてピンチにもならないだろう。
ゼラールなら、どれだけ門前払いされても翌日にはシレっと再訪問して契約を得るだろう。
そうか……ああ、そうだ、そうすればいいんだ。
閃いた、戦いの勝ち方、勝負の方法、刹那の思考に光る天啓。
そうだ、俺は別に強くない。嘲笑い、欺き、謀る。
いつだって、自分事の致命傷を隠して勝機を掴んできたじゃないか。正気じゃないと思われても、味方に裏切られても、俺は決して自分を変えはしない。
笑って、酔おうぜ。
「来いよモグドラ。1時間後、お前を下僕にしてやるよ」
逃げも隠れもしない、地に足を着けたスタイル。さあ、こっから先は、鬼の集中力タイムだ。
もってくれよ、俺の集中力。耐えてくれ、左右手足。