Hungry Spider(2)
最初の印象は、暗い、ということだった。
店舗は広く、天井も高かったが、照明はあきらかに抑えられている。壁の一角に、プロジェクターで例のイメージヴィデオが映写されていたが、それにしても、こう暗くては肝心の商品がよく見えないのではないか、と譲史は思った。
流されているBGMも比較的静かなので、しん、とした印象も受けた。譲史が入店しても、Welcomeの声がない。店員は全員が男性で、透けるような素材のシャツや、やけに前の開いた服を着ており、いずれも見事に鍛えられた身体つきをしていた。
そして、空間には濃い香水の匂いが漂っている。
これはだいぶ人を選ぶ店だ、と譲史は思った。
店員が近づいてこないので、自分からラックのひとつに掛かっている服を手に取ってみる。果たして、透け透けの生地のシャツだったので、「うげっ」となりながら、値札を確認すると、これまた「うげっ」と言うほかない価格なのだった。
「冗談だろ……」
この店がニューヨーカーに人気を博しているというのも驚きだったが、ラヴクラフトがこの店を選んだこともますます謎に思えてきた。ラヴクラフトの服装は、どちらかといえばトラディショナルでクラシカルだ。
ひとまず、ひととおり見てみるか、と譲史は店のなかを歩いていった。
店は思いのほか奥行があり、二階もあるようだった。
その、二階からの透かし階段を、降りてきた男に、譲史は目をとめる。
店員のようだったが、透け透けのシャツではない。普通にビジネスの場でも通じるジャケットスタイルだったので、そういう服もあるなら教えてもらおうと思ったところで、その人物が、ウェブサイトに載っていたCOOにしてクリエイティブディレクター、ヘンリー・パークだと気付いた。
「ようこそ、『クリムゾン・コースト』へ。なにかお探しですか?」
譲史の視線に気づいて、ヘンリー・パークが話しかけてきた。
ヘンリーは白人にしては小柄で、ぎょろりとした大きな目と鷲鼻が特徴的な男だった。イメージヴィデオのモデルや店員たちに比べるとかなり痩せている。
「あー、服を……ええと」
「旅行ですか? どちらから?」
譲史が英語での受け答えにもたついていると、ヘンリーはそう聞いてきた。
譲史は米国政府から特別なIDを与えられているが、ジャケットのポケットには、ふだん、あたりさわりなく場をやりすごすための偽造旅券が入っていた。
「ああ、そう。フロム・ジャパン」
なので、そういうことにしておこう、と、あいまいな笑顔を返す。
「おお、日本から。歓迎しますよ。どうぞ、こちらへ。あなたにお似合いの服があります」
「サンキュー」
デザイナー本人に会えたのはラッキーだ。雇われ店員とは違い、愛想もよいようだし、透ける生地以外のおすすめを買って帰ろうと思いながら、譲史は彼についていった。
ヘンリーはにこやかに譲史に話しかけてきたが、早口だったせいもあって、譲史はほとんど理解できなかった。
ただ、そのなかで、ふと耳に残った言葉がある。
「アジアの男性は美しい。肌が素晴らしいからね」
どこか、いかがわしい響きがあるな――と、思ったときには、試着室に押し込まれていた。
「どうぞ、ごゆっくり」
試着室のドアを閉めたヘンリーの笑みを最後に、譲史の記憶は途切れた。
*
『クリムゾン・コースト』の人気モデルが行方不明?
ニューヨークで頭角をあらわしつつあったモデルのジェームズ・クァンが、先月以降、連絡がとれず、失踪したと噂されている。ジェームズは『クリムゾン・コースト』の先シーズンのコレクションで注目され、近頃では、他のブランドのファッションショーにも数多く出演していた。所属事務所からは今のところコメントは出ていない。
*
(そうだ。モデルが行方不明だと――)
水中から浮上するように、意識が戻った。
あわせて、リムジンを降りる直前に目にした記事のことを思い出す。
もっとよく考えたいが、頭が痛んで仕方がない。殴られたか、なんらかの薬物を使われたのだろう。
譲史はすばやく状況把握に努める。自分はソファーに寝かされているが、後ろ手に両手首を拘束されている。おそらく結束バンドの類だ。足は縛られていないから、立つこと、走ること、蹴ることはできるだろうが、両腕を封じられているのは厳しい。
周囲はうす暗く、どうやら天井の高い、倉庫か、なにかの工場のような雰囲気の場所だ。
ずっと、カタカタと機械音のようなものが聴こえていたが、それはミシンだ。ヘンリーとおぼしき男がこちらに背を向け、ミシン台の前に座っている。周囲には、たくさんの布地が上から吊るされ、トルソーが林立していた。
それだけを見て取ると、譲史はゆっくりと重心を移動させ、脚をソファーから下ろしてすぐに立ち上がれる体勢へ持っていった。
だが、ふいにヘンリーが立ち上がり、こちらを振り向いたので、意識が回復したことを気づかれてしまう。
「もう目が覚めたのか。……きみを処理するのはあとだよ。今すぐやりたいのは山々だが、先にやらなきゃいけない仕事がたくさんあるのだからね」
そう言って、天井から吊るされている生地に近づき……、いや、違う。それは生地などではなかった。
「!」
譲史は息を呑む。
それは――人間だったのだ。人間が、なにか糸か布のようなものでぐるぐる巻きに縛られ、吊るされていたのだ。裸の男だ。全身を巻かれているので、まるで、蜘蛛に囚われた虫のように見える。
そして、異様なことが起こった。
ヘンリーのジャケットの背中が、ふいに内側から盛り上がったかと思うと、その布地を突き破って、異形のものがあらわれたのだ。それは昆虫の節足にほかならない。先端が鋭く尖った、蜘蛛の脚だ。それが、突如、ヘンリーの背から生えたのだ。
蜘蛛の脚は、いくつもの関節をぎこちなく折り曲げながら不気味にうごめき、その先端を、拘束された人体に突き立てる。
途端に、それまでぴくりとも動かなかった男から絶叫が迸る。
「ふふ……ふふふふふ……」
ヘンリーが笑った。
彼は蜘蛛の脚に刺された男の身体を覆う糸を剥がしているようだった。だが、叫び声がいっそう高まったので、どうやらそれは男に苦痛を与えているらしい。
譲史は、目を見開いた。
戦慄が背筋を奔る。
糸を剥がしているのではない。そもそも、糸に巻かれているのでもなかったのだ。蜘蛛の脚に刺された部分から、男の、その肌そのものが、糸のように変質していくのを、譲史は見た。男はかれ自身の身体の一部を糸状に変えられて、吊るされ、いま、その一部をむしりとられているのだ……!
しかも、吊るされているものはひとつではない。
それらがみな、人間であることはもはや明らかだった。
「見たまえ」
ヘンリーが男からひきちぎった糸の束をうっとりを眺めた。
「アジア人の男の肌からとった繊維がもっとも上質で、美しい。これを織って布地にし、服を仕立てる。素晴らしい作品になるぞ……、ふふ……ふはははは!」
哄笑のみなもとが、狂気であることを譲史は確信する。
「なんという手触りだ……ブライアンを初めて抱いたときを思い出す。あのとき……ずっと触れていたいと思った……あの手触りと着心地を再現すれば、私の服はもっと売れるぞ」
ヘンリーのぎょろりとした目が、譲史を見た。
その頭上では、屍衣に包まれた屍骸のような、あるいは木乃伊のようなものが、蜘蛛の糸に絡めとられた獲物のごとく、無数に天井から吊り下がり、ゆらーり、ゆらーりと揺れていた。