美貌の青年
亡くなったお母様のお古の靴で歩きまわるのは、そろそろ限界に近い。
いま着用している地味なドレスと靴は、お母様の形見である。
歩きすぎて靴擦れを起こしている。それでも歩き続けている。
それなのにまだ皇宮の外に出ることが出来ない。
というか、目指す方角が合っているかどうかもわからない。正門でも裏門でも抜け道でもなんでもいいから現れないかしら。
心が折れそうになったそのときである。
「レディ、待ってくれないか」
どこからか声がきこえてきた。
周囲を見まわすと、木、木、木だけで、レディに該当するのはわたしだけのよう。
立ち止まり、声のした方向に体ごと向き直った。
すると、木々の間から影が飛び出してきた。しかも、向いた方向とはほぼ反対側から。
月光の下に現れたのは、大広間を出て行くときに見た美貌の青年である。
「よかった」
彼が言った。
なにがよかったのか、わたしにはわからない。
「きみを追いかけてきたんだ」
「よくわかったわね」
これまでのわたしなら、初対面の相手どころかすべての人に敬語を使っていた。
だけど、いまのわたしは違う。悪女だから、横柄に受け答えすべきだと思う。だから、そうしてみた。
「だってほら、きみは同じところをグルグルまわっているんだ。宮殿からほとんど離れていない。だから、すぐに追いつけた」
「なんですって?」
彼の言うことがよくわからない。
同じような木があるだけだから、気がつくはずがない。というか、宮殿から離れていない?
これまでの努力は? 足の痛みは?
「それで? わたしに何の用かしら?」
疲労にドッと襲われたけれど、おくびにも出さない。
それが悪女だと思うから。
「えっと、『大聖母』、ラン・ウインザー公爵令嬢。はじめまして。おれは、チャーリー・ラザフォード。アディントン王国の外交官なんだ」
「ラザフォード? 王族なの?」
ラザフォードは、アディントン王国の偉大なる王家の名である。
「遠い遠い遠い遠い遠い親戚でもそれに当たるのなら、そうかもしれない」
「とんでもなく遠いのね」
彼のおどけた言い方に、おもわずツッコンでしまった。
「だろう? 残念ながら、おれは五男坊でね。家を継ぐ必要がないし、こうして諸外国を行ったり来たりしているんだ」
一瞬、うらやましくなった。
わたしと違い、彼は自由だから。それに、彼自身も自由奔放っぽい。
「それで、その五男坊がわたしに何の用かしら?」
もう一度尋ねた。
こんなところで時間を潰したくない、というのが本音だけど、彼との会話を続けたいという気もする。
冴え冴えとした月光の中、彼はほんとうに美貌だとあらためて魅入ってしまう。
背が高くて筋肉質。
五男坊とはいえ貴族子息で外交官。こうして公式のパーティーに出席することが許されているのなら、外交官でも一等の資格を持っているはず。
ハイスペックというのかしら?
どこかのご令嬢たちが、官僚の子息たちを指さしささやきあっているのをきいたことがある。
「おれと契約結婚しないかい?」
そのとき、彼が提案した。
その内容が理解出来なかったのはいうまでもない。