死への恐怖とは
あなたにとって死はどんなものだろうか。
私にとっては少なくとも恐怖の対象だ。そして、死を恐れる人間は多いと思う。
なら、この恐怖は無くせないのだろうか。そう思った私は、死を恐れる理由について考えた。
では、1つ目に思いついたものについて語らせてもらおう。
それは、「死んだ後どうなるのか分からないから」というものだ。死後どうなるのか。葬儀を思いつくと思うが、それはあくまで周りから見た話だ。
自分の意識や思考はどうなるのか、そういう自分にとっての死後は分からない。
死後どうなるのかというのは、これまで様々な人間が考えたのだろう。天国や地獄に行く。生まれ変わる。幽霊になる。このような考え方があるのがその根拠だ。
だが、それを確認する方法はない。あるとしてもそれは死後の話だ。
つまり死後にどうなるのかまったく分からない。
私は、分からない、つまり未知の存在、事象は恐ろしいものだと思う。だからこそ死を恐れる。
さて、理由の2つ目だ。これは「生物としての本能」だ。
私は生物というのは、種を繁栄させるために生きていると思う。死んだら子孫は残せない。そのため生物として不都合だ。
死を恐れるというのは、死を避けようとすることにも繋がると、私は思う。それは結果的に種の繁栄に繋がる。
ここまで語らせてもらったが、3つ目に私が最も人間らしいと思う理由を語らせてもらう。
それは「自分を認識出来なくなる」というものだ。
人間には承認欲求というものがある。人に認められたい、人に評価されたい、言ってしまえば人に構って欲しい、というものだと思う。
私は承認欲求には前提として、自分を認識していなければ意味がないと思う。
死後に称えられることもあるだろう。そしてそれを目指す人もいるだろう。だが実際死後どうなるのかは分からない。
死ぬ前に、人から自分はどう評価されるだろう、死なずにこの先を見たい、まだ死にたくない、「死ぬのが、怖い」こう思うのではないだろうか。
死を恐れる理由、考えてみたが結局まだ死は怖い。正直、死を恐れなくて済む様にしたいと思っていたが無理だった。
死を恐れる必要のないくらい良い生き方をする。それが一番いいのだろう。
だが、私は死の恐怖を忘れられないのだろう。幸せの絶頂で、ふと思い出すだろう。
だからこそ私は、死について考え、理解したい。もしかしたら、死を恐れなくて済むかもしれない。そんな希望に縋りたいのだ。
―終―