あと71年も生きるのは、正直だるい
「ねー今日保健体育の授業で言ってんだけどさ。日本人女性の平均寿命が87.74歳 ……約八十八歳だって」
「それな」
「本当、絶望しか無いよ」
さち、結子、遥は昼休み、晴れていさえすれば必ず高校の屋上で一緒に弁当を食べる。出席番号が連番だった三人は高校の同じクラスで出会い、驚くほど瞬時に意気投合した。
前世で三つ子だったのか、はたまた一蓮托生の強盗グループだったのか。ただの友達というにはあまりにもナチュラルに仲良過ぎ、しかしその割には性格も好みも顔も違い過ぎている。女子のグループなんてクラス替えですぐに崩壊しそうな所をそつなく乗り越えながら、三人は高校三年生になった。
三人は三人でいるのが、一番自然だった。
その仲の良さはあまりにも自然で、周囲の友人達も一目置いているようだ。
弁当を食べ終わった三人はいつもの様に、屋上に並んで寝転び、空を見ながら思いつくままに喋り合っていた。
六月の終わり、梅雨が終わって夏が見え隠れする季節だ。今日は特によく晴れている。
グレーのチェックのスカートに白いブラウス、赤い胸リボンの制服は夏服へ衣替えしたばかりだ。どこまでも青い空に千切れたような白い雲が浮かび、風に流れていく。昼練に励む運動部の生徒達の声は屋上まで上がると程よく霞んで聞こえる。
「八十八歳まで生きるなんて、正直だるいよね」
ベリーショートに糸目、小柄なさちがつぶやく様に言う。さちは元陸上部、現帰宅部だ。その稀有な運動神経で各運動部の試合で欠員が出た時のヘルプをアルバイト代わりにしている。どこの運動部からも入部の熱いオファーがあるらしいが本人は上下関係が面倒で部活はもうやる気はないらしい。
「うん。そんなに生きたくない。私達十七だから、あと七十一年でしょ」
さちの言葉に結子が応える。結子は内巻きのボブヘアにピンクの小花が付いたヘアピンを挿しており、ぱっちりした瞳が印象的だ。毎年文化祭のミスコンにノミネートされる程の可愛らしさなのに若干変わり者枠に入れられているのは、男に全く興味が無く、さちと遥としかつるんでいないかららしい。
「でも、生きちゃうんだろ。じゃあ何かテンション上がる事考えようぜ」
結子の答えに、遥が鼻の頭を掻きながら提案した。遥は男子ばりに背が高く女にしてはかなりガタイも良い。髪は腰までの黒いストレートヘアだ。柔道部あたりだと思われがちだが実は美術部で、美しく繊細な風景画をよく描いている。女の子のファンが多いという専らの噂だ。
「一日三食食べるとして、一年だと1095食、八十八年だと96360食だね〜」
さちが屋上に寝転がったまま、スマホの計算機を両手の親指でぽちぽち叩きながら言う。
「食べるの好きだけど、そう聞くと食べるのもだるくなってくるわ」
結子がため息を付きながら言う。
「睡眠時間が六時間だとすると、八十八年で192720時間。8030日寝てる事になるな」
遥も同じ様にスマホを凝視しながら、風が吹いてなびいた長い髪をうっとおしそうに耳に掛けた。
「三年まとめて寝て、次の三年起きる方が良くない? 今みたいに病気が流行ってる間はずっと寝てるの」
「さち寝るの好きだもんね。でもまとめて起きてるにしても一日中起きてるのは無理じゃん」
「あ、そっか」
さちの答えに結子と遥は笑い声を上げた。そこでふと、何かに気がついた様に結子が唐突に声を上げた。
「ねえ! でも、うちらがこうやって高校の屋上で弁当食べられる回数は、幾ら長生きしても変わんなくない?」
「あ……確かに」
「それは盲点だったな」
結子の言葉にさちと遥は短く応える。
三人は暫し喋るのを止め、ただ、風に移ろう雲を見つめた。
確かに、今過ごす時間には終わりがあって、三人でいられる時間にも終わりがあるのだ。
三人でいることの方が自然である今はとても、その時間に終わりがあるなんて全く実感出来無かった。八十八歳の寿命の向こう側がてんで想像出来ないのと同じ様に。
「八十八年も寿命があったって、いつも時間が足りてるって訳じゃないんだね」
「結子、おばーちゃんみたいな事言ってる」
結子がしみじみと口にした言葉にさちが皮肉っぽく笑う。
明日も、あさっても三人は屋上で一緒に、同じ様に過ごす。でもそれは高校生の終わりまで。三人の進学先はてんでばらばらだからだ。
「明日も、晴れたらいいね」
さちが流れていく雲を見つめたままでつぶやく。
「雨だと屋上には行けないけど、さちの机の周りで弁当食べるのも嫌いじゃないぜ」
遥がさちを横目で見ながら言った。
「さちの隣の席の川本くんが、昼休みに遥が座ってるとちょーびびってんだよ」
結子はいたずらっぽく笑いながら遥に応える。
「そんなん知るか」
遥が吐き捨てるように言うと、さちと結子がけらけらと笑い声を上げた。
なびく風に乗って、午後の授業の予鈴チャイムが聞こえてくる。
「そろそろ教室戻ろっかあ。だるいけど」
「さちは午後も寝るなよ」
「それはどうかな〜。安藤センセの声眠いんだもーん」
三人は手でぱたぱたと制服の汚れを払って立ち上がる。弁当を片付けつつ軽口を言い合いながら、屋上から廊下へ続くドアをくぐった。
「じゃあ、また放課後」
「おう」
「またねっ」
三人は手を振りあって別れると、それぞれの教室へと向かった。
明日もあさっても同じはずの三人の時間が、今までよりも少し楽しみになったこと、三人はわざわざ言い合ったりしない。この三人はそんな事は言わなくても、ちゃんと分かっているのだ。