4-1 TS美少女と不安定な心
山の透き通った空気の中で、木々の隙間からは、星の瞬きがきれいに見えていた。
焚き火の明かりが無くなったことで、深い闇に自分の目が慣れていき、よりはっきりと、その夜空の美しさが目にうつる。
せっかくの幸せな時間なのに、スマホを操作し始めた和也に一瞬がっかりしたが、こちらに向けられた画面には、その和也の妹からのメッセージが届いていた。
曰く、避妊はきちんとすること。
曰く、あまりがっつかずに、私の体を思いやってあげること。
そして余裕があれば、なるべくたくさんの愛の言葉を。
それを私に見せてしまっては台無しみたいだが、私と和也の間には、余計な気遣いや隠し事なんて意味はないから。
ランタンの明かりの正面に立ち、二人でぴったりと顔を寄せて、自分たちの幸せな姿の写真を送ってやる。
いつも私達のことを支えてくれた和也の妹には頭が上がらないけれど、今日だけはこれで、頭からすっかり消してしまおう。
すぐそばにある和也の冴えない顔を見て、私は自分の頬がめちゃくちゃに緩んでいくのを感じている。
◇◇◇◇◇
あれから数日の間、和也とは少しギクシャクしてしまっていた。
いや、仲が悪いとかそういうわけでは全くないのだが、俺の方がどうしてもうまく和也の目を見ることができなくなっていた。
気の迷いだとはいえ、和也を自分の性的な対象みたいにしてしまっていること。
その罪悪感みたいなものと、自分の衝動的な性的嗜好が、どんどん女のそれに変わっていくことへの恐怖で、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっていたのだ。
夜の暇な時間、ベッドに横になっていると、どうしてか和也の冴えない顔や、あの低くて落ち着く声が頭に浮かんできて、自分の体の火照りが抑えられなくなる。
うまくできず、いつも中途半端にしか快楽を貪ることはできなくて。
終わったらいつも、わけのわからない感情に押し潰され、涙が溢れてしまうのに。
メス塾で受けたカウンセリングでは、やはりまだ俺は精神的に不安定すぎるということで、退院は許可されなかった。
それどころか、軽い鬱のような傾向すらあると言われてしまい、明日からは毎日、カウンセリングを受けることになっている。
化粧なんかは最低限こなせるようになってきたし、意識すれば女っぽい話し方だってできるようになったくせに。
自分自身がその、少しずつ自分が変化してきている現実を受け入れたくなくて、最近は和也に会う前にあえて化粧を落とし、男みたいな話し方もわざと変えていなかった。
結局のところ、俺にとってこの病院の中で、唯一ありのままの自分でいられる場所が、和也の隣なのだった。
隠し事は無数にあるくせに、あいまいな自分の心をそのままにしていても、そっくりそのまま受け入れられているような感覚に、俺はどっぷりと依存してしまっているのだと思う。
カウンセリングのせいでよけいに不安定になってしまった自分の心をもてあましたまま、俺は今日も和也の病室のドアを開く。
だけど個室の中で、急に目に入ってきた知らない誰かの姿に、俺はただ呆然と立ち尽くしてしまった。
いつも通りベッドに横になった和也のそばに、明らかに気を許した人間の距離感で、黒髪のかわいらしい女の子が笑っていた。
まずいものを見てしまったようで、どうしてか泣き出してしまいそうなくらい、自分の心臓が痛む感覚があった。
涙腺が、熱い。
こちらに気づいた和也が、いつも通りの冴えないぼんやりした顔のまま、こちらに手を振ってくれている。
私の大好きなその表情を、もっと見ていたいはずなのに。
だけどその姿が何か滲むように揺らいで、霞んで見えづらくなっていく。
「わ、わわ! あの、違いますよ!? 聞いてませんか? わたし、こいつの妹です! 谷口桜って言います!」
慌てたように近づいてきたその背の低い女の子の姿に、寒気がするような感覚に襲われたが、その子の言葉が頭に入ってくるにつれ、だんだんと全身から力が抜けていった。
自分の頬が涙で濡れていたことも、少し遅れて気がついた。
「いやあ、この冴えないキャンプ馬鹿のお兄ちゃんに、まさかこんなかわいい女の子がねえ。話には聞いてましたけど、お兄ちゃんの妄想だと思って、全然信じてなかったですよお」
醜態を晒した俺は、すぐに病室から逃げ出そうとしたのだが、和也の妹だというこの愛嬌のある女の子に捕まってしまい、面会者用のスツールに座らされていた。
和也の方を、見れない。
なんで俺は泣いた?
自分の心の不安定さが、本当にとんでもない状態になってしまっている。
まあでも、そりゃあ妹だよね。
こんな冴えないやつのところにわざわざ見舞いに来る女の子なんて、そりゃあ家族くらいのものだろう。
いやあ、一安心一安心。
何に安心してるのか、自分でもよくわからないけど。
「ねえ彼女さん。こんな冴えない男の、どこがいいんですかあ?」
妹の桜さんの呼び掛けに、ぎょっとしてしまう。
和也が冴えないやつだということには完全に同意だけども、さすがにその解釈はおかしいだろう?
「か、彼女じゃないよ!? 私は和也の……キャンプ仲間? 友達? みたいな感じだよ。なんていうか……入院生活の、相棒、みたいな」
自分で口にしたその、相棒、という言葉が妙にしっくりきて、俺はにんまりと笑った。
そうそう、和也はなんというか、めちゃくちゃ気が合う相棒って感じだな、うん。
「ふふっ、友達が女と一緒にいるところを見て泣いちゃう人なんて、わたし聞いたことないけどなー?」
桜さんがいたずらっぽく笑いながらからかってくる声に、体がかあっと熱くなる。
違うんだよ。
俺のこの今の状況とか、めちゃくちゃになっている精神状態とかを、全部説明できるものなら、きちんとわかってもらえるとは思うのだけれど。
「ねえ! 和也からもちゃんと言ってよ! ね、私達そういうんじゃないよな? お前はまだ、立派なチェリーボーイだよな!?」
「妹の前でそんなん言わすなよ。……はいはい、どうせオレは冴えないチェリーボーイですよっと」
憮然とした表情で続けられた和也の言葉に、自分の頬がじんわり緩んでいくのを感じる。
そうそう。そうだよな。和也はまっさらピカピカのチェリーボーイだよな!
「……あなた、マジで変わった人ですねえ。このお兄ちゃんが童貞チェリーで何がそんなに嬉しいの? 妹のわたし的には、全く聞きたくもない情報なんですけど」
桜さんはだらしなく和也のベッドにもたれかかり、ほとんど呆れたような目で、俺の緩みきった顔を眺めてくる。