3-1 TS美少女と一人遊び
焚き火の後始末をしながら、黙々と作業を進める和也の横顔を見て、不覚にも幸せな気分になってしまった。
病院でメス塾に通っていたころは、自分の感情も何もかもがめちゃくちゃで、変わっていく自分の心に押し潰されそうだったけど、やっぱりこいつがいてくれたから、こうして今の私があるのだと思う。
まだくすぶる焚き火の跡をかき集め、水をかけて強引に鎮火させる和也。
あまり情緒のないスピード重視のやり方だけど、こいつもまた、早く私とテントに入りたい、なんて考えてくれているのかもしれない。
音をたてて登ってくる水蒸気に視線を向けたまま、なんて贅沢な話かと、笑ってしまいそうになる。
こんなに素晴らしい焚き火だったのに、さっさと片付けを終わらせて、早く二人で小さなテントにこもりたい、なんて考えている私。
自分に正直になってしまえば、幸せなんてわりと簡単に手に入ってしまうんだな。
こんな関係になるなんて、最初のころは想像もできなかったけど。
いや違うか。
あの頃から、私の女になった体は、ちゃんとこうなることをわかっていたのかもしれない。
深い闇の中で、ランタンの明かりだけが私たちを照らしている。
◇◇◇◇◇
「……女性の体の場合、一般的に性欲は40代まで続くとされています。ですから、皆さんのうち大半の方は、これからそのご自身の肉体的な欲求とも付き合っていかなければなりません」
メス塾の中では正直一番精神的にダメージを受けるのが、この性教育の時間だ。
化粧なんかの実習は、今後現実的に必要になる技術であって、積極的に学んでおきたいという思いもある。
だけど性教育なんて受けたところで何になるというのか。
今後自分が男といちゃラブするつもりなんて、こっちにはさらさら無いのだから。
「特に皆さんの場合、ご自身の肉体と、過去の記憶の間にギャップがありますから、先程ご説明したマスターベー○ョンについても積極的に行い、そうしたギャップを埋め、自分自身の体の欲求を理解していくことが、大切ではないかと考えています」
真面目な顔をしてメス塾講師のお姉さんが、とんでもないことばかり話している。
俺たちに性の再教育が必要だということは頭では理解しているつもりだが、これはいくらなんでもひどすぎるだろう。
この講師のお姉さんも、どんな気持ちで大量の元男性たちに、こんな話をさせられているのか。
俺たちも哀れだし、先生もまた哀れな被害者だ。
「先生、すまんがのう。さすがにワシら、男とそういう仲になれるとは思えないんじゃが。今どきは別に、女同士というのも、珍しくはないんじゃ……ないか、と思う……思いますわあ、ウフフ!」
俺の気持ちを代弁するかのように、となりのおばさんが抗議する。
この人も元々はおじいさんだったらしいから、今さら急に性欲やら男との恋愛やらと聞かされても困惑してしまうだろう。
「もちろん、そうした嗜好を否定することはできませんが。……ですが、皆さんが退院するための検査項目には、男性に対する、性的興奮の度合いなども、含まれているそうです」
なんだそれ。
講師の言葉に愕然としてしまう。
そうすると俺たちは、男に抱かれたい! なんて思えるようになるまで、ここを出られないってことなのか。
「ご安心ください。これまでの海外の調査で、TS患者さんの精神や性的嗜好は、女性としての肉体に引っ張られるように、自然と女性的な考えに、そして肉体の年齢にふさわしい状態に近づいていくことが判明しております」
講師の先生の言葉に、安心なんてできるはずもない。
先生本人も、明らかに困ったような表情で、こちらを見もせず自分の腕時計に視線を落としている。
「その自分自身の変化に対し、戸惑いが少なくなり、スムーズに今後の自分を受け入れて頂けるように、こうした講義を行っている、というわけです」
「な、なんか紬、今日は機嫌悪いのか? 顔が怖いんだけど……」
メス塾で受けた講義の内容に、俺は思ったよりショックを受けてしまい、和也の病室を訪れたあとも、眉間のシワをなかなか緩めることができないでいた。
今の俺の体はめちゃくちゃ綺麗だという自負はあるけれど、入浴中にその自分の体に興奮なんて全くない。
美乳であることは間違いないが、もうこの体になってだいぶたつというのに、乳を揉んで楽しもうだなんてこと、これっぽっちも考えてすらいなかった。
男だったころには、いい歳のおっさんだったとはいえ、毎日のようにセルフな快楽の追求に勤しんでいたのに。
TSして以来は、全然そういう衝動を感じてもいない。
このまま少しずつ俺の心は、男の部分が消えていってしまうのだろうか。
そしてだんだん女の部分が強くなっていって、そのうち男あさりをはじめたりなんかするようにも。
女の体で子作りに励み、うっとりした表情で男に抱かれて眠る日が来るのだろうか。
そんなの、とてもじゃないけど自分が正気でいられるとは思えなかった。
「お、紬。これ見てみろよ。ワンポールテントの新作だってさ。でも色がなんかイマイチか?」
和也のベッドに腰掛け、浮かない気分のまま促された雑誌に目をやる。
新しいテントだなんて、考えるだけでもワクワクしそうな話なのに、なんだかやっぱり気が乗らない。
「あー……なんか無駄なロゴが付いてたりして、私は好みじゃないかな」
本当はいいテントなのかも知れないけれど、自分の心が沈んだままでは、なんだか粗ばかりが目立って見えた。
俺の気のない言い方に、でも和也は、むしろ少し優しいくらいのしゃべり方で、ゆっくりと俺に会話を振り続けてくれる。
「紬はテントはどういうタイプが好きなん?」
和也の少し低い声は、なんだかじわりと俺の心に染み込んで、安心感を与えてくれる。
「そうなあ、次に買うなら、軽量でソロ向きのドームテントなんかがいいな。とにかく軽くしたい。歩いてキャンプ場行くなら、軽さが最優先でしょ」
俺が以前に所有していたキャンプ道具は、スマホなんかと同様、一切合切が国に処分されてしまっていた。
昔の自分の痕跡を一切消し去るためとはいえ、お気に入りだった道具たちを勝手に捨てられてしまったというのは、さすがに許しがたい話だ。
「最近だと、かなり安くてもまともなドームテントが買えるみたいだぜ。オレも新しいのが欲しいけど、小遣いも厳しいし……」
「ふふっ、お小遣いをどうやりくりしたって、テントを買うのはそりゃ簡単じゃないよねえ」
高校生のリアルなお小遣い事情に、ちょっと笑えてしまう。
俺は就職してからキャンプにはまったから、お金にはずっと余裕があったし、道具の値段にはあんまりこだわっていなかった。
だけど今後はこいつを見習って、少しはコスパも意識してみたい。なんだかかえって楽しそうだし。
新しい道具を和也と一緒に選んで。
想像するだけで、にやけてしまう。
「……あー良かった。やっと笑ったな。……辛気臭い顔してたから、何事かと思ってたんだよ」
ニマニマしだした俺を見て、和也はゆっくりと息を吐いた。
どうやらこいつなりに、かなり俺に気を使って話しかけてくれていたみたいだ。
こいつのこの絶妙な気遣いというか、距離感というか。情緒不安定な今の俺には、本当にありがたい。
和也とキャンプの話をしていると、いつの間にか気分が楽になっている自分がいた。
「おいおい、こんな美少女に向かって、辛気臭いだあ?」
だけどなんだか照れくさいから、ありがとうは言わない。
美少女をいたわるなんてことは、男の当然の義務なのだから。