6-2 TS美少女と自分の居場所
テーブルを挟んで受け取った桜さんからの真剣な問い掛けに、でも私は、きちんとした答えなんて持っていなかった。
ただ、きっともうすぐ和也に会えるんだと、そのことだけでどんどん頭がいっぱいになってきていて、少しずつ自分がおかしくなっていくような感覚がある。
「え、えへへ。そっかあ。……でも、なんて言ったらいいのかな。わからないよ」
和也は今の私にとって、何よりも大切な人であることは間違いない。
でも、めちゃくちゃな自分の心のことを、まだ私は自分でも理解ができないでいる。
「へへ。でもあいつ、私のこと、そんなに気にしてくれてたんだ?」
和也と一緒にいられなくなったことが、堪らなく苦しくて。
でももし、和也も同じ気持ちでいてくれたのだとすれば。
それはもう私にとって、胸がはち切れそうなくらい幸せなことでもあるのだ。
「あいつ寂しそうにしてた? ふふ、困っちゃうなあもう」
この世界でただ一人、和也だけが私を見てくれる。
あいつの横にいることだけが、私の望み。そこだけが私の居場所。
「最近さあ、急に和也と会えなくなって、毎日、いっぱいいっぱい、そのことばっかり考えてたんだけどさ」
だけどいくら考えても、自分の心がまとまることはなかった。
こんな近所に住んでいるなんて、病院が同じだったのだから当たり前といえば当たり前のことなのに、全然気づくこともできなかった。
「あいつが近くにいないと、なんか毎日、つまんないんだよね」
味のしない食事。色彩を失った世界。
いつも胸が苦しくて、うまく息もできないくらいで。
和也が近くにいてくれないと、私には生きていく理由さえ存在しなかった。
一度、桜さんの方へ顔を向ける。
彼女は私の顔を見て、優しく、ふんわりと微笑んでいた。
「……会いたいよ。和也に会いたい。じゃないと私、もうダメなんだよ」
毎日、たくさん泣いた。
このTSした体のことや、これからの生活のことなんて、一切がどうでもよかった。
ただ私は、和也に会いたいと、それだけを願い続けていた。
だからこの気持ちを、わかりやすくどう言葉にすればいいのか、それはもうなんとなくわかってきている。
「好き、なんだと思う、たぶん。……わかんないけど、たぶん、好きなんだ。大好きで、好きで、好きで、たまんないんだよ」
言いながら、自分の感情がまたコントロールできなくなって、涙腺が熱くなってくる。
だけど、もうすぐ和也に会えると思ったら、その涙目のまま、どうしたって頬は緩んでしまう。
「ほんと、あんなお兄ちゃんのどこがいいのかなあ。こんなかわいい紬さんに好かれる要素が、あいつのどこにあるの?」
桜さんは、もうお手上げみたいに言ってくるけれど、そんなの私が聞きたいくらいだ。
あいつの何が、私をここまで惹き付けるんだろう。
でも今はそんなのどうでもいい。
まずは顔を見て、声を聞いて、匂いをかいで、そうしないと何もわからないくらい、好きなんだから。
「紬さんも、そんなに痩せちゃって。さっきはびっくりしましたよ。……お兄ちゃん、もうすぐ帰ってくる時間です。ま、お兄ちゃんを捨てたわけじゃないんだったら、会うのは止めませんけどね」
もうすぐ帰ってくる。
和也に会える。
あいつ、私を見たらどんな顔になるだろうか。
驚いてくれるかな?
少しは喜んでくれるかな?
「さ、桜さん。私、ちょっと出てきてもいいかな?」
もう体がそわそわして、どうにもこうにも座ってなんかいられなかった。
私は今、どんな顔をしているのだろう。
それを見ている桜さんは、こらえきれないみたいに笑っているけれど。
「はいはい、お好きにどーぞ。家の前の道路、左の方から帰ってくると思いますよ」
「うん! ありがとう桜さん! 私を見つけてくれて、ありがとう!」
和也と桜さんの家を夢中で飛び出す。
靴を履き忘れてしまっていて、あわてて戻って履きなおし、和也の家の前の路地を、桜さんから言われた方向へ走っていく。
お腹がへりすぎているせいか、一瞬くらりとしたけれど、嬉しくて嬉しくて、足元にあった水溜まりの上で、思い切りぱしゃぱしゃとジャンプしてしまった。
いつの間にか雨は止んでいて、空気はじめじめしているけれど、今はもう何もかもが清々しい。
通りの奥に小さくその姿が見えたとき、すぐにわかった。
制服姿の男の子が、松葉杖をついた姿で、こちらの方向へとぼとぼと歩いてくる。
それを見たらもう、全力ダッシュしかありえなかった。
猛然と駆け寄ってくる私の姿に気付き、驚いて一瞬固まったその姿。
お互いに顔がわかるくらいの距離になったとき、ずっと見たかった和也の冴えないその顔が、くしゃりとゆがんだのがわかった。
お前も、少しは寂しかったんだよな?
だったらもうちゃんと反省して、二度と私から離れないようにしなきゃダメだぞ。
「和也ぁあ!!」
「お、おわっ! 紬!? ……まじで? 何これ、夢? え? まじで!?」
全力で飛び付きかけたところを、松葉杖がとれていないその姿にちょっとだけ遠慮して直前で立ち止まり、でもやっぱり我慢できなくて、結局全力で抱きついた。
いつもベッドか車イスの上にいた和也は、私が思っていたよりだいぶ背が高いみたいだ。
小柄な私の今の体では、頭が和也の首筋までしか届かなくて、仕方なく私はその和也の肩のあたりに、ぐりぐりと自分の頬をこすりつける。
「和也……和也だ……会いたかったよ、寂しかったよ和也……」
久しぶりに味わう、和也の体の落ち着く匂いを、遠慮せず存分に味わっていく。
すぐに和也の片腕が松葉杖ごと私の背中に回され、少しだけ力を入れて抱きしめられてしまったので、もう頭の中が真っ白になるくらい、嬉しくてたまらなくなる。
「……びっくりしたわ。心臓が止まるかと思ったよ。……いて、いてて。おい紬、ちょっと痛い。待てオレはまだ骨が……いてっ!」
何やら文句をたれる和也を無視して、私はそのまま5分くらい、道のど真ん中で和也のことを必死に抱きしめ続けたのだった。




